昔むかし、豊縁と呼ばれるところの赤の領地に獣を強く育てることに優れた男がおりました。
 兵の一団を率いる彼のもとには、立派な火山を背負った駱駝、飛ぶ鳥を蹴り一つで落とす軍鶏、さまざまな強い獣がおりました。
 赤の旗の下に集う者達は皆、その男に一目置いておりました。

 さて、最近その男が一風変わった獣を手に入れらしいと噂になっておりました。
 男が青の旗の陣地をひとつ落とした時にたまたま手に入れたというのです。
 元来豊縁にはいない獣であるらしく、書物の記すところによればその名は悪狐とか黒狐とか云うそうです。
 黒い毛皮に赤い鬣、鋭い爪を持ったその狐は人のように二本の足で立ったりいたします。
 そして何よりの特徴として、人に化けることが出来ると書物には謳ってありました。
 百聞は一見にしかずを信条にしていた男は、さっそく悪狐を自分そっくりに化けさせてみたところ、これはもうたくみに化けたのでしばらくそのままでいさせることにいたしました。
 せっかくなので、人間の様々なことを仕込んでみようと考えたのです。
 困惑したのは男の部下達です。
 自分達のお頭が毎度毎度二人で現れるものですから、皆変な顔をしました。
 お頭二人は涼しい顔をしておりました。



 そんな日々がしばらく続いたある日のことです。
 男に目通りを願う者がいるというので、彼らは二人で迎えました。
 見たところそれは粗末な衣装を身に着けた旅の行商人でありました。

「何用だ」
「何用だ」

 二人のお頭は尋ねます。
 すると行商人がにやりと笑って云いました。

「我が名は不知火(シラヌイ)、海より渡ってきた黒狐がいると聞いて、化けくらべに参った」

 するとどうでしょう。
 行商人の姿がみるみるうちに変じて、一匹の獣になったのであります。
 燃えるような赤い目、金色の毛皮、たなびく九本の尾。
 四足で地面を踏みしめたその獣は大変に立派な九尾狐でありました。
 不知火と名乗った、九尾は語ります。
 長く続く戦で故郷を失った自分は、諸国を流浪する身の上となった。
 そうこうしている間に人化の術を会得したのだと、そのように語りました。
 そうして旅をしているうちに黒い狐の話を耳にし、勝負してみたくなったというのです。

「勝負を受ける受けないどちらもよし。だが黒狐とやらの姿は一度見てみたい」

 そのように九尾が所望するので、お頭の一人がもう一人のお頭に姿を解く指示を出しました。
 言われたほうのお頭がくるりと宙返りします。
 黒い狐が姿を現し、金色の妖狐と向き合いました。

「奇怪な狐だ。尻尾もないのか」

 九尾狐は嘲笑いました。
 自慢げに自分の尻尾を振って馬鹿にします。
 悪狐は聞き捨てならぬというように睨み返しました。
 その様子を見てお頭が言いました。

「おもしろい、勝負してみろ。先に正体を現したほうが負けだ。正体を現さなかったほうを勝ちといたそう」

 こうして悪狐と九尾狐の化けくらべが始まりました。



「おい、見ろよ」
「ああ」
「増えてる」
「増えてるよな」
「ああ」
「間違いない。お頭が増えている」
「二人から三人に増えている」

 困惑したのはお頭の部下達です。
 目の前にお頭が三人。ただでさえ二人いて困惑していたのに三人。朝起きたら三人に増えていました。
 皆ますます変な顔します。
 しかし三人は涼しい顔をしていました。

「あ、一人抜けたぞ」
「怠けだ」
「お頭が怠けた」
「怠けてもあと二人いるからな、うらやましいな」
「ああ、でもどのお頭だ」
「わからん」

 人の真似を続けてきた悪狐はもはや所作までもがそっくりになり、よほどの側近で無い限り見分けがつきません。
 九尾狐のほうも同じです。人に紛れ込んで生きてきただけあってそのようなことには長けておりました。

「これは愉快だ。しばらく休めるぞ」

 ほくそえんだ本物のお頭は、自室に戻ってしばし二度寝を楽しみました。



 何日か経ちました。
 しかし二匹ともなかなか狐の正体を現しません。
 ためしに灰色犬や噛付犬をけしかけてみたこともありましたが、二匹とも非常に人間らしく振舞って、座れ、伏せろなどと言うものですから、犬達もつい条件反射で命令に従ってしまい効果はありませんでした。
 駱駝に乗る時も三人です。
 彼の持つほかの獣達はさすがに臭いをかぎわけたのか、本物を見分けてはいたようですが揃って変な顔をいたしました。
 それでも三人は涼しい顔をしておりました。
 駱駝に揺られながら一人が言います。

「今宵は宴だ。都のほうから一人お偉いさんが来るから、粗相のないように」

 残り二人が黙って頷きました。



「おや、そのほうは三つ子であったか」

 夜の宴、都からやってきた官職の男が目を丸くします。

「影武者です。よく似ているでしょう?」

 と、一人が言いましたが、答えた男が本物かは定かではありません。

「まるで瓜二つ・・・・・・いや瓜三つやないか」

 官職の男は感心します。

「さすがじゃ。お前は隙がないのう。そういうお前を見込んでの、近々都からの書状が届くことになるであろ。今日はそのことを伝えに参ったのよ」
「それはわざわざお運びありがとうございます。どのようなことですか」
「悪い話やない。むしろでかい話や。うまくやれば一国一城も夢やない。まあ飲め」

 官職の男が酒を勧めます。

「いただきます」
「いただきます」
「いただきます」

 三人は同時に杯を前に出しました。
 酒が注がれると同時にぐびぐびと飲み干しました。
 それに続くように男の部下やその妻達がやってきて次々に三人に酒を勧めました。
 三人は勧められるままに浴びるように酒を飲みます。
 しまいにはすっかり酔っ払ってしまい、ちどりあしで自室にもどってゆきました。

 化けくらべの勝負がついたのはその翌朝でした。



「あっ」

 と、一番先に起きた本物の男が声を上げました。
 どんなにそっくりに変じようともさすがに酒の強さまでは、化かすことは出来なかったようで、自分の目の前に二日酔いの二人の男が寝転んでいます。
 そうしてそのうちの一人の尻の上から金色の長い尻尾が一尾、出ていたのであります。
 それは間違いなく九尾狐の尻尾でありました。

「勝負あり。お前の勝ちだ」

 男が黒い狐のほうに言いました。
 男の声で目を覚ました九尾狐は自らの尻尾を見、潔く負けを認めました。



「おい見ろよ」
「ああ」
「お頭が減った」
「ああ、三人から二人に減った」

 部下達は口々にそう言いました。

「だがややこしいな」
「そうだな。まだややこしい」

 そう言って彼らはため息をつきました。
 ややこしい日々はもうしばらく続きそうです。

「よくぞ酒に酔っても正体を現さなかった」

 お頭は悪狐を褒めました。そうして、

「だがもう少し酒に強くならないとな」

 と注文をつけました。
 そんな彼らの様子を九尾狐の不知火はしばし見ておりましたが、やがて背中を向けるとあてもなく旅立ったのであります。
 敗者は去るのみであると考えたのでありましょう。
 しかしながら道中彼はしばらくぶつぶつ言っておりました。

「なぜ負けたのだ。化ける力も演技も互角だった。あいつも俺も酒に酔っていた。だが負けたのは俺だ。一体俺に何が足りなかったというのだ」

 潔く負けを認めはしたものの、悔しくて悔しくて仕方がありませんでした。
 しかし、ちょうど沼地に差し掛かった時のことです。
 彼は唐突に笑い出しました。

「くくく、そうか、そうか」

 九尾狐の目に映ったのは水面に映った自身の姿。
 九本の尾でありました。

「なるほど、なるほど、最初から俺には勝てる道理がなかったのだ」

 そう言って彼が振り返るのは、初めて黒い狐を目にした時のことでした。
 そして続けざまにこのように呟いたのでありました。

「なぜなら黒狐は決して尻尾を出さんからだ。そもそも尻尾がないからなぁ」