昔むかし、秋津国の南、豊縁と呼ばれる土地には異なる色の大きな都が二つございました。二つの都に住む人々はお互いに大変仲が悪うございました。彼らはそれぞれ自分達の色、信仰こそが正統だと考えておりました。今回はその二つの都のうちの一つ、赤の都に住む一人の男の話をすることに致しましょう。
その男の齢は四、五十ほど。
今の時代では武士などと呼ばれるのに近い身分で、名をタダモリと申しました。
若い頃のタダモリは勇猛な指揮官として、名を知られておりました。侵略すること火の如し。タダモリ自身も相当な武人です。彼の率いる軍勢に攻め入られたら、冷静な青の武人も、抗う獣や土地神も敵うものはなかなかおりませんでした。彼らのとれる道は二つに一つ、命からがら逃げ出すか、首をとられるか、です。
タダモリは都にいくつもの御印――すなわち首を持ち帰ったのでありました。
ですが、そんなタダモリも次第に歳をとりました。そしてある時、愛馬から落馬してしまったタダモリは、腰を悪くして、戦場をかけめぐることは叶わなくなったのです。
しかしながら戦をすることにかけては優秀な男でありましたから、赤の都で官職につきますと、様々な遠征の戦略を立てるようになりました。
次に版図とする土地の情報を集め、火馬や駱駝は何頭、軍用犬は何匹、操り人と戦人は幾人かということを計画し、実行させるのです。
ある者にはある土地の青からの守護を命じ、ある者には異なる色の国の国盗りを命じました。ある者には土地神の首をとってくるように言いました。
彼の計画と計算はなかなかのものでした。
ある者は立派に役目を果たしましたし、ある者は見事に国を盗りました。そしてまたあるものはタダモリの前に土地神の首を差し出したのです。
そのように馬を降りても活躍するタダモリでありましたが、一つだけ苦手とするものがありました。
都にいる官職の者達は、昼間は昼間でお役所仕事などしておりますが、夜は夜で様々な付き合いがございます。
宴や五七五七七の歌を詠む歌会がそれでした。
しかしながらタダモリは夜の付き合いがあまり好きではなかったのです。
なぜなら彼は和歌を詠むことが大の苦手だったからでした。
しかし、現代の人々の感覚からは信じられないかもしれませんが、歌会での和歌の出来、勝敗というものは出世に関わりました。自分は和歌が苦手だから出席をしないとかそういう訳にはいかないのです。
戦場では若い武人達がめざましい活躍をしております。特にこの間、新緑の国を落とした男などはその筆頭でありました。その多くの任命をしたのはタダモリ自身でありましたが、一方で彼は焦っていました。
いつか彼らに越されてしまうのではないか。自分の地位を脅かされてしまうのではないか、と。このように恐れたのです。ですからなるたけ高い位に上り詰めたい、とタダモリは願ったのであります。
そこで彼は人を雇うことに致しました。
すなわち自分に代わって歌を作ってもらうことにしたのです。
「次の歌会の題は"夕暮れ"といたそう」
歌会が終わると、次の歌会の題が告げられます。
ダダモリはそれを持ち帰り、影の歌人を呼ぶのです。
「次の題は夕暮れじゃ、九日後には作ってくるのじゃぞ」
そのようにタダモリは命じました。
影の歌人はなかなかに優秀でした。たまには負けることもございましたけれど、多くの場合、勝ちを拾ってくれたのでありました。勝ちを拾った暁には、影の歌人に給金とは別に褒美を与えてやります。貧乏な歌人は懸命に仕えてくれました。
こうしてタダモリは夜の世界でもうまく地位を上げていったのです。
ところが、次の歌が出来るのを待つタダモリに、とんでもない知らせが届きました。
タダモリの代わりに歌を作ってくれた影の歌人が突然死んでしまったというのです。
「馬鹿な、昨日はあれほど元気だったではないか」
「それが、戦から戻った火の馬だか駱駝だかが突然暴れだしまして、蹴り殺されてしまったと……」
タダモリは呆然と致しました。次の歌会までに二日ほどしかございません。影の歌人にはまだ歌を教えてもらっていませんでした。死人に口なしです。
「急ぎ代わりの歌人を探せ」
タダモリはすぐにそう命じましたが、そう簡単に代わりが見つかるはずもございません。次の日になっても歌人は見つかりませんでし、よい和歌も作れませんでした。おおっぴらに探していることを言うわけにも参りません。
「むうう、困った困った。歌人がおらぬ。歌が出来ぬ」
歌会を夜に控えタダモリは嘆きました。
歌会の主催は出世に影響力のある人物です。下手な歌を持っていくわけには参りませんでした。仕事もろくに手がつかず、日は落ちていき、空が紅く紅く染まりだしました。じきに夜になってしまいます。
そんな時でした。
「タダモリ様、タダモリ様に目通りを願う者がおります」
と小間使いの者が言いました。
「なんじゃ、今はそれどころではない。新しい歌人以外の話は聞きとうないぞ」
と、タダモリは退けようとしましたが、追い払われる前に小間使いが言いました。
「は……しかしその者、タダモリ様にぜひ歌を聞いていただきたい、と申しております」
人払いをさせたタダモリは、彼を尋ねてきたという人物を暗い座敷へと通しました。
空では日が夜色に溶け出し、境目の時刻独特の色合いを見せております。
「面を上げい」と、タダモリは言いました。
「そなたが歌を聞いて欲しいという者か」
『はい……タダモリ様が歌人をお探しになっているとお聞きまして、馳せ参じました』
そのように答える男は静かな落ち着いた声でありました。
年齢はずいぶん若いように見えます。しかし奇妙な風貌の男でした。
灰色とも土色とも形容しがたい肌の色をしておりますし、長く伸びた前髪が片目を隠しております。粗末な着物の下で身体をぐるぐると巻いた帯のようなものが見えました。
ふん、怪しい奴、という目でタダモリは見下ろします。
すると男が言いました。
『私の風貌を見て、皆そのような目をなさいます。この通り片目はつぶれて髪で隠しておりますし、肌がただれておりますゆえ、このように帯を巻いて隠しているのです。私はどこにも留まることが出来ず豊縁の各地を回って参りました。しかしそれゆえに都人が知らないたくさんの和歌を知っておりますし、私自身も励んでまいりました。どうか貴方様付きの歌人にしてくださいませ』
一つしか開かぬ目がじっと見上げます。
しかし、夕日の色が手伝って赤く輝くその瞳には落ち着きと自信のようなものが垣間見えました。
「ふん、ならば今この場で歌を詠んでみせよ。今宵の歌会に歌が必要なのだ。赤の都の歌会の場に恥じぬ夕暮れの歌を詠んでみせよ」
タダモリが言いました。
すると待っていたとばかりに歌人はすらすらと歌を詠んだのでありました。
『日は溶けて 暗き色へと 落ちぬとも 明けぬ夜なし 暁の空』
タダモリは夜の歌会でその一首を詠みました。
それは武人らしい歌として評価されました。
戦は予想できぬのが常である。太陽が沈んでしまうように暗き色、すなわち青色に劣勢をとることもあろうがそれも一時のことよ、けれどまた日が昇るように勝つのは我々赤である。
歌の意味をそのように歌人は語り、タダモリは歌会でそのままを語りました。
「よくやった」
一つ目の歌人にタダモリは言いました。
「今日よりお前は私の影の歌人だ。私のために歌を作れ」
タダモリは歌人に命じました。
そうして次の歌の題を伝えました。
『承知いたしました』
そのように歌人が云い、一晩明けた後には新たな一首を届けたのでございました。
それは前の歌人よりずっとずっと早い出来上がりでございました。
その後もタダモリの活躍は目覚しく、戦略を立て、兵を派遣し、豊縁の各地に赤い旗を立ててゆきました。土地が赤い色に塗り替えられていきました。それは人や土地神や獣達の血の色だったのかもしれません。タダモリの下にはいくつもの首が届きました。
ある者は牙を剥き出しておりました。ある者にはツノが生えておりました。あるものには鬣がございました。
それは都のある場所である期間晒されると、首塚に持っていかれます。狩り獲られた首達はみんなそこに集まるのでした。
彼は血のように赤く染まった夕暮れ時になると影の歌人には歌を届けさせました。
歌人は歌会の題を聞くたびにタダモリに極上の一首を提供いたしました。
そうしてタダモリはその一首を披露します。彼はほとんど負けなしでした。
そうしてタダノリは自分の地位をより確かなものにしていったのでございます。
腰は悪かったものの、老いてますます元気。
近々新しい位を賜ることになったタダモリもまだまだ歌会に顔を出すことになりそうです。
「お前が歌を作るようになって何年になるかのう」
ある夕暮れ時に、タダモリは影の歌人に尋ねました。
『三年になります。タダモリ様』
「そうか、もうそんなに経つか。お前のお陰で夜の心配はせんでよくなった。大儀であったの。そのうちに別に褒美をまたとらせねばな。だがその前に、もう一題作ってもらいたい」
『どんな題でも致しましょう』
タダノリの命に対して、影の歌人は苦にもしないとばかりに答えます。
「お前は優秀よ。私が題を与えれば一晩で作ってきよるわ。まったくどのようにすればそのように歌を作れるのだ?」
めずらしくタダノリが歌に興味を示しました。
すると歌人の一つ目が怪しく光ったように見えました。
『お知りになりたいですか?』
と、歌人は聞き返します。
そうして、タダノリの答えを待たずして続けました。
『それならばその秘密を教えて差し上げましょう。丑の刻に迎えに参ります』
「丑の刻?」
タダモリは首を傾げました。
丑の刻とは今で言う午前二時。世界が暗い色に沈み草木も眠ると言われる時間なのです。
「一体どういうことなのだ」
と、タダモリは再び尋ねましたが、歌人はくすくすと笑ってはぐらかすばかり。
それでは丑の刻に、と告げると下がってしまいました。
そうして夜になりました。
新月で月は見えません。
布団をかぶったタダノリはしばらく歌人の言葉が気になり、眠れずにおりましたが、やがてうとうとしだし寝息を立て始めました。
どれだけ時間がたったでしょうか、襖がすうっと開きました。
『タダモリ様、タダモリ様……』
歌人の声が聞こえました。
意識のはっきりしない目で声の先見ると暗闇に歌人の姿がぼうっと浮かんでいます。
そう言って歌人は妖しく手招きをいたしました。
『お迎えに参りました』
気のせいでしょうか。開いた襖から何やら生暖かい風が吹いているようです。
それでも歌人の言葉に誘われるようにしてふらふらと起き上がったタダモリはいつのまにか用意された着物に着替えて屋敷の外に出ておりました。
『こちらですよ。タダモリ様』
外で青白く輝く提灯を持った歌人が再び手招きしました。
都はしんと静まりかえっておりました。青白い光を先頭にして二人は歩いてゆきます。
首を晒す橋を過ぎました。彼らはどんどん都の外れのほうに向かってゆきます。
『到着しましてございます』
ある場所で立ち止まると歌人は言いました。
歌人は提灯を掲げます。大きな石灯籠に似た石碑を照らしました。
「……どういうことだ。ここは首塚ではないか」
『左様でございます。私はここで歌を作るのでございます』
「貴様、私を愚弄しているのか」
タダモリが怒りをあらわにします。
『……愚弄してなどおりませんよ』
歌人はくすくすと笑いました。
『ほら、皆々様がいらっしゃった』
するとどうでしょう。
闇夜に立つ首塚の形を浮かび上がらせるようにして無数の鬼火が現れたのです。それは歌人の提灯の色と同じ色をしておりました。
タダモリは目を見開きます。
すると、歌人が鬼火たちに呼びかけました。
『皆々様、今日もタダモリ様から新しい題をいただきましたよ。どなたか首と身体が繋がっていた頃に題に合う歌を作った方は居りませぬか』
すると鬼火の一つが歌人の下へやってまいりました。
そうして炎はぼうっと燃え上がり、首の姿に変容いたしますと、一首を詠んだのでございます。
その土地神には牙と耳が生えておりました。
「お、お前は! 先日首塚にしまった土地神の首ではないか!」
タダモリは驚愕の声を上げました。
『左様で御座います。これこそが私の和歌を作る秘密なのです。貴方がたが神狩りをすればするほど、私はよりたくさんの歌を詠むことが出来る。私はその中から極上の一首を貴方様にお届けするのです』
鬼火の冷たい光に照らされた一つ目がにいっと嗤います。
『私は首を狩られた土地神の皆々様に提案したのです。身体を失った貴方達の代わりにタダモリ様に歌を世に出してもらいましょう。土地や身体を取り戻せないなら、せめて後世に伝わる和歌集の一頁一頁を私達の歌で埋めてやりましょう。私達の生きた証を私達を殺した人の手を使って遺してやりましょう、と』
タダモリは聞きました。
くすくすけたけたと無数の笑い声が闇夜に響いたのを。
『皮肉なことでございますねぇ。貴方が歌会で詠み、多くの赤の都人が耳を傾けている和歌は貴方が滅ぼした土地神達の呪詛なのですよ』
彼はすうっと血の気が引いていくのを感じました。
まるで身体を乗っ取られたような面持ちがしたのです。
『今、赤の大王(おおきみ)の命で勅撰和歌集に載せる歌を選んでいるのだとか。私達の歌は何首載るのか……楽しみなことですね』
ああ、なんということでしょう。
自分達が滅ぼした者達、滅ぼしたはずの者達に自分は操られていたのだろうか、と。そんな恐ろしさにかつての武人は駆られたのでございました。
そうして彼は目に焼きつけました。影の歌人の姿が変わっていく様をその目に焼き付けたのでございます。
歌人の髪の毛がばっさりと落ちると、着物はみるみるうちに身体を覆う帯に変わりました。灰色の帯に隠された顔には大きく光る目玉が一つ乗り、赤々と輝いていました。そうしてもはや人のものではない大きな腕のその指がタダモリを指し、こう言ったのでございます。
『ご存知ですかタダモリ様、私が仕えているのは貴方様だけではございませぬぞ。歌会のあらゆる場所で私達の歌は詠まれています。貴方がたは夜の宴を開くたびに獣達の、土地神の首を持ち寄って競わせているのです』
一つ目が赤く爛々と輝きました。
タダモリはぐらりと視界が揺れて、意識が遠くなったような気がいたしました。
そうして気がつけば朝でありました。
タダモリは汗をぐっしょりとかいて、布団の中で横になっておりました。
権勢を誇ったタダモリ。
けれど彼はほどなくして政治の一線から退いたと伝えられています。
噂によると後の日の歌会にて彼は恐ろしいものを見たのだそうです。
夜の歌会、自分に相対して並ぶ貴族達、自分の陣営の高貴な身分の者達、その両方の幾人かの持つ短冊が、狩り獲ってきた土地神の首に見えたというのです。
彼は恐ろしさに震え、それでもなんとか自身の一首を詠もうといたしました。
けれど歌の代わりに響いたのは悲鳴でした。
短冊に書かれた一首を読み上げようとした時、手に持つ短冊が一つの首に変じたと云うのです。
獣の首はタダモリの顔を見て、にたりと嗤ったそうです。
それは昔むかしのことです。
まだ多くの獣達が人々と話すことが出来た頃のお話です。
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日は溶けて 暗き色へと 落ちぬとも 明けぬ夜なし 暁の空
世は様々な色の神々の時代から、暗き色(=赤と青)によって蹂躙される暗黒の時代へと入った。けれど日が昇るように、明けぬ夜はないように、いつかの日か再び我らの世が訪れるだろう。
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