■いつか決勝の舞台で



 いつか決勝の舞台で。ポケモンリーグ決勝の舞台で。
 それが僕らの約束だった。


 この部屋には大きなモニターがあって、今スタジアムで起こっている出来事をリアルタイムに僕に伝えてくれる。
 ソファーに座ったまま、僕はそれをぼんやりと眺めていた。
 鳥が羽ばたき風を起こす。花の化生が花弁と共に舞う。水を司る者は波を起こし、北に住まう者は地を凍らせる。
 このモニターは様々な夢を映し出してきた。
 僕らもそんな夢に魅せられた多くの子どもの一人だった。



「俺はススム。お前の名前は?」

 まだろくに世界の広さも知らない子どもの頃、ふと僕の前に現れた君はとても輝いて見えた。
 どちらかと言えばおとなしくて引っ込みじあんだった僕を君はよく外へ連れ出してくれた。
 ポケモンというものを僕に教えてくれたのは君だった。
 ポケモンリーグ放送の時間になるとふたりで齧りつくようにテレビを見たっけ。
 そのうちに君は最初のポケモンを手に入れた。
 羨ましかった。
 僕も君に遅れをとるまいと思って、父に頼み込んでなんとか知り合いのブリーダーのツテでポケモンを譲ってもらったんだ。
 僕らは最初のポケモンで何度も何度もバトルした。
 三回やったら二回は負けたかな。勝率は君のほうが上だったね。実は結構くやしかった。
 同時に君は僕のあこがれだった。君はいつも僕の前を走っていた。



「アユムさん。そろそろ準備をお願いします」

 画面を眺め、思い出に浸る僕にスタッフが声をかけてきた。
 そうか、もうそんな時間か。

「ああ、ありがとうございます。場所は第三スタジアムでしたよね」
「はい、第三スタジアムです。三十分後にスタートになりますので」
「わかりました」

 僕は手荷物を確認すると、ソファーを立つ。


 
 僕らはバトルの後には夢を語り合った。
 トレーナーとして旅立ったら、しばらくバトルはお預けな。
 僕らは別々にバッジを集めて回ろう。そうして八つのバッジを集めよう。
 再開はポケモンリーグ。
 そうしたら決勝で戦おう。

 ――そう僕らは約束した。


 けれどその夢は叶わなかった。
 夢の途中、君は突如戦線を離脱した。


「どういうことだよ! 説明しろ」

 僕があんなに声を荒げたのは後にも先にもこの時だけになるだろう。
 ススムはうつむいて黙ったままだった。

「トレーナーをやめるってどういうことだよ!」

 ススムは僕の前に様々な理由を並べ立てたけど、そのどれもが到底納得できるものではなかった。
 だって。だって約束したじゃないか。

「……ごめん、アユム」

 約束したじゃないか!
 二人で強くなろう。
 強くなって、バッジを八つ集めてこの地方のリーグに出よう。
 そうして決勝の舞台で戦おうって。
 それなのに、それなのに……。

「ヒリューもヒエンも進化したばかりじゃないか」
「…………」
「なんとか言えよ」

 進化したばかりの相棒を申し訳なさそうに見て、ススムは黙ったままだった。

「……勝手にしろ」

 僕はススムに背を向けて、ポケモンセンターを飛び出した。

「裏切り者!! もう君の顔なんて見たくない」



「本番の前に規定をもう一度確認ください。土壇場で失格になっては元も子もありませんから」

 ガイドラインを渡して案内役のスタッフは言った。
 ぱらぱらと冊子をめくりながら、僕は別のことで頭がいっぱいだった。
 あれからススムには直接会っていない。
 聞いたところによると家族もろともどこか遠くの地方に引っ越したらしい。
 ひどい分かれ方だった。

 旅をして、旅を続けて、多少なりとも世界の大きさを知った今ならわかる。
 世界には様々な人がいて、一人一人に大切なものや事情があること。
 誰もが一様に夢に向かいまっすぐ進める訳では無いこと。
 僕は自分が思っているよりも多くを持っていて、何よりも境遇に恵まれていたこと。
 あのころの僕は自分の感情ばかりで融通の利かないクソガキだった。
 もっと他に言うことがあったろうに。
 かけるべき言葉があったろうに。

 僕は腰のベルトにあるモンスターボールに触れる。

「時間です。ご武運を」

 スタッフはそう言って、スタジアムに続く扉を開けた。
 数百、数千の歓声が耳に響いた。
 眩しい。何十ものスポットライトがあたって、僕の顔が大きくモニターにいくつも映し出される。
 ポケモンリーグ。夢の舞台。
 まばゆい光と共に記憶がフラッシュバックする。



 あの日、バッジを4つくらいとった頃、ひさびさに実家に帰ったあの日、母が僕に小包を渡してくれた。
 僕の帰宅を予感するかのように二、三日前に届けられたのだという。
 送り主も書いていなかったし、手紙もついていなかった。
 ただ、小さな箱の中に何かが一つ、ごろんと転がっていた。
 僕はそれが何であるか何となく直感でわかったのだった。
 「中身を確認」して僕の直感は確信になった。

 ああ、そうか。
 これが君の精一杯の「答え」なんだね。



「さあ、第三スタジアム二試合目です。一試合目の興奮冷めやらぬ中、盛り上がって参りました!」

 審判が高らかにフラッグを上げる。
 僕は両手に一つずつ掴んだ二つのモンスターボールを放り投げた。

「はじまりました! ポケモンリーグダブルバトル部門一回戦、第二試合のスタートです!」

 大きな影が二つ、翼を広げてスタジアムを旋回した。
 機械の球から飛び出したのは、赤い竜と青い竜。

「行くぞ。ヒリュー、ヒエン」



 行こう。

 いつか描いた夢とは少し違ってしまったけれど。
 共に行こう。決勝の舞台へ。