■ピジョンエクスプレス
1.カケルの悩み
カケルは鳥ポケモンが大好きだ。
十歳になって取り扱い免許をとった彼が最初に捕まえたのは「ことりポケモン」のポッポだった。
カケルはポッポにアルノーという名前をつけ、アルノーと旅に出た。
旅先でアルノーと一緒に、ホーホーやオニスズメを捕まえた。
次にドードーとネイティを捕まえた。
今度はヤミカラスやカモネギ、デリバード、エアームドも捕まえに行こう。
まだ見ぬ鳥ポケモンたちのことを考えてわくわくした。
そして、カケルにはもうひとつ楽しみにしていることがあった。
進化だ。
ポッポが進化するとピジョンになる。
体が大きくなって力も強くなるし、何よりカッコよくなる。
特に頭の羽飾りの美しさはこたえられない。
それにアルノーはいつも一番に出して戦わせてるんだ。
進化のときも近いに違いない。
カケルはアルノーの進化後を頭の中に浮かべ、今日か明日かとその日を待っていたのだった。
が、カケルの予想に反して最初に進化したのはオニスズメだった。
首とくちばしがぐんと長くなり、頭に立派なとさかがついた。
背中にはふさふさの羽毛、立派なオニドリルになった。
次に進化したのはホーホーだった。
体つきは立派になり、貫禄のあるヨルノズクになった。
コイツに睨まれたゴーストポケモンはふるえあがるだろう。
そして、二つあった頭が三つに増えてドードーがドードリオになった。
以前にも増してギャーギャーうるさくなったのが玉にキズだが、
攻撃力も数段アップしてポケモンバトルではたよれる存在だ。
と、いうわけで、アルノーより後に捕まえた三羽が先に進化、という結果になった。
なんだか予定外の順番になってしまったなぁと、カケルは思ったが、「まぁいい、きっと次に進化するのはアルノーさ」と気楽にかまえていた。
が、次に進化したのはネイティだった。
ネイティオになった彼は、カケルより背が高くなって、ますます異彩を放つ存在になった。
目つきだけは前と変わらない。
進化前と同じようにいつも明後日の方向を見つめている。
こうして進化を待つ手持ちはアルノーだけになった。
カケルは待った。
アルノーはまだピジョンにならない。
カケルはその日を待ち続けた。
けれどその日は待っても待ってもやってこなかった。
――もしかしたら体のどこかが悪いのではないだろうか。
ポケモンセンターで詳しく調べてもらったが、どこにも異常は見あたらなかった。
むしろ健康そのものだと言われた。
「そうあせらないで。気長に待つしかないよ」
先輩トレーナーのとりつかいはそう言ったが、カケルの心は晴れなかった。
「何事にも適した時期というものがある。今はまだそのときじゃないんだよ」
「じゃあいつそのときになるの」
「うーんそうだなぁ、鳥ポケモンにでも聞いてみたら」
先輩トレーナーのとりつかいは苦笑いしながらそう言った。
「ねえ、アルノーはいつ進化するの」
オニドリルに聞いたら長い首をひねって「さあ?」という顔をされた。
「ねえ、アルノーはいつ進化するの」
ヨルノズクに聞いたら首を傾げるだけだった。
「ねえ、アルノーはいつ進化するの」
ドードリオに聞いたら、三つの頭が互いに目配せして困った顔をした。
「ねえ、アルノーはいつ進化するの」
ネイティオにも聞いたが、明後日の方向を見つめるばかりで、聞いちゃいなかった。
「ねぇ、お前はいつ進化するの」
アルノー本人にも聞いてみたが一言、「クルックー」と言っただけだった。
「……大真面目に聞いた僕がバカだったよ」
カケルは自分の言動がばかばかしくなってきた。
――何事にも適した時期というものがある。今はまだそのときじゃないんだよ
先輩トレーナーの言葉が頭の中にこだました。
焦ったってしょうがない、まだ時期ではないのだ。
少々ふっきれなかったがそう思うことにした。
どうしようもない。
気がつけばもう夕方だった。
オレンジ色に染まった空をヤミカラスが「アーアー」と鳴きながら飛んでいく。
沈んでいく夕日を眺めながらカケルはつぶやいた。
「…たまには家にでも帰ろうかな」
…と。
2.帰宅
カケルの実家はジョウト地方の大都市、コガネシティにある。
ジムあり、デパートあり、ラジオ局あり、ゲームコーナーあり、ありとあらゆるものが揃って、現在も発達し続けている街だ。
近々、カントーヤマブキシティ行きのリニアも開通予定だった。
コガネシティにはいくつもの高層マンションが熱帯雨林の高木のように建っている。
カケルはその高層マンションの一つに向かって歩いていった。
入り口まで行くとサーッと自動扉が開く。
入った先、一階は自由に使えるフロアになっており草木が植えられ、置かれたテーブルを囲んでマンションの住人が話し込んでいる。
その先には久しぶりのエレベーター、カケルは中に入って「10」のボタンを押した。
数ヶ月ぶりの息子の帰宅を母親は喜んで出迎えた。
夜は食べきれないほどのごちそうが並べられ、手持ちポケモンを総動員して平らげた。
おなかいっぱいになると、母親にみやげ話をせがまれた。
それもひと段落してカケルはソファにゆったりと腰を下ろすとリモコンからテレビをつけた。
ポケモンたちも画面を見つめる。
四角い箱の中で人々がおもしろおかしくやりとりをしているのが見える。
そういえば、最近テレビなんか見ていなかったなぁ。
自分の膝の上で羽毛をふくらませるアルノーを撫で回しながら、カケルは懐かしさを覚えた。
なんだかんだで我が家とはいいものだ。
「そうそう、あなた宛にいろいろ届いているわよ」
カケルとアルノーが目を細めてウトウトしはじめ、
ドードリオとオニドリルがリモコンの操作方法を覚えて主導権を争い始めた頃、
母親が封筒の山をかかえて持って入ってきた。
目の前のテーブルに母親はバサリと封筒の山を置くと
「もう寝るから、あなたも鳥さんたちも早く寝なさいね」
と言ってあくびをしながら去っていった。
まさかこの封筒の山、僕が旅立った当時から貯めてるんじゃないだろうな…カケルは眠い目をこすりながら封筒の封をやぶり中身を見始めた。
ほとんどはくだらないダイレクトメールだった。
カケルは内容を確認してはクシャッと中身を丸くしてゴミ箱へと投げた。
差出人を見ればだいたい検討はつくのだが、ついつい確認してしまうのは貧乏性だからかもしれない。
丸めた紙は、たまにあさっての方向を見つめているネイティオに当たってしまったが、当のポケモンは気にしていない様子だった。見るとネイティオの横で、ヨルノズクがどこからかひっぱりだしてきた雑誌のページを器用に足とくちばしでめくって、中を覗いては首をかしげている。カケルは作業を続行する。
そうしてダイレクトメールの山は次第に低くなり、丘になり平地になった。
最後に、茶色い封筒1つが残された。
それは、ダイレクトメール…というよりはごく親しい友人に宛てた手紙のような封筒であった。
が、宛先は書いてあるのに差出人名がない。
いったい誰からだろう? カケルは封をやぶいて中に入っていた明るいクリーム色の紙を開いた。
紙にはこう書かれていた。
“アマノカケル様
この度は当社のリニアの開通イベントにご応募くださいまして、誠にありがとうございました。”
カケルはぼりぼりと頭をかいた。
――ああ、そういえばそんなイベント応募したっけなぁ。
すっかり忘れていた。
たしかリニアに往復でタダ乗り、さらに有名シェフの豪華なコース料理がふるまわれるんだっけ。
ついでにリニアのフリーパスをプレゼント、とかいう話じゃなかったろうか。
と、カケルは記憶をたぐりよせた。そして、
ん? ちょっと待て。もしかして当たったのか? と、カケルは少し期待した。
“ですが、非常にご好評いただきまして多数の応募をいただいた結果、
残念ながら、あなた様をご招待することができません。”
…なんだ、ハズレか。カケルは少しがっかりした。
“そこで当社では抽選にもれた方の中からさらに厳正なる抽選を行い、
カケル様を特別イベントにご招待することに致しました。
下記の日時に同封した切符を持って、西コガネ駅へおいでください。”
同封の切符? カケルは切符を確認しようと手紙を握る腕をおろした。
いつのまにか封筒を落としていたらしく、アルノーが落ちた封筒に頭を突っ込んでゴソゴソと中を漁っていた。
やがて、アルノーは封筒の中から濃いピンク色の切符を取り出した。
「クルックー」
アルノーはカケルのひざにピョンと飛び乗ると切符を渡してくれた。
“5月16日朝6時、西コガネ駅南口集合(雨天決行)。
ただし諸事情により手持ちポケモンの持込は禁止しておりますのでご注意ください。”
“それでは、カケル様にお会いできるのを楽しみにしております。”
3.出発の朝
鳥ポケモンの朝は早い。
昨日の夜あんなに騒いでいたのにもかかわらず、カケルは鳥ポケモンたちの騒ぐ声に起こされた。
目覚まし時計を見ると四時五十分。鳴りだす十分前だった。
カケルは目覚ましのアラームを解除して、部屋を出るとトースターにパンをセットした。
その間にパジャマを着替える。
ちょうど上着に頭を通したところでトースターが「チン!」と鳴った。
焼きあがったトーストにミルタンクの乳で作った特製のバターを塗り、朝食にした。
母親はまだ寝室でグーグー寝ている。
カケルはトーストを食べ終わると、リュックからポケモンフーズを取り出し、大きな器に山盛りにした。
「お前たち」
カケルが言うとネイティオ以外の六つの顔がこちらを向いた。
「僕、今日は一人で出かけるから好きに過ごしていて。部屋の窓はあけておくから」
そしてドードリオに向かってこう言った。
「君たちは外に出たくなったら、自分らで扉をあけて下に下りること」
三つの顔がうなずいた。
こいつらは”三匹”で連携してたいていの事はできてしまうのだ。
そして、カケルは自分の足元を指さすとこう言った。
「お腹がすいたら食べ物はここ。足りなかったら母さんに言うこと」
準備は出来た。
すっかり身支度を整えたカケルは玄関で靴紐を結びはじめた。
そうして、靴紐を結んでいるとアルノーの羽音が近付いてきた。
「なんだい?」
「クルー」
アルノーのくちばしには濃いピンク色の切符が挟まれていた。
「ああ、これこれ! 大事なものを忘れるところだったよ!」
カケルはアルノーから切符を受け取ってズボンのポケットにつっこんだ。
あぶないあぶないうっかり忘れるところだった、とカケルは思った。
「ありがとうアルノー。それじゃあ行って来るね」
カケルは扉を閉めた。
扉の隙間からだんだん細くなっていく玄関の風景とアルノーが見えた。
4.駅までの道
早朝のコガネシティは人気も少なく、太陽は昇ったばかりで少々寒い。
ときどき車が行き来したがまだまだ交通量は少なく、お店もひらいているのはコンビニくらいのものだ。
駅までにはだいぶん余裕があったが、カケルは早足で歩いた。
きっと自分は貧乏性だからだろうと思った。
大通りは静かだった。
新聞配達の自転車とすれ違ったが、他には誰とも会わなかった。
カケルは道を急いだ。
この大通りは緩やかな登り坂になっており、登りきると三つの道が出現する。
右にまっすぐ進めば西コガネ駅である。
もう少しで分かれ道だ、カケルがそう思ったとき、坂の上から誰かが言い争う声が聞こえてきた。
「まっすぐに決まっているじゃないか!」
「いいや右だね!」
「…左だと、思う」
坂を登りきって見てみれば、言い争っているのは三人の少年だった。
自分よりもニ、三歳くらい年下だろうか。
そして三人の顔を見みてカケルはびっくりした。三人とも同じ顔をしていたからだ。
三つ子ってやつか。
「ねえ、きみたちどうしたの」
カケルは同じ顔の三人組に尋ねた。
「駅に行きたいんだ」
「どこの駅?」
「西コガネ駅」
「こいつは左だって言うんだけど」
「あいつは右だって言うんだ」
「…まっすぐではないと思うけど」
「西コガネ駅には右に行けばいいんだよ」
カケルは右の道を指差した。
「ほら! やっぱり右じゃないか」
「うるせえ! 今度は駅まで走って勝負だ」
「いいとも! うけてたってやる!」
二人は駅に向かって走り出した。
「ま、待ってよう!」
最後の一人も走り出した。そして、すぐに三人は見えなくなってしまった。なんて足の速いやつらだ。
カケルは腕時計を見る。時間まであと三十分、ここからはゆっくり行こうと思った。
5.西コガネ駅
西コガネ駅に到着すると、そこにはたくさんの人々が集まっていた。
しかし、まだ駅の門は開いておらず、入り口付近に人ごみが出来ている。
カケルは入り口近くに立っている時計台の下で門が開くのを待つことにした。
「だから家を出るとき無理やりにでも引っ張ってくればよかったんだよ!」
「そんなこと言ったって、無理強いしたところでテコでも動かないでしょう。あの人は」
「これだから協調性のないやつは嫌いなんだ。だいたいいつもあいつは…」
「それよりさ、来るのかな」
「来ないかもしれませんね」
「人が首を長くして待っているって言うのに…もし来なかったらぶん殴ってやる」
「来なかったらぶん殴れないじゃないですか」
「おいおい、暴力はよくないよ」
カケルの前で三人の男達が話していた。どうやら待ち人があるらしい。
一番背の高い男は待ち人が来ないことにイライラしている様子だ。
真ん中の眼鏡の男は本を読み進めながらそのときを待っている。
三人目の一番小さな男はきょろきょろとあたりを見回している。
「おい、あと五分だぞ。本当に来るのかァ?」
「まぁ、期待せずに待ちましょう」
「あれ、むこうにいるの彼じゃないかな」
「本当だ。やっと来やがった」
「よかったじゃないですか。時間に間に合って」
「おーい、こっちだ! おーい!」
一番背の高い男が道の向こうを歩いている男を呼んだ。
聞こえているのかいないのか呼ばれた男は速度を上げることなくゆっくりと歩みを進める。
「あの野郎、何ちんたら歩いているんだよ!」
「まぁまぁ、時間通りに来ただけよしとしましょう」
「あ、僕、三つ子を呼んで来るね」
小さな男が出て行った。
三つ子ってさっきの子たちだろうか。
彼らの知り合いだったのか、とカケルは思った。
そうしている間に三人を待たせていた男が到着した。
一番背の高い男が怒鳴り散らし、眼鏡の男がまぁまぁと怒りを静めた。
遅れてきた男は気にする様子もなく無表情で無反応だ。
なんだかぼーっとした人だなぁとカケルは思った。
そして、一番小さな男が三つ子をつれて合流した。
するとちょうどよく時計台がボーンボーンと鳴って朝六時を告げた。
同時にギィーと音を立てて駅の門が開く。
どこからかアナウンスが聞こえてきた。
「皆様、本日は朝早くからようこそお集まりくださいました! 列車はこれより十分後に出発いたします。お早目の乗車をお願いいたします」
にわかに群集が動き出した。
駅の構内を見るとそこには黒く光る列車らしきものが見える。
あれがイベントに使う車両なのだろうか。
カケルはもっとよく見ようと背伸びをした。
「おい、アンタ」
突然、七人組の一番背の高い男が声をかけてきた。あの怒鳴っていた男だ。
僕? と言わんばかりに自分に指さすカケルに男は続けた。
「早くしないといい席とれないぜ」
そして、男は強引にカケルの腕をつかんだ。
「な、何するんですか!」
「お前を見ていてうっかり乗り遅れるんじゃないかと心配になってきた。オレ様がいい席にエスコートしてやるから付いて来い!」
「ちょ、ちょっと!」
戸惑うカケルを男は気にも留めない。
男に引っ張られながら後ろを見ると一番小さな男が申し訳なさそうにこっちを見た。
眼鏡の男はやれやれという顔をした。
遅れてきた男は無表情のまま黙っていた。
背の高い男が叫ぶ。
「おい、三つ子! お前らひとっ走りして席とっておいてくれ。一番前八人分な」
すると三つ子のうちの二人が目を輝かせた。
「よーし! どっちが早くつくか競争な!」
「今度は負けないぞ!」
二人は群集をかきわけものすごい勢いで走り出した。
「ま、待ってよう!」
残された一人も走り出した。
「よっしゃ、行くぞ」
背の高い男はカケルの腕をつかんだままぐんぐんと群集をかきわけて進んだ。
カケルは抵抗できないままどんどん群集の中を進む。そして、とうとう列車の前に立ったのだった。
さらに、列車を見てカケルは驚いた。
黒く光って見えていた列車は蒸気機関車だったと知ったからだ。
今どきこんな旧世代の乗り物がコガネシティにあろうとは。
「最新のリニアに対して、こっちはレトロに蒸気機関車、おもしろい趣向じゃないですか」
眼鏡の男が納得したように言った。
蒸気機関車かぁ、写真では見たことがあったけれど…カケルが感心して眺めていると、背の高い男がまだ叫んだ。
「さあ、乗った乗った! 三つ子が席とって待ってるぜ」
結局、背の高い男に無理やり席に座らせられたカケルは、この七人組と同席することになってしまった。
席は真ん中の通路を隔てて二人分ずつ並んでいる形式だ。
さらに、1列目と2列目、三列目と4列目…という風に席が向かい合っている。
そして、一番前の右側の向かいあった席にカケル、背の高い男、眼鏡の男、そして小さな男、左の向かい合った席には遅れてきた男と三つ子が座った。
なんだかおかしな展開になってしまったなぁとカケルは思った。
そんなカケルをよそに車内アナウンスが入る。
「えー、全員ちゃんと乗りましたね?乗れてない人は手を挙げてください。はい、いませんねー。それではこれより出発いたします!」
マイクの切れる音と同時にプシューっと列車の扉が閉まった。
ポオォォォッーーーーーーーーーーーーーーーー!
威勢よく汽笛が鳴って蒸気が噴出す。
シュシュシュシュシュシュシュ…
カケルの席に振動が伝わってきて列車が動き出した。
「皆様、本日はご乗車誠にありがとうございます」
ガタンガタン、ガタンガタン。
ゆれながらどんどん速度が増していく。
そして、アナウンスが続けた。
「”特急ピジョン”の旅、どうぞごゆうるりとお楽しみくださいませ」
6.車掌
窓は風景を切り取る額縁だ。
車窓はその風景がテレビアニメの動画のようにどんどんどんどん変化していく。
やがて車窓の風景は市街地から牧場へと変わってきた。若い緑の風景が一面に広がる。
その中にピンクと茶色の点がまばらに散らばっている。
あれはミルタンクとケンタロスだ。
ポオォォォッーーーーーーーーーーーーーーーー!
列車はますます煙をあげて速度を増していく。
一同はしばし、車窓の変化する風景に見入っていた。
「すっげー!」
「速いねぇ」
「僕らとどっちが速いかな」
席に座ってぼーっとしている遅れてきた男をよそに三つ子は身を乗り出して外の風景を眺めている。
「こらこら、あんまり窓から頭出しちゃいけませんよ」
本を読んでいた眼鏡の男がそれに気が付いて注意した。
「もう、あなたもこの子達と同じ席ならちゃんと監督してくださいよ」
「………」
遅れてきた男は無言で無表情だ。聞いていないのかもしれない。
「…あなたに期待した私がバカでした」
眼鏡の男はあきらめて、また本を広げて読み始めた。
「うおーすっげー! 速いなぁ!」
「速いですねぇ」
見ればこっちの席の背の高い男と小さな男も窓から身を乗り出している。
「ちょ、ちょっと、あなたたちまでそんなことやってるんですか。特にそこ、窓から首を伸ばしすぎです。どうなっても知りませんよ」
「うるせえなァ、だいたいお前はテンション低すぎなんだよ。もっと楽しめよ」
「余計なお世話です。私は私なりに楽しんでいるのです」
背の高い男に返されて、眼鏡の男はむっとした様子だったが、また本を開いて読み始めた。
カケルはカケルで彼らの観察を楽しんでいた。
まったく騒がしい人たちだ。
それによく見てみれば格好もなかなか個性的だ。
眼鏡の男は5月だというのに厚手のセーターを着込んでいるし、背の高い男は髪を赤く染めていた。
来ているジャンパーの襟はふさふさの毛に包まれている。
なんだか旅先でバトルした暴走族みたいだ。
町の裏道でこんなのにからまれたら怖いだろうなぁ…。
それに比べると小さな男はきわめてノーマルだ。
ニ人が個性的過ぎるのかもしれないが。
カケルがそんなことを考えていたら、今度は目の前の運転席の扉が開いてこれまた派手な男が顔を出してカケルは驚いた。
耳がやけにとがっていて、濃いピンク色に染まったロングの髪は後ろで一つに結んでいる。
目から頬にかけて歌舞伎役者の隈取のような黒いペイントがしてあって顔のほうもなかなかの美形だ。
ビジュアル系とでも言えばいいのだろうか。
男はこちらの目線に気が付ついたらしくにっこりと微笑んだ。
「楽しんでおられますか」
「…は、はい」
カケルは緊張しながら返事をした。
同時に車内アナウンスはこの男の声であると理解した。
座席のメンバーも彼に気が付き、注目する。
「誰だいアンタ」
切り出したのは背の高い男だった。
「この列車の車掌をしております」
男はそう言うと鉄道員であることを示す帽子を頭にかぶった。
「…ふうん」
なぜか背の高い男は車掌に興味津々だ。しばし車掌を鋭い目つきで観察し言った。
「アンタ、なかなかできるな?」
「あなたのような方にはよく言われます」
「どうだい、ひとつ勝負してみないかい?」
「ちょっと! やめてくださいよこんなところで」
眼鏡の男が慌てて口を挟んだ。
「冗談だって。そうヒステリックになるなよ」
「私はヒステリックになってなどいません」
眼鏡の男はもういいとばかりに読書に舞い戻ってしまった。
「でも…アンタとひと勝負してみたいのは本当だぜ」
車掌をにらみつけ、背の高い男はニヤリと笑った。
「そういう機会がございましたら」
車掌もにっこりと笑った。営業スマイルであっさりと挑発かわしたようにも見えたが、なぜかカケルには
「いつでもどうぞ。けど、負けるつもりはありませんよ?」
と言ったように見えたのだった。
「では仕事がございますので」
車掌はそう言うと奥へと去っていった。
本当に変なイベントだなぁとカケルは思った。
あんな格好した車掌なんて見たことがない。
そういう趣向のイベントなのだろうか。
カケルは席の背もたれに隠れるようにしてしばし、車掌の様子を観察した。
車掌は奥の客と挨拶を交わしながら次第に奥へ奥へと進んでいった。
ふと横を見ると、隣に座っている小さな男も席の背もたれから半分顔を出すようにして車掌を熱心に観察しているではないか。
小さな男はカケルの視線に気がつくと一言、
「…カッコイイ人でしたね」
と、言った。
人の価値観は見かけによらないものだと思った。
7.食事のメニュー
太陽はずいぶん上に昇って、車窓が切り取る風景は草原から森に変わった。
列車は森の中に立てられた高い鉄筋の線路の上を走っており、濃い緑の風景を一望することができる。
たまに列車の窓際を、ヤンヤンマがすっと横切ったり、遠くにバタフリーの群れが見えたりしてそのたびに三つ子が歓声をあげた。
さらに先に青く光るものが見える。
たぶんあれは海だ。
カケルは少しばかりおなかがすいてきた。
そういえば朝食はトースト一枚だった。
そこにちょうどよく車内アナウンスが入る。
「えー、ただいまより車掌が食事を配ってまわりますので、座席に座りましてお待ちください。なお、今回は無料でのサービスとなっております」
すると車内から歓声が起こった。
「車掌さん車掌さん、はやくはやく!」
「こっちこっち!」
後ろの座席からそんな会話が聞こえてきてやけに興奮しているようだった。そんなに空腹だったのだろうか。
「くっそー、一番後ろからかよ。早くこっちに来ねぇかなぁ」
「私たちは一番後になるでしょう。まぁ、ゆっくり待ちましょう」
背の高い男がぼやくと、眼鏡の男が本のページをめくりながらそう言って落ち着かせた。
「で、さっきから何を読んでいるんだ」
「昔、カントーのもっと北に住んでいた作家の作品集です。彼はいい文章を書いた。残念ながら若くして病気で亡くなってしまいましたが」
「へ、へぇ…」
「今読んでいるのは銀河を走る列車のお話です。彼の作品ではこれが一番有名ですね。あなたも一度読んでみるといい」
「……。…いや、オレはいいわ」
そんな会話をしているうちに車掌がガラガラと料理を乗せたカートを引いてやってきた。
列車の進行方向一番前。
ここが最後のグループだ。
一人を除いて全員がカートに注目する。
「やあ、みなさん。お待たせしてすみませんね」
「おう、待ちくたびれたぜ。で、何を食わせてくれるんだい?」
背の高い男が言うと、車掌はそう言ってくれるのを待っていましたとばかりににっこりと微笑んだ。
そして、
「本日は世界の豆料理をご用意してございます」
と、言った。
「豆料理だぁ?」
背の高い男なんだそりゃという顔をしたが、対照的に小さな男が目を輝かせた。
「僕、豆は大好きなんです! 何があるんですか」
「豆のスープにインドムング豆のカレー、ひよこ豆のギリシャ風煮込み、もちろん豆腐や納豆、他にもいろいろご用意してございます」
「うわあ、何にしようかなぁ!」
小さな男は興奮して声をあげるとますます目を輝かせる。
車掌は料理を覆っていたのドーム状の銀蓋をあけてみせた。
「本当に豆ばかりですね…動物性タンパクはないのですか」
すかさず中身を覗き込んで、眼鏡の男が尋ねる。
「動物性タンパクはございませんが、おからでつくったハンバーグをご用意してございます。豆は畑の肉と言われますし、そちらにされてはいかがでしょうか」
「……」
こうして各人は思い思いの料理を受けとった。
遅れてきた男だけはうんともすんとも言わなかったので車掌は残った豆腐の皿を彼の横に置いて「それではごゆっくり〜」と言って去っていった。
去っていく車掌の周囲で他の乗客たちが「うまいうまい」と言いながら食事を取っている。
その様子を通路に体を乗り出して観察するカケルの背後で背の高い男がぼやく。
「なんでここで出されるのは豆料理ばかりなんだ?」
「汽車が蒸気を出して走る音を表す語、もしくは汽車そのものを”ぽっぽ”と言います。
それでこの列車には早く走って欲しいとの願いからポッポの進化系である”ピジョン”の名が付けられたそうです」
「つまりなんだ…ポッポだから豆、そういうことか」
「…おそらくは」
背の高い男と眼鏡の男は互いに顔をあわせて苦笑いするとため息をついた。
カケルが体勢を元に戻して隣を見ると、小さな男が他の乗客と同じようにうまそうにギリシャ風煮込みを口に運んでいた。
カケルも料理に手をつけた。
そして、豆料理を味わいながら、節分の日に撒こうとしまっておいた福豆をアルノーが全部食べてしまったのを思い出したのだった。
8.切符
それにしてもおかしな小旅行になってしまったものだ。
駅では得たいの知れない男に捕まって、これまたよくわからない七人組と同行することになり、乗ってみれば車掌はビジュアル系の変な人だし、食事に関しては世界の豆料理ときたもんだ。
まぁ、味は悪くなかったけれど…と、刻々と変わる窓の外の風景と、列車の走行音を聞きながらカケルは今までの出来事を振り返った。
そしてカケルにはもうひとつ、気になることがあった。
動向している七人は何も言わないけれど気にならないのだろうか。
「あ、あのう、」
眼鏡の男は読書に夢中だし、背の高い男に聞くのは気が引けたので、隣の窓の外を見ている小さな男にカケルは遠慮がちに声をかけた。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど…」
カケルの呼びかけに応じて小さな男がこっちをふりかえった。
が、カケルが話を切り出すよりわずかに早く車内アナウンスが入った。
「ご乗車のみなさん、これより車掌がお客様の席を回り切符を拝見いたします。お手持ちの切符を準備してお待ちください。これより車掌が切符を拝見して回ります」
切符……。
カケルはポケットに手をつっこんだ。
すると厚紙に触ったのがわかった。
今朝、アルノーが渡してくれた切符だ。
あやうく忘れるところだった。
「そういえば、乗るときはチェックしませんでしたよね」
本を読みすすめながら眼鏡の男が言った。
「してないな」
「してませんねぇ」
背の高い男と小さな男が相槌を打った。
そう言われてみればそうだ。
いい加減な鉄道会社だなぁ…と、カケルは思った。
「いいんじゃないの。なくて途中下車でも乗ってる連中は困るまい」
「それもそうですね」
「いざとなったら窓から降りたっていいんだしな」
「…それはちょっと危ないんじゃあ」
ちょっとどころじゃないだろう…とカケルは思ったが、口には出さないことにした。
「なぁに、この程度のスピードなら」
背の高い男は車窓の外を仰ぎながら自分ならできるとばかりに言った。
一方で眼鏡の男の関心は通路を挟んだ反対側の席に移された。
「三つ子たち、切符はちゃんと持っていますね?」
「持ってるよ」
「持ってる」
「持ってるに決まってるだろ!」
三つ子がいっせいにこっちを向いて即答したので、眼鏡の男は遅れてきた男に声をかける。
「あなたは大丈夫でしょうね?」
「……」
「…大丈夫でしょうね?」
「………」
「やっぱりいいです」
眼鏡の男はあきらめて、また読書へと戻っていった。
そして、「ま、いざとなったら窓から下車してもらいますから」と、付け加えた。
また窓から下車? きっとこの人達共通の冗談みたいなものだと思うが、この人も何を考えているのかわからない。
遅れてきた男の様子も見てみたが聞いちゃいないという感じだった。
「やあやあみなさん、お待たせしました」
そうこうしているうちにまた車掌がやってきた。
アナウンスしたり、食事を運んだりこの列車の車掌は忙しいようだ。
「それでは切符を拝見いたします」
車掌がそう言うと、各々が切符を取り出した。車掌は順番に切符に目を通す。
三つ子がピンク色の切符を取り出して見せ、車掌は「確かに」と言った。
車掌が遅れてきた男を見ると男の膝にいつのまにかピンク色の切符が置かれていた。
眼鏡の男が持っていた本の一番最後のページを開くとそこにはピンク色の切符が挟まっていた。
背の高い男も上着の内ポケットに手をつっこんで、「あいよ」とピンク色の切符を取り出した。
「あなたは?」
車掌がカケルを見て言った。
カケルもポケットからピンク色の切符を取り出して見せる。
「確かに。さて最後はあなたです」
カケルの切符を確認すると、車掌は小さな男に言った。
小さな男も切符を取り出し車掌に見せた。
「確かに」
見ると、小さな男の手には茶色い切符が握られていた。
「…きみのだけ茶色い切符?」
思わずカケルは口を開いた。
「ピンク色と茶色では行ける距離が違うのです」
と、車掌が答えた。
同乗している七人中六人はカケルと同じピンク色の切符だ。
小さな男の切符だけ特別なのか。
「この茶色い切符は特別なのですか」
「いいえ、むしろ特別なのはピンク色のほうです。この列車でピンク色の切符を持っているのはあなたたちだけです」
そう言って車掌は列車の後方を仰いだ。
後方の席ではその他大勢の乗客たちがしゃべったり、ぼうっとしたり、昼寝したりして思い思いの時間を過ごしている。
そして、この乗客たちはみんな茶色い切符ということらしい。
いったいこれはどういうことだろう。
カケルはもっていたピンクの切符をポケットにしまうと、仕切りなおした。
「ねえ、どうしてきみのだけ切符が違うの?」
カケルが小さな男に聞いたそのときだった。
突然ガタっと車両が進行方向前のめりに傾いて、カケルはあやうく向かいの眼鏡の男にとっしんしそうになった。
直後、体がふわっと浮かんだような感覚にとらわれた。
同時に車内からわあっと歓声が起こる。
「すっげー!」
「飛んだ!」
「飛びやがった!」
三つ子も歓声をあげた。彼らの視線は窓の外、しかも列車の後方に注がれている。
見ると、背の高い男、小さな男、眼鏡の男までが窓の外に注目している。
みんな何をそんなに興奮しているんだろう。
カケルは体勢を立て直して「ふうっ」と座席に腰を下ろした。
すると、背の高い男がこっちを向いて叫んだ。
「おい、お前」
「はい?」
「はいじゃない! お前気がついてないだろ」
「何がです?」
「何がですって、飛んでるんだぞ」
「それがどうかしたんですか」
「どうかしたって、普通なんかこう反応ってもんがあるだろ」
やっぱりわけのわからない人だ、とカケルは思った。
切符が無い奴は窓から途中下車とか言ったあげく、ついには列車が飛んでいるとまで言い出すか。
やれやれ…カケルはため息をついた。
が、次の瞬間、カケルはその考えが"おかしい"ことに気がついてしまった。
それに気がついたとき、カケルはもう窓の外に身を乗り出していた。
「………、……」
カケルは絶句した。
びゅうびゅうと上向きの風が通り過ぎて、カケルの前髪をかきあげる。
列車後方に広がる風景は、キラキラと輝く青い海だった。
そして、その海上に列車の走る鉄橋があるのだが、その鉄橋は途中でぷっつりと切れているではないか。
今乗っているこの列車はまるでその切れた鉄橋から空に向かって伸びる線路の続きがあるかのように宙を走っている。
「えー、アナウンスが遅れましたことをお詫び申し上げます。当列車はただいま離陸いたしました」
カケルのとなりでマイクを持った車掌は平然とアナウンスした。
ああ、あのさっきの体の浮き上がるような感覚は離陸時のものか。
カケルはそこまで理解するとふらふらと自分の席に舞い戻った。
それに気がついた車掌はカケルと目を合わせるとにっこりと微笑んだ。
「当列車の名物、離陸は楽しんでいただけたでしょうか」
「…なんというか、びっくりしています。状況を受け入れるまでもう少し時間がかかりそうです」
「あなたのような方はよくそう言われます」
「は、はぁ…」
あなたのような方ってどんな方だろう、とカケルは思ったが聞かないでおくことにした。
「まぁ、何かありましたら遠慮なくおっしゃってください。私は常に巡回しておりますので」
営業スマイルで車掌が続けた。
「じゃあ一つ聞いてもよろしいですか」
「何でしょう」
「さっきから疑問に思っていたことがあるのです」
「何でもどうぞ」
「西コガネを出発してからずいぶん経ちますけど、次の駅へはいつ到着するのですか」
カケルはさっきまで口にできなかった疑問をやっとすることができた。
「はい、次の駅へは雲を抜けたころに到着いたします」
車掌はそう言うと再びにっこりと微笑えんだ。
9.飛ぶ力
リニアは磁力を利用し推進力を得るという。
N極とS極が引き合う力と、N極とN極、S極とS極が反発する力により車両が前進するのだ。
ようするに磁石がひっついたり、ひっつくのを拒否する力、あれのでっかくしたバージョンだ。
ちょっと正確ではないかもしれないがカケルはそのように理解している。
それにくらべるとこの空飛ぶ列車は非常に不可解である。
一体どうやって飛んでいるのか。
旧世代の乗り物だと思っていたのにとんだどんでん返しをくらったものだ。
カケルはふたたび窓に身を乗り出して、鳥ポケモンの視点を味わった。
海と陸、陸の上には森や山、草原、そして町が点々と見えた。
「どういう仕組みで飛んでいるんでしょうか」
カケルは思わず、となりと向かいの席の乗客たちに聞いてみた。
「興味ないね」と背の高い男が言った。
「僕にはよくわかんないや」と小さい男がいった。
「”揚力(ヨウリョク)”という力はご存知ですか」
そう切り出してきたのは眼鏡の男だった。
「ヨウリョク?」
と、カケルは聞き返した。
「流れの中に置かれた物体に対して、流れに垂直方向に働く力のことを揚力と呼びます」
「……は、はぁ」
「簡単にいえば鳥が飛ぶための力ってとこでしょうか」
カケルがわかっていないようなので、眼鏡の男は言い換えた。
「そのヨウリョクで飛んでいるということですか」
「揚力を使って飛ぶのは鳥、乗り物なら飛行機ですが、揚力を得るには翼が必要です。よって揚力で飛んでいるわけではない」
「では、どういう力ですか」
「まぁ、聞きなさい」
眼鏡の男はそう言うと本のページをめくり、小説を読み進めながら話を続けた。
器用な人だなぁとカケルは思った。
「鳥はより多くの揚力を得るため翼を大きくし、より羽ばたくために筋肉を発達させます。ですがそれに伴い体重は三乗で重くなり……」
「………………」
「……つまり、翼を大きくして飛ぶ力を大きくしようとしても、飛ぶ力以上に体重が重くなるんです。だから、おのずと飛べる体重には限界が出てくる……わかります?」
「な、なんとか」
「これで鳥が体重何キログラムまでなら飛べるか、ということを計算すると15キログラムまでだといわれています」
「ええ!? それじゃあピジョンはどうやって空を飛んでいるんですか!」
カケルは思わず叫んだ。
彼の記憶によればピジョンの体重は30キログラム。
鳥が揚力で飛べる体重の2倍だ。
それどころか、ほとんどの鳥ポケモンはこの15キログラムボーダーにひっかかるではないか。
このあたりに生息する鳥ポケモンなら、ひっかからないのはポッポとオニスズメ、ネギなしのカモネギくらいである。
「つまり、彼らには揚力以外にも飛ぶための力が備わっているということです。それと同じような力でもってこの列車も動いていると思われます」
「なるほど、で、その力とは」
「それが何か…と聞かれると私にもうまく説明できないのですが」
「……はぁ」
なんだ結局のところよくわからないんじゃないか、とカケルは思ったが口には出さないことにした。
とりあえずその…ヨウリョクとやら以外の、鳥ポケモンたちが持っているらしいよくわからない力でもってこの列車は空を飛んでいるらしい。
なんだか鳥ポケモンに化かされている気分になってきた……しかし、化かすのが鳥ポケモンっていうのはいかがなものだろうか…キュウコンならともかく…。
カケルは自分の額の前あたりで煙とともにピジョンに化けるキュウコンを想像した。
そしてキュウコンは、ピジョンに化けるのにあきたらず、ピジョン姿のままマイクを持って
「えー、そろそろ雲の中をつっきるので窓を開けているお客様は、窓をお閉めくださるようお願いいたします」
と、アナウンスをはじめるのであった。もうめちゃくちゃである。
カケルは、そこでハッと想像の世界から抜け出した。
どうやら今アナウンスしたのは車掌らしいということに気が付いたからだった。
窓のほうを見ると、小さな男が窓を閉めようと手をつまみにかけているところだった。
10.雲をつきぬけて
最前列の窓はなかなかの曲者だった。
窓は両サイドのつまみをつまんで上下させるタイプで、開けるときはすんなりと上に上がったくせに、
いざ閉めようとするとちっとも言うことを聞かないのだ。
小さな男が閉めようとしたが、一センチくらいしか動かせず、
背の高い男と眼鏡の男がああでもないこうでもないと言い合いながら、残り四分の一まで閉めることに成功した。
最後にカケルがやってみたが一センチ上に上がっただけで逆効果だった。
「仕方ありませんね。このまま行きましょう」
四分の一と一センチ空きっぱなしの窓から目前に迫った雲を見て、眼鏡の男はそう言った。
「まぁ、少し寒いかもしれんがガマンしようや」
そう言ったのは背の高い男だった。
ようするに二人とも飽きたのだ。
なんだかんだ言ってこの二人の思考回路は似ているのではないかとカケルは思った。
小さな男のほうを見たらなんとなく目があってニ人は互いに苦笑いした。
列車は雲につっこんだ。
光りが遮られ急に車内はほの暗くなった。
「ひゅごぉおおお」なんて音を立てながら、四分の一と一センチ空きっぱなしの窓から冷やされた湿っぽい風が入りこんでくる。
それは列車の進行方向の逆方向に流れ込んできて、もろにとばっちりを食ったのは小さい男だった。
「だいじょうぶ? 寒くない?」
「だいじょうぶだよ」
カケルが聞くと、小さい男はあまりだいじょうぶでない顔で作り笑いした。
列車はスピードを上げ、なおも雲の中を走り続けた。
加速に伴って「ひゅごぉおおお」という音はますます強くなった。
そして、窓の外が光ったかと思うと「ゴロゴロゴロ」という雷鳴が聞こえて、四分の一と一センチ空きっぱなしの窓から、冷やされた湿っぽい風とともに、いよいよ雨粒が入り込んできた。
カケルが小さな男のほうを見ると、いよいよ両腕をクロスさせて反対の腕を手で押さえ、ぶるぶると震え始めた。
「だいじょうぶ?」とカケルは言いかけたが、どうみても大丈夫じゃなかったのでやめておいた。
向かい側のニ人もさすがにこのままでとか言うわけにもいかなくなり、再び曲者の窓と対峙することとなった。
雷がピカッと光った。閉じない窓との戦いが再び始まったのである。
「クソッ! なんなんだよこの窓は!」
「ははは、もう私達までびっしょりですねー」
「なんだか前よりもっとひどくなったような…」
四分の一と一センチ空きっぱなしどころか、ほぼ全開になった窓を目の前にして、服と髪をぐっしょり濡らした背の高い男、眼鏡の男、カケルはもう笑うしかなかった。
ちょっと上にしてから下げるのがポイントなんだよ…ああでもないこうでもない…とやっているうちに窓は閉まるどころかますます開いてしまい、ついにうんともすんとも言わなくなってしまったのだ。
小さい男が心配そうに三人を見つめる。
カケルは窓の外を見た。
雨が吹く込んでくる窓の外は灰色、雲の中だから当然先は見えず、ときどき雷の光があちらこちらから走り去っていくのが見える。
そういえば、こんな雲の中には伝説の鳥ポケモン、サンダーが住んでいるんだっけ、とカケルは以前読んだ本の内容を思い出した。
そうしてカケルは、また額の前あたりで想像をはじめた。
――流れる水蒸気の中にときどき大きな鳥ポケモンらしき影が見えている。
それこそは伝説の鳥ポケモンサンダーだった。
そして、その影は自ら光りだした。
放電したのだ。
サンダーのじゅうまんボルト。
「あ、いいこと思いつきました」
カケルはそこで我に返り声を出した。
「なんです、いいことって」
「となり側の席の人たちに手伝ってもらいましょう」
「…あ」
水滴が大量についてもはや使い物にならなくなった眼鏡をかけた顔で眼鏡の男、
びしょぬれの背の高い男、やっぱりびしょぬれの小さい男はマヌケな声をあげた。
窓の開け閉めの議論に夢中で通路を挟んだとなりの席の連中のことなんてすっかり忘れていたからだ。
四人はいっせいに彼らの方向に顔を向けた。
「……」
「……寝てるな」
「……寝てますね」
「……こんなに風がゴウゴウなって雷まで光っているのにのんきな人たちだ」
向かい側の席の窓はもちろんしっかり閉まっている。
そして三つ子が三人で同じイスに並んでぐーぐーといびきを掻いて、気持ちよさそうな顔をして眠りこけている。
こっちがあんなにギャーギャーさわいでいたのに。
四人は三つ子の向かいの席に視線を移す。
また雷が光った。
そこに遅れてきた男のシルエットが映し出される。
「…あ」
「一人起きている人がいましたね」
「たしかに起きてはいますけど」
「あー、やめとけ。そいつには何を言ってもムダ」
遅れてきた男は微動だにせずただ席に座っていた。
相変わらず明後日の方向を見つめていて何を考えているのかわからない。
「…大丈夫かなぁ」
「手伝ってもらいましょうよ」
「まぁ無理だとは思いますけど」
「まぁヒマつぶしにはなるか…よし、アンタが頼んでこい」
「僕が?」
「いつものパターンから考えて私達が言ってもムダでしょう」
「そうですね、カケルさんならあるいは」
「よし、やってみます!」
「おう、まかせたぞ」
カケルは遅れてきた男の前に進み出た。
二人が対峙する。
雷がまた光って二人のシルエットを映し出した。
見守る三人はごくっと唾を飲む。
「あ、あのう…」
カケルいかにも自信なさげに声をかけた。
「おいおい、大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないかもしれませんね」
「大丈夫だよ。カケルさんならできるよ」
また雷が光る。
「ま、窓を…窓を閉めてもらえないでしょう…か」
カケルは自信なさげに続けた。
遅れてきた男は微動だにしない。
やっぱだめかなぁ…っていうかこの人調子狂うなぁとカケルは思った。
「やっぱりだめか」
「まぁだめでもともとでしたし…」
背の高い男と眼鏡の男はやっぱりという顔をしてがっくりとうなだれた。
が、次の瞬間、小さな男が叫んだ。
「あ! 立ちましたよ!!」
「えっ!?」
また雷が光った。
二人の男が顔を上げたとき、遅れてきた男がカケルと向かい合って立っているシルエットが映った。
そして遅れてきた男はぐるんと顔を開いた窓の方向にむけると、身体を翻し、ずかずかと窓の前まで歩いてきて、つまみをぐっと押さえると、ススススーッと窓を降ろしてピシャっと閉めてみせたのだった。
それはひさかたぶりにカケルたちに平穏がもどった瞬間であった。
「え〜、みなさまぁ、大変お待たせいたしました。まもなく当列車は雲を抜けま〜す」
車掌のアナウンスが入ったのはその直後だった。
「ちっ、お気楽な野郎がここにもいたぜ」
と、背の高い男は舌打ちした。
ほどなくして列車は雲を抜け、車内には光が戻ってきたのであった。
11.空に浮かぶホーム
列車は雲の上を出て、その上を走り始めた。
さきほどの雷や雨風がうそのようになり、ただ暖かい太陽の光が窓ガラスをつきぬけてカケルたちの元へと届いた。
カケルは窓の外を眺めた。
青い空の下には地面の代わりに白い雲がどこまでも続いている。
事情を聞いたお気楽車掌は皆にバスタオルとドライヤーを貸してくれた。
皆はひととおり身体を拭くと、ドライヤーで髪の毛と衣服をかわかしはじめた。
車内にはさっき吹き込んできた冷たい湿った風に代わって暖かく乾いた風の音が響く。
ドライヤーで髪を乾かしながらカケルはふと思った。
どうして列車にドライヤーやらバスタオルが都合よくあるのだろうと……そしてカケルはひとつの結論に達した。
おそらくここはそういう席なんだと。
だからそういう時にそなえてブツが用意してあるのだろう。
現に客がこんなに困っていたというのに車掌はちっとも運転席から出てこなかった。
でも、口に出したら背の高い男が怒り出して、
車掌さんに「あなたのような方にはよく言われます」とか言って営業スマイルでごまかされて、
もっと背の高い男がヒートアップすると思ってカケルは言わないことにした。
ドライヤーはなかなか高性能で、わりと短時間で髪も服もすっかり乾いてしまった。
「服の乾き具合はいかがですか」
ほどなくして巡回していた車掌が後ろの車両から戻ってきた。
「は、はい。とてもいいです」
と、カケルは答えた。
「それはよかった」と車掌は笑顔で言うと、マイクを取り出しアナウンスをはじめた。
「え〜、まもなくポッポ〜、ポッポ〜、ポッポ駅に到着いたします。到着前に当列車は再びレール上に戻りますので少々揺れます。お気を付けください」
ポッポ? ポッポ駅なんて変な名前だなぁとカケルは思った。
ほどなくして、キキキキィーーッという音が列車の両サイドからして、かすかに火花の飛ぶのが窓ごしに見えた。
列車は少しガタガタと言ってやがて落ち着いた。
カケルは窓を開けると身を乗り出して進行方向を見た。
すると雲の中にレールが見え隠れしているのが見え、その先に駅のホームらしきものが浮かんでいるのが見えたのだった。
そのホームに近づくにつれて列車は減速し、ついにホームの横で止まった。
列車の右側の扉が一斉に開き、わらわらと乗客たちが降りだす。
「みなさま、本日はご乗車くださって誠にありがとうございました」
と車掌がアナウンスした。
「ぼくも降りなきゃ」
と、言ったのは小さな男だった。
小さな男は座席からひょいっと降りると、出口のほうにむかって走り出した。
「あ、僕も…」
カケルもなんとなくつられて席を立ち走り出そうとしたが、ぐっと何者かに後ろをつかまれ止められた。
振り向くとそれは車掌だった。車掌は、
「貴方はピンク色の切符です。次の駅までご乗車いただけます」
と、言った。
座席を見ると、背の高い男、眼鏡の男、遅れてきた男、三つ子は座っていた。
再び出口の方向を見ると小さな男が、手を振って、
「カケルさぁ〜ん、心配しないでください。すぐに追いつきますから!」
と、ホームへ降りたった。
そして、しゅううーと言う音とともに列車の扉が一斉に閉まった。
ゴトゴトッゴトゴトッと列車が揺れだし走り出した。
カケルは席に戻ると、窓から身を乗り出してホームを見た。
ホームにはたくさんの乗客たちが降りてこちらを見守っていた。
カケルは車掌の言葉を思い出した。
――この列車でピンク色の切符を持っているのはあなたたちだけです
そう、もはや列車に乗っているのはカケルたちだけだった。
次に小さな男の言葉が思い出された。
――カケルさぁ〜ん、心配しないでください。すぐに追いつきますから!
あれ? 僕は彼に自分の名前なんて教えただろうか…と、カケルは思った。
すぐに追いつくってどういうことだろう、と。
そうしている間にも列車はどんどんホームから遠ざかっていった。
12.風の吹く場所
ポオォーーーーーーーーーーーーーーーーーーォ!
カケルたちだけになった列車は威勢良く煙を噴き、雲の上に敷かれたレールの上を勢いよく走る。
雲の成分が、なみのりをする水ポケモンが上げる水しぶきのように上がった。
カケルはさっきからあのホームを見守っていた。
小さな男と他の乗客が降りたホームはもう豆粒のようになってしまっていた。
客のいなくなった車内は静まり返っていた。
カケル以外のメンバーもしばらくホームのほうを見守って、しばらくは誰も話そうとしなかった。
(遅れてきた男はあいかわらずだったが)
「とうとう私たちだけになってしまいましたね」
沈黙を破ったのは眼鏡の男だった。
それを合図に各々は一旦窓から首をひっこめて席に着いた。
それを見て車掌が待っていたとばかりに言った。
「ポッポ駅以降は、みなさまの貸切となります。今回の旅も残り少なくなってまいりましたが、どうぞ最後までお楽しみください」
「ふん、いよいよ大詰めか。めんどうなことに付き合わせやがって」
と、背の高い男が言った。
「まぁまぁ、この旅は最後が見ものなのです。ここまで来た以上は最後までつきあいましょう」
と、言って背の高い男をなだめたのは眼鏡の男だった。
なんだかこの二人はこの旅の結末を知っているような口ぶりだった。
カケルは隣の席を見た。
三つ子たちが窓際で何やら話しこんでいた。
カケルは聞き耳を立てた。
三つ子たちは
「まだかな」
「もうすぐだよ」
「はやくしろよ」
と、言っていた。三つ子たちもやはりこれから何が起こるかを知っているらしかった。
そして視線をシフトさせ、遅れてきた男の様子も見る。
男はあいかわらずの様子だったが、おそらく彼も知っているんだろうな、と、カケルは思った。
そして、カケルは車掌の顔を見上げた。
視線に気が付いて車掌はにっこりと微笑む。
カケルは車掌に問うた。
「車掌さん、僕たちはどこへ向かっているのですか」
「おのずとわかりますよ」
と、車掌は言った。
カケルはつづけて聞いた。
「では、これから何が起こるんですか」
「風が吹きます」
と、車掌は言った。
「風?」
「そう、風です」
車掌はそこまで言うと、濃いピンク色の長い髪をたなびかせて進行方向を向いた。
そして、
「窓から進行方向を見てごらんなさい」
と、続けた。
カケルは席を立ち窓から顔を出すと、進行方向を見た。
なにやら進行方向に、あの雲に浮かぶ駅のように浮いているものがあることに気が付いた。
「あれは鳥居です。赤い鳥居」
車掌が説明する。
「鳥居…? いったいなんのために」
「別に深い意味はありません。我々にとっては目印のようなものです」
「目印ですか」
「ええ、あそこまで行くと、大きな風が吹く」
「風が吹いてどうなるんですか」
だんだん近づいて形があらわになる鳥居を見ながらカケルはさらに問い詰めた。
「貴方の望みが叶います」
車掌はにっこりと笑って答えた。
「望みが叶う?」
意外な返答にカケルは神妙な顔をして車掌を見つめた。
「そうです。あなたはずっとこのときを待っていたじゃないですか」
「待っていたって…何を」
カケルがそこまで言うと、黙って聞いていた同乗者たちが一斉に口を開く。
「そう、あなたはずっと待っていた」と、眼鏡の男が言った。
「なかなかそのときがこないんで、何度も聞かれて困ったよなぁ」と、背の高い男。
「先輩に、今はまだ時期じゃないって言われてたよね」
「うん、言われてた」
「言われてたねぇ」と、三つ子たち。
「……」と、遅れてきた男。
カケルはびっくりして皆を見つめた。なんでこの人たちがそんなことを知っているのかと。
さらに、車掌が続ける。
「手違いでね、今まで"彼"のもとに切符が届かなかったのです。
だから、今までお待たせすることになってしまった。
カケル様にも"彼"にもとんだご迷惑をおかけいたしました」
車掌は帽子を取るとそれを胸にあててお辞儀した。
「この列車には本来、私たちの種族しか乗れないことになっているのですが…
せめてものお詫びにカケル様とお連れの方々をご招待いたしました」
ポォオーーーーーーーーーーーーーーー!
列車が鳥居の横を通過したのはその直後だった。
次の瞬間、カケルの背後、窓の外をぶわっと風が、大きな風が吹いたのがわかった。
車掌が声を上げる。
「さあ、風が吹きましたよ! 窓の外を、風が吹いてくる方向を御覧なさい!」
カケルは再び窓の方向を向くと、窓の外に身を乗り出した。
急激な、だけどどこか優しい風がカケルの髪をなぜる。風は列車の進行方向と同じ方向に吹いていた。
それは、さっき大勢の乗客を降ろしたポッポ駅のほうから吹いているようだった。
カケルは風の生まれる方向に眼をこらした。
すると無数の影が大きな群れをなしてこちらへ近づいてくるのが見えた。
影たちは風に乗って、すいすいとこちらに向かって飛んでくる。
カケルはその影に見覚えがあった。
それは、自分がはじめて捕まえたポケモンのシルエットだった。
ずっと一緒に旅をして、バトルにはいつも一番に出して、見慣れたシルエット。
カケルは叫んだ。
「ポッポだ! ポッポの群れが近づいてくる!」
そして影が、ポッポたちがカケルの目の前を通過しはじめた。カケルはポッポ達を目で追いかける。
そして、先頭のポッポが列車の頭を追い越したそのとき、その身体が光を纏ったかと思うとぐんぐん大きくなって――
「ピジョーーーーーーーーーーーーーッ」
と、雄たけびを上げ光を弾いた。
光を弾いた時に見えたその姿は、もはやポッポではなくなっていた。
そして、後に続くポッポたちが、次から次へと列車を追い越して、同じように光を纏ってゆく。
さらに、背後から聞き覚えのある声が近づいてきて、カケルははっと後ろを見た。
「クルルゥッ!」
声の主は風に乗ってカケルの横を通過したかと思うと、またたくまに列車の頭を追い抜いた。
それはカケルが旅の苦楽を共にしたパートナーであった。
「アルノー!」
カケルが叫んだときアルノーもまた光を纏った。
両翼が左右にぐんぐんと伸び、扇を開くように尾羽が開く。短かった冠羽が笹の葉のように伸びてたなびいた。
そして、ぱっと光をはじいた時には、もうピジョンの姿になっていた。
大きな翼でより多くの風をとらえたアルノーは列車をさらに引き離した。
そして、なだれ込むように後陣のポッポたちが後に続き、光を纏ってゆく。
光が飛散し、あちらこちらから進化の喜びを表現する雄たけびが上がる。
「大変お待たせしました。次の駅はピジョン、ピジョンになります」
列車内に車掌のアナウンスが響いた。
ピジョンたちが飛び交う列車の進行方向に、雲に浮かぶ次の駅が小さく見えてきた。
13.次の駅で
すべてのポッポが列車を追い越したころ、列車は減速しはじめた。
それはまた次の駅に列車が止まると言うことであり、もうこの旅が終わるということを意味していた。
列車の窓枠はもう駅を切り取っている。それがスローのアニメーションのように動いて、そして止まった。
窓が最後に切り取った風景、それは駅名が書いてある看板だった。
真ん中に大きく「ピジョン」。
そして右に「ポッポ」、左に「ピジョット」と、書かれていた。
「この駅が当列車の終点となります。
本日はご乗車いただきまして誠にありがとうございました。
お帰りの際はお忘れ物などなさいませぬように…」
列車内にアナウンスが響いた。
カケルが振り返ると車掌の姿はすでになかった。
運転席にでも戻ったのだろう。
シャーッと音がして列車中の扉が一斉に開く。
カケル、背の高い男、眼鏡の男、三つ子は席から立ち上がった。
ワンテンポ遅れて、遅れてきた男も立ち上がった。
一番近い扉の前で、進化したアルノーがカケルの降車を待っていた。
一同がぞろぞろと降車する。
カケルがアルノーに飛びつくのと、列車の扉が閉まるのは同時だった。
カケルは顔をアルノーの羽毛の中にうずめながら、汽笛の音、列車が去っていく走行音を聞いていた。
「おにいちゃん、おにいちゃん」
どれだけの時間が経ったろうか。
突然、そんな声がして、カケルは羽毛にうずもれていた顔をあげた。
顔を上げた先にはカケルより二、三歳下の、手にボールを持った男の子が立っていた。
「おにいちゃん、なんでさっきからピジョンにだきついてるの?」
と、男の子は聞いた。
カケルはキョトンとした。
なぜここに男の子がいるのか理解できなかったからだ。
男の子はさらに聞いた。
「おにいちゃん、うしろにいるのも、おにいちゃんのぽけもん?」
カケルは後ろをふり返った。
同乗者たちが立っていたはずのそこには、カケルの手持ちであり家に置いてきたはずのオニドリル、ヨルノズク、ドードリオ、そしてネイティオが立っていた。
男の子は目をかがやかせて、勝手にしゃべり続ける。
「いいなぁ…おにいちゃんのぽけもん……。……よぅし、ボクもじゅっさいになったらポケモンゲットのたびにでるぞぉ!」
男の子は一人で勝手に盛り上がり始めた。
カケルは訳がわからず聞いた。
「ねぇ君、どこからこの駅に入ったの? それともあの列車に乗ってたの」
すると、男の子はすごく変なものを見るような目でカケルを見て言った。
「なにいってんの、おにいちゃん。ここ、"こうえん"だよ」
……
カケルは、あたりを見回した。
ところどころに木が植えられ、ブランコやシーソー、アスレチックなどの遊具が配置してある。
子どもたちのキャッキャッと走る回る光景も見て取れる……たしかに公園だった。
と、突然ボーンボーンと公園の時計台が鳴って午後三時を知らせた。
なんだか見覚えのある時計台だった。
「変なことをきくけど、このあたりに西コガネ駅ってないかい?」
と、カケルは聞いた。
すると、また男の子が変なものを見るような目で、
「にしコガネえき? そんなものコガネシティにあったっけ」
と、言った。
「そんな、たしかにここは…」
カケルはそこまで言いかけると、ハッと思い出してポケットを漁った。
西コガネ駅発のあの濃いピンク色の切符を見せようと思って。
そして何かが手にふれた。
カケルはポケットからそれを取り出し確認する――
「なぁに、それ」と、男の子が言った。
――カケルが取り出したそれは、切符ではなく濃いピンク色のピジョンの冠羽だった。
「じゃあね! おにいちゃん!」
男の子はしばらくカケルのポケモンたちを眺めて、ひととおりつついたり、ちょっかいを出すと走っていってしまった。
カケルはふたたび公園を見回した。そこは、雲の上でもなく、ましてや駅でもなく、たしかに公園だった。
特にやることもなく、疲れを感じてカケルは家に帰ることにした。
鳥たちをぞろぞろひきつれて、公園の出入り口に差し掛かったとき、看板が目に入った。
看板にはこう書いてあった。
「西コガネ公園」、と。
「おかえり」
カケルが帰宅すると、母親が居間のソファに腰掛けて、昼ドラを見ながらぼりぼりとせんべいを食べていた。
カケルは夕食までに小休止しようと、ひと眠りすることにした。
カケルが自室に戻ろうとしたその時、
「あなた宛に何か届いているわよ」
と、母親が言った。
母親はせんべいをかじりながら、ひょいっと腕を後ろにやってカケルに郵便物を渡した。
受け取ったカケルはすぐさまはびりびりと封筒を破いた。
封筒の口を開いて中を見ると、そこには厚紙に収まった金色のカードが。
そして、お知らせが同封してあった。
カケルはお知らせを開く。鳥ポケモンたちも注目する。
“招待状 アマノ カケル様
この度は、当社のリニアの開通イベントにご応募くださいまして誠にありがとうございました。
厳正なる抽選の結果、ここに当選のお知らせとリニアのフリーパスをお送りいたします。
尚、イベント当日はお手持ちのポケモンも連れておいでくださればより楽しめるかと思います。
集合場所は以下を――”
カケルはガッツポーズをした。
「あら、何かいいことが書いてあったの?」
カケルの様子を察したらしい母親が尋ねる。
昼ドラはいつのまにかCMになっていた。
「そういえばその郵便物、発送方法もなかなか凝ってたわねぇ。
ベランダにね、ピジョンがとまっててね、そのコが持ってたのよ。
新手の配送サービスかしら」
…………。
まさか…、な。
と、カケルは思った。
けれど、カケルと鳥ポケモンたちは思わず互いの顔を見合わせた。
カケルは「はは」と、苦笑いをした。
オニドリルが悔しそうに「ゲェーッ」と言った。
ヨルノズクが、やれやれと言わんばかりに足でバリバリと頭を掻いた。
もはやピジョンになったアルノーは間が悪そうに二羽の様子を伺った。
その様子を見ていたドードリオの頭の一つがネイティオに目を向ける。
ネイティオは郵便物には無関心だとばかりにベランダの方向をじっと見つめていた。
ベランダの窓はあの車窓のようにその先にある風景を切り取っている。
切り取られた空の破片の中にもくもくと広がる白い雲があった。
ネイティオの瞳に、その雲に向かって上昇する、頭から煙を出す長い物体が映し出される。
彼は聞いた。
空に向かう列車の汽笛と走行音を。
そして列車は、雲の中に突っ込むとすぐに見えなくなってしまったのだった――
○
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