うみや かわで つかまえた ポケモンを たべたあとの
ホネを きれいに きれいにして ていねいに みずのなかに おくる
そうすると ポケモンは ふたたび にくたいを つけて
この せかいに もどってくるのだ

「シンオウの むかしばなし」より





●第八話「きたるべき とき」





 無機質なデザインの時計が朝を告げて、ノガミは目を覚ました。
 旅をしていた頃は、こんなものを使わなくてもひとりでに眼が覚めたものだった。それに、彼のポケモン達が早起きだから、その声がやかましくていやでも起されてしまうのだ。ポケモンがのしかかってきたり、べろんと顔をなめてきたりして、起されることもしばしばだったように思う。
 眠たい目をこすりながら、ベッドから身体を起すと、横にあるテーブルの上に置かれている六つのモンスターボールが目に入る。いけない、連日の疲れが出たらしいなと彼は思った。昨日の夕方に青年と分かれた後、ポケモンを預けないまま眠りこけてしまったのだ。
 ノガミはベッドから起き上がると、服を着替え、部屋を出る。ボールを持って転送装置の前に立った。ボールをひとつ、またひとつボックスへと送っていく。
 が、最後の、半球の青いボールを手にかけた時、ボールの振動が手に伝わってきた。
「今日は忙しいんだから、相手なんかできないよ」
「…………」
 ボールはしばらく沈黙していたが、それでも構わないからとでも言いたげに、揺れて自己主張してくる。
「……わかったよ」
 珍しく自己主張をするスーパーボールを無理やりボックスに戻すのもなんだか気が引けて、彼はそれを腰のベルトに装着した。ボールはなんだか満足そうに見えた。
「さて、今日のスケジュールは……」
 頭の中におぼろげにタイムテーブルを浮かべながら、ノガミは歩き出した。
 今日は、自分が連日付き合わされた青年の六回戦、準決勝だ。彼の出る試合は準決勝第二試合だから午後からとなる。さっきは忙しいから相手できないなんて言ってしまったが、それまでは割りと手隙であることがわかった。
 とりあえず腰にぶら下がっているのと朝食でも食べますか、と彼は考えた。


「さあ、大変お待たせいたしました。準決勝も第二試合!」
 スタジアムが熱気に満ちていた。観客席を埋め尽くす彼らは、いずれ会場に姿を現すであろう二人のトレーナーを待ちわびている。その二人のトレーナーが投げる球体から現れるのは、携帯獣。獣達が繰り広げるバトルがはじまるのを、彼らは心待ちにしている。
 その熱気に沸く観客席とはまた別の場所、室内にあるスタッフ席で、ポップコーンを食しながら選手の入場を待つ男がいた。協会職員のカワハラである。遅れてノガミがやってきた。
「おお、お見送りご苦労さん。どうだい? カード無しのにいちゃんの様子は」
 白いカスと塩を口の周りにくっつけながら尋ねる。
「落ち着いていますよ」
 と、答えるノガミに「そうか」と、カワハラが言った。ポップコーンを一粒摘んで口に入れる。
「さっき負けたトレーナーに会ったんですけど、その嫌味も軽くいなしていましたよ。変わりましたよね、彼。一回戦途中から目が覚めたみたいに」
 今度は一気にたくさん掴んで口に放りこむ。カワハラは口をもごもごとさせた。
「あの後にね、ポケモンのトレーニングをしたいから立ち会って欲しいと言われまして、ずいぶんと夜遅くまでつき合わされたんですよ。それから連日そんな感じで。昨日は出かけるからと言って夕方には終わりましたけど」
 存外、ノガミが楽しそうに話すのでカワハラは意外に思った。こいつあのにいちゃんを嫌っていたんじゃなかったのか、と。なので、塩まみれの手で何かの書類を取り出すと、
「じゃあ、これはもう必要ないか」
 と、尋ねてみた。それはトレーナーカードの拾得情報を書き出したリストだった。するとノガミが
「それはできません。ちゃんと責任を持って調べます」
 と答えたので、律儀な奴だなぁ、と思いながらカワハラは手渡した。ノガミがぱらぱらそれをめくり、ざっと書き出された番号の数を確認している。彼が二、三日前に調べたばかりなのにまたずいぶんとカードがなくなったり、拾われたりしているようだった。
 書類に目を通しているノガミを横目で観察しながら、おや、とカワハラは思った。ノガミの腰に見慣れないものがついていたからだ。
 青と白の色の機械球がひとつ、彼の腰のベルトに装着されていた。自分の過去に触れたがらないノガミ。その過去の象徴とも言えるボールを持って現れるなんて、どういう心境の変化なんのだろうとカワハラは思案した。
 直後、彼の背後で、わあっと会場が歓声に沸く。どうやら主役の二人が登場したらしい。
「出てきたか」
 カワハラとノガミはスタジアムのほうに視線を向けた。


 約束の時がきた。
 東側にシロナ、西側に青年、太陽が南に昇ってわずかに西に傾き始めた頃、彼らはスタジアムを挟んで対峙する。
 昨晩、あんな分かれ方をしたが、シロナといえば完全にバトルモードに入っており、ケロっとして落ち着いている。特に昨日あったことが試合に影響するとも思えなかった。青年の心も同じように静かだった。
「どうしてお前はそう冷静でいられる?」
 試合前、たまたま出会った準決勝第一試合の敗者はそんなことを青年に聞いた。
「ずっと震えが止まらなかったんだ。あんたは相当ずぶといんだね」
 と、残して去っていった。
 イメージしているからだ、と青年は思う。
 シロナには悪いが、この試合は勝たせてもらう。もちろん、彼女も甘くはない。おそらく後半中盤くらいまでは彼女のポケモンが押してくる。
 だが、負けはしない。どんなに残りの数に差をつけられようとも、最後にスタジアムに立っているのはガブリエルだ。青年にはそんな確信があった。彼は、スタジアムの中央で咆哮を上げる竜の姿を描いていた。
 試合の始まりを告げる旗が揚がる。繰り出されるポケモンの姿を、我先にその目に捉えようと聴衆が身を乗り出す。
 対峙した二人は静かにモンスターボールを手にとると、空に向かい投げた。

 赤い閃光が目にも留まらぬスピードで、相手に向った。ガキッという音が響く。そこで聴衆は、初めてポケモンの姿を捉える。赤い身体のハッサムの攻撃を、海蛇のような姿をしたミロカロスがその長い尾で受け止めているところであった。
「ゼルエル!」
 青年がその名を叫ぶと赤色が素早く退避する。
 瞬間、ミロカロスの冷凍ビームが襲い、水晶の結晶のような氷の柱がいくつも立った。が、次の瞬間、結晶が砕け真正面からハッサムのシザークロスが海蛇を襲う。
「アクアリング!」
 と、シロナが叫ぶ。
 ミロカロスの周りにいくつもの水輪が生まれ、シザークロスの威力を半減させた。ミロカロスが再び反撃に出ようとする。がその時にはもう、ハッサムは赤い光となってモンスターボールに吸い込まれていた。蜻蛉返り、攻撃と同時に味方に交代する技だ。次の瞬間、スタジアムにいくつもの電撃波が走り、ミロカロスの身体を痺れさせた。
「雷」
 と冷徹に指示が下る。水輪で回復する余裕もなくミロカロスはその場に倒れた。シロナが次のポケモンを繰り出す。ハッサムに代わって出てきた青年のポケモンが、再び電気技で先制する。しかし、シロナのポケモンは微動だにせず、泥混じりの濁流が襲ってきた。間髪を入れず地震が続く。濁流が去った後には、力なく地面に横たわるサンダースと微動だにしないトリトドンが残された。

 カワハラが口に入れる前のポップコーンをぽろりと落とした。ノガミは呆然とそれを見ていた。
 これが……これが準決勝。かつて自分が至ることのできなかったバトルの高み。
 ただ淡々と試合が運んでいるようにも見えるが、高いレベルにあるポケモン達の力が拮抗しているからこそ、だ。そこらの道端で行われるダラダラとした試合運びのそれとは、まったく異なるものだ、これは。
 いつのまにか、彼はリストをぎゅっと握っていた。
 強者の戦いが、強者のポケモンが、トレーナーの嫉妬を掻き立てる。

「行け、ルシファー」
 光と共にクロバットが現れる。高速で飛びながら、空気の刃を撒き散らす。あやしい光が無数に現れて会場を飛び舞った。
「化かしあいならこっちも負けない」
 シロナがトリトドンを引っ込め、新たにボールを投げる。要石から紫と緑の光が漏れ、ミカルゲが顔を覗かせる。奇怪なポケモンだ。その正体はポケモンの魂の集合体だと言うものがいる。魂は全部で百と八、人間の煩悩の数を表しているのだという。

 気がつくと、ノガミはリストを見つめていた。こんなことをしたって意味はない。それなのに。だが、ノガミは見つけた。彼の目は偶然にもリストの中のある数字を捉えていた。
「おい、どこに行くんだ!? ノガミ!」
 カワハラが叫ぶ声が響く。扉の閉まる音が響いていた。

 スタジアムを煙が覆う。ミカルゲが煙幕で身を隠し、騙し討ちを仕掛ける。生温い風が吹きクロバットの翼を捕らえた。妖しい風である。

 ノガミは急ぎ足で階段を下っていた。手にはリストを握っている。また確かめる。
 彼の目に留まった数字の羅列の中の一行、それは青年のトレーナーカードIDだった。横には「拾得」の文字が見える。
 彼は階段を駆け下り、スタジアムを出ると、別の棟の情報を管理するあの部屋へと入っていった。パソコンに数字を入力し、情報を引き出す。
 カードが届けられた場所、それは彼が二週間前、ポケモンを預けたセンターであった。トレーナーカードの記録が最後に残っていたあの場所である。
「なんだこんな結末か、あっけないな」
 と、ノガミはこぼした。そうだ、最初からわかっていたことじゃないか。何を期待していたんだ自分は。彼は自嘲気味に笑った。
 しかしカードが見つかった以上は本人に返却しなくてはなるまい。彼は試合見物に戻る前にカードが届けられたというポケモンセンターに連絡を入れることにした。番号を調べると、部屋の隅にある受話器を取る。
「お忙しいところ大変失礼いたします。私、ポケモン協会リーグ運営部のノガミと申します」
 と、挨拶した。
「実は今ポケモンリーグ準決勝に出場しているIDナンバー××××‐××××‐××××のミモリアオバ様のトレーナーカードがそちらに届けられたという情報が入りまして、お電話させていただきました」

 審判が旗を揚げた。クロバットが戦闘不能になったのだ。
 青年は蝙蝠ポケモンを回収し、再び赤色の鋼ポケモン、ハッサムを繰り出した。

「ええ、ですからミモリアオバ様です。至急、シンオウリーグに送っていただきたいのですが」
 と、ノガミは用件を伝える。
 だがどうも相手の反応が芳しくない。彼の名前を出した途端、担当の声は暗くなった。
 そして、相手から返ってきたのは意外な返答だった。
「え!? もう本人は見つかった? 昨日ですか? ああ、もしかしてテレビの準々決勝をご覧になりましたか。でしたら……」
 すると、勘ぐるような声色が電話越しに伝わってきた。
 ――お前、何を言っているのだ、と。
「だからそれは今試合に出ているアオバさんでしょう? は? ふざけてなんかいませんよ。こちらはずっと彼のカードを探して……、でしたらテレビをつけてください。今準決勝に」

 ハッサムが鋏を振り上げる。要石に直撃したそれはミカルゲにとって致命傷となる。ミカルゲが赤い光になってモンスターボールに退散していった。シロナが睨みつける。アオバがフッと笑う。表情がテレビ画面いっぱいに映る。

 電話の向こう側から明らかな動揺が伝わってきて、ノガミは驚いた。向こうで何が起こっているというのだ。しばしの沈黙の後に相手は震えた声でノガミに尋ねきた。
 ――ノガミさん、あそこで戦っているのは誰ですか、あそこに立っているのは誰ですか。
「は……?」
 ノガミはわけがわからずに、ただ一言そう聞いた。
 すると相手がまだ動揺を隠せない声で続ける。
 二週間前、ポケモンをセンターに預けたまま行方不明になったトレーナーがいた。私達は彼を必死で捜索した、と。

 ――二日前、トレーナーカードが見つかった。昨日、やっと本人が見つかった。

 ――…………リッシ湖の底で見つかったんだ。

 シロナのロズレイドが天候を晴らし、炎のウェザーボールをいくつも放った。弱点の攻撃をまともに受けてハッサムが倒れる。強かった。
 次の青年が繰り出したのは、燃え上がる鬣と尾を持ったポケモン、ギャロップ。
 タイプ上では有利だが、地面から襲い掛かった棘の弦に足を絡めとられ、ヘドロ爆弾の洗礼を受ける。 
 負けじと障害物を焼ききってギャロップは反撃に出る。ロズレイドをメガホーンが襲って、花びらが戦いの舞台を舞った。
 だが、散ったのは青い花びらのみであった。角が貫いたのは右手のブーケのみだったのだ。にやりとロズレイドが笑う。残る左腕のブーケをギャロップに向けた。
 青年は空を見た。いつのまにか空が雨雲に覆われているではないか。なんという切り替えの早さだ。ギャロップが弦とヘドロから抜け出す時間を、ロズレイドは無駄にしていなかった。
 水属性のウェザーボールが至近距離で炸裂した。

 ――センターの近くに河があって、リッシ湖へと流れ込んでいる。あの日は季節外れの台風で河が増水していた。
 ――女の子が駆け込んできたよ。男の人が自分を助けて流されたと言って。

 電話ごしに聞こえた言葉が頭の中をぐらぐらと揺らす。
 ノガミはふらふらとスタジアムへと戻っていた。

 アクアジェット。フローゼルがロズレイドの距離を一気につめた。彼の機動力は雨で通常の倍になる。すぐさま日本晴れに切り替えたが、雨が止んだ時には、もう氷の牙が食らいついていた。ロズレイドの身体がみるみる凍りついていく。だが、最後の力を振り絞って、彼女はソーラービームを放つ。ロズレイドを道ずれに、青年の五匹目が倒れた。

 彼にはもう何がなんだかわからなかった。だが、この目で確かめなければならなかった。一体これはどういうことなのか。自分が調べていたことは、一体何だったのか。
 ぐっ、と拳を握り締めると、スタジアムに向かい駆け出した。

 ――ポケモンを持っていれば二人とも助かったかもしれないのに。たまたまセンターにポケモンを預けていた彼は運が悪かったんだ……。

 青年は最後のモンスターボールをすっと取り出し、投げる。
 ボールが地についたその一瞬、会場が静まり返ったように思えた。
 赤い光が迸る。
「さあ、お前の力を示せ。ガブリエル」
 青年が、言った。

 なまった身体に鞭を打ち、息を切らせながらノガミは階段を駆け登る。
 いつ以来だろう、こんなに走ったのは。
 苦しい。だが、それでも走る。彼は階段を駆け上がる。
 バタンと扉を開け放つ音がした。


 スタジアムに竜の咆哮が響き渡った。凶竜が放たれたのだ。
 どんなに試合を有利に進めてもこのポケモンを倒すことができなければシロナの勝利はない。
 先方として彼女が繰り出したのは先ほど引っ込めたトリトドンだった。彼女は即座に地震を指示する。
 が、ガブリエルの動きは速かった。迫り来る攻撃を軽やかにかわし、ジャンプ。腕の翼を硬質化させドラゴンクローを叩きつけた。続いてアイアンテール。トリトドンは吹っ飛ばされ壁に叩きつけられ、力尽きた。
「出番よ、リオ!」
 シロナが叫ぶとルカリオが走り出した。獣の形をした拳から、エネルギー球、波動弾をいくつも放つ。注意をとられるガブリエルに今度は貯めて大きい一撃。今度はガブリエルが地震を発生させる。が、上に横にすばやく跳ねリオは軽やかにそれをかわした。両腕のツノのように突き出た突起を擦り合わせる。するとそれが共振し、強烈な金属音となってガブリエルの耳に届いた。苦しむ竜との距離を一気に縮め、腹のあたりに一発。
「竜の波動!」
 指示と共に二発目のパンチが入った。瞬間、波動が激しい衝撃となって襲う。効果は抜群。断末魔とも取れる竜の悲鳴が響く。が、一瞬獣人が見せた隙を竜は見逃さない。つかみかかり、アイアンヘッド。次にはもう竜の牙が彼を捕えていた。
「炎の牙」
 竜の牙を発火点にして、紅蓮の炎が燃え上がる。劫火が、鋼を溶かしにかかる。
「もどって!」
 ここまでと判断したシロナがルカリオを戻す。
 即座に最後のボールを投げる。落下するボールが空中で口を開き、赤い光が巨大な質量を形成する。スタジアムにポケモンが姿を現す。短かくもがっしりとした四肢が、巨大な甲羅とその上に根を下ろす大樹を支えていた。
「私がはじめて貰ったポケモンよ。最後はこの子で勝負するわ!」
 中から現れたのは樹を背負うポケモン、ドダイトスだった。

「何をしていたんだ」というカワハラの台詞は、ノガミの耳を素通りした。
 スタジアムが一望できるガラス張りの窓の前、手すりに倒れ込むように手をかけると、彼はただスタジアムに立つ青年を、見た。

「いいだろう! 全力で来い、シロナ!」
 青年が好敵手を見る笑みを浮かべ、応える。
 カードの持ち主であるトレーナーは、湖の底で見つかった。
 それならば、あそこに立っているのは。


「あそこに立っているのは誰なんだ…………!」


 スタジアムの中央で二匹のポケモンがぶつかり合った。
 激しい押し合い。互いに大地の力を持つポケモンは、双方地震を発生させ、スタジアムの地面が二匹を中心に崩壊していく。
 組み合った状態でドダイトスがリーフストームを放つ。対するガブリアスは炎の牙を持って噛み付く。お互いに小細工は通用しない。必要なのは純粋なる力だ。
 戦況を観察しながら青年は思う。
 シロナ、たしかに君のドダイトスは強力だ。だが、力の勝負ではけしてガブリエルに敵わない。たとえ、竜の波動を食らっていたとしても、だ。ここまでの試合運び、俺のイメージの通りだ。
「ガブリエル、逆鱗だ!」
 竜の瞳が燃え上がる。逆鱗は危険な技だ。強大な威力を誇るが、使用すれば我を失う。だが、この一匹を倒せばすべては終わる。立ち上るオーラ、次第にドダイトスは押され後ろに下がり始める。
「踏ん張って! もう少しよ!」
 と、シロナが叫ぶ。ドダイトスが歯を食いしばり、力を振り絞る。
 もう少し? いや、すぐに終わる。すぐに、ガブリエルがドダイトスを吹っ飛ばして、この試合は終わる。そうさ、イメージ通りだ。青年は冷徹に戦況を見守る。
 二匹の押し合いが続く。シロナが声を張り上げる。彼女にも彼女なりのビジョンがあるのだろう。だが、負けはしない。青年にはそういう確信があった。
 押し合いは続く。踏ん張りを見せたドダイトスだったが、再び後退が始まる。
 決まった。もう盛り返せはしない。そう、青年が確信した時、
 ぐらり。
 二匹のうちの一匹が足をふらつかせた。
「ガブリエル!?」
 予想に反して、自分のポケモンを呼ぶことになったのは青年のほうだった。信じられなかった。だが、確かに足をふらつかせたのは、ドダイトスではなくガブリアスのほうだった。
 次の瞬間、ドダイトスのウッドハンマーがガブリアスを吹っ飛ばした。
 壁に叩きつけられたガブリアスは歯を食いしばり、ドダイトスを睨みつけ、立ち上がる……が、すぐに身体が傾いて――――倒れた。
「ガブリアス、戦闘不能! よって勝者、赤コーナーシロナ選手!!」
 大きな歓声が上がる。
 審判が彼女の側に旗を揚げ、その勝利を高らかに宣言する。
「勝っ、た……」
 少し現実感がない様子で言葉を口にするシロナ。一方、呆然とする青年の姿があった。
 が、すぐに彼は冷静に今の試合を分析しはじめていた。そしてすぐに、ハハハ、と笑う。
 そうか、あの時だ、と思った。
「シロナのやつ、ガブに毒を仕込みやがった。竜の波動前の突き、あれは『毒突き』だったか」
 まいったな、と青年は言った。
 そして、彼はトレーナーの待機位置から、地震ですっかりめちゃくちゃになってしまったスタジアムに降り立って、ガブリエルのもとへと駆け寄った。
「ありがとう。そしてお疲れ様、ガブ。それと………………ごめんな」
 彼女の頭を抱き上げて、青年は言った。うっすらとガブリエルが目を開けて、力なく鳴くと、すぐに閉じた。彼が竜の額にモンスターボールを軽く押し当てると、彼女は光となって吸い込まれていった。
 それからふと、シロナのほうを見上げる。報道陣に取り囲まれ、インタービュー攻めにあっていた。彼女だって自分のポケモンをねぎらいに行きたいだろうに、と思いつつ、青年はスタジアムを後にする。控え室に続く廊下へ向かい歩き始めた。
 想像以上だシロナ、俺の想像以上だよ。そんなことを思いながら。
 いや違う。お前は俺の想像を、イメージを超えたんだ――。
 もう一度だけスタジアムのほうを振り返って彼女のほうを見て、感慨深そうに笑った。
 階段を下る。歓声が遠ざかっていった。

 青年は廊下に入る。すると、そこではいつものように人影が待ち構えていた。ノガミだ。
「アオバさん、お疲れ様です」
 と、彼は言った。
 それに対して、負けちゃいましたよ、と青年は言おうとしたが
「準決勝は残念な結果でした」
 と、ノガミは続けざまに言ったのだった。
 そんなノガミの態度を見て、青年はいつもと様子が違うように感じた。この違和感はなんだろうと怪訝な表情を浮かべる青年にノガミが続ける。
「見つかりましたよ。トレーナーカード」
 すると青年は、一瞬驚いたような顔をして固まった。だが、すぐにすべてを察したらしく、ゆっくりとした動作でガブリエルの入ったボールをベルトに装着して
「そうですか……」
 と、言った。
「それじゃあ一緒に見つかったのでしょうね。俺の死体も」
 青年は、安堵とも悲しみともとれる笑みを浮かべた。ノガミが表情を伺っている。
「……アオバさん、あなたは誰ですか?」
 震えた声が聞こえてきた。
「あなたは本物のアオバさんを…………」
「違いますよ」
 青年は即答する。
「俺はミモリアオバです。ですがこうなった以上、あなたに俺のポケモンを預ける訳にはいかない。ここを通して貰います」
「僕が通すとでも……」
 ノガミが身構えた。青年のポケモンは皆、戦闘不能状態だ。そして偶然にも今日、自分には彼に対抗する手段がある。そっとボールに手をかけた。だが、青年は動じる様子もなかった。
「通りますよ。力ずくでもね」
 そう青年が口にした瞬間、暗い廊下にぼうっと青い炎が、立った。
 ノガミは目を見張った。自身の見間違いでないのなら、この炎の名を人はこう呼んでいる――――鬼火、と。


 うみや かわで つかまえた ポケモンを たべたあとの
 ホネを きれいに きれいにして ていねいに みずのなかに おくる

 そうすると ポケモンは ふたたび にくたいを つけて
 この せかいに もどってくるのだ




第七話 / もどる / 第九話