2.
「にいちゃん、あまりよくない報せだ」
男は携帯の通話ボタンを電話全体を押すようにして切りながら、トシハルに伝えた。
「ダメ……でしたか」
「ああ、残念ながら向こうに行く漁船はないみたいだな、あそこは遠いしなぁ。漁場は悪くないらしいんだが、皆なかなか行かんのよ」
「……、…………そうですか」
トシハルは力なく返事をした。
定期便はアウト。トクサネからの漁船もなし。海路が絶たれるのは意外と早かった。あっけないものだ、と彼は思った。早く島に帰りたい、帰らなくてはいけない。けれどやはり、十二日後を待つしかないのだろうか。それしか方法は無いのだろうか。
けれど、このときトシハルは、もうひとつの感情が湧き上がってくるのを感じていた。それは安堵と呼ばれる類のものだった。
不意に自身の声を彼は聞いた。
――いいじゃないか、仕方ないじゃないか、お前はやれることはやったさ。
声が語ったのはそういう言葉だった。
――先延ばしにすればいいんだ。よかったじゃないか。お前、本当は見たくないんだろ。対峙するのが怖いんだろ。十二日後に行けばいい。すべてが終わってから行けばいい。そのことで誰もお前を責めたりしない。
声は耳元で囁いた。すると別の方向から声が聞こえた。
――何を考えてるんだトシハル! さっき決心したばかりじゃないか。今行かないでどうするんだ。今行かなければ間に合わない、行かなければお前はもう二度と……
――仕方ないじゃないか。船は出ない方法は無い。
――考えるんだ。何か方法があるはずだ。考えるんだ。
彼の中で二人のツグミトシハルが言い争っていた。諦めろ。諦めるな。けれど当の本人に有効な方法は思いつかなかった。
だが、
「おい! 何ぼけっとしているんだ!」
一喝。携帯を切った男の一言に、トシハルのぐるぐる回る思考は中断させられた。
「何寝ぼけた顔してんだ。次あたるぞ」
「えっ……?」
「次あたるって言ってるんだ」
「だって、船が見つからなかったら諦めろって」
「船で行くのは、な」
「? それってどういう」
「いいから! ちょっと待ってろよ」
男はあたりをきょろきょろと何かを探すように一望した。
「ああ、ミサトくん、アレどこにある? アレだよアレ。開くと地図が載ってる縦長のヤツ」
男は先ほどのオペレーターを呼んだ。ほどなくしてあのオペレーターが男の指定したものを持ってきて、手渡した。男はそれをトシハルに突き出すと「開け」と言った。
「は、はい……」
トシハルは男に言われるままそれを開く。
それは遊園地などの施設でよくある地図入りのパンフレットのようなものだった。観光客向けにミナモシティの案内をするのがその主たる目的だった。
「その地図の真ん中に載ってるでかい建物があるだろ」
「はい」
「で、その隣に中くらいの建物がある」
「はい」
トシハルは地図に描かれた建物に目をやる。
大きい建物があって、ポケモンコンテスト会場と記述がある。そしてその隣には併設された中くらいの建物が記載されている。トシハルはそこに書いてある小さい文字を読んだ。
「今からそこへ行って俺の言うとおりにしろ」
と、男が言った。
ミナモシティ第五ポケモンセンターと書かれていた。
――いいか、にいちゃん。海を走るのは船だけじゃない。
――世の中にはポケモントレーナーって連中がいて、あいつらはポケモン使って空飛んだり、海渡ったりするんだ。もっともそれなりの使い手だったならの話だがな。
そうか、その手があったか、とトシハルは合点した。
そういえば、と彼は記憶の糸を手繰り寄せる。島に住んでいたころ、めったにないことだけれどポケモントレーナーが、鳥ポケモンや水ポケモンに乗って空や海から現れたことがあった。
たいていは島を目指してきたわけではなく、潮に流されたとか、風が強かったとかそういった類の理由でだが。
彼は地図と眼前に見える建物とを交互に確認しながら目的のポケモンセンターへと足を進めた。
ミナモシティ第五ポケモンセンター。隣には大きなコンテスト会場。
なるほど、コンテスト会場に併設されているこの場所ならば相当数のトレーナーが利用しているに違いない。思ったとおり、センターに近づくごとにポケモンを連れたトレーナーを多く見かけるようになった。
ふと道端に目をやると免許を取り立ての子どもだろうか。真新しいボールを握った少年らが、初心者用ポケモン同士で野良試合を行っていた。黄色の大きな目のキモリ、赤いエラを突き出したミズゴロウ。生まれ持った属性を生かした技はまだおぼつかないのか、出す技はたいあたりばかりだ。彼らはお互いの体を何度も何度もぶつけ合っていた。
そこから少し離れた植え込みに腰掛けて、膝に乗せたピンクの猫型ポケモンに丹念にブラシをかけるトレーナーがいた。おそらくはコンテストにでも出すつもりなのだろう。黄筋の通った緑の毛のポケモンに赤いバンダナを巻き、満足そうに微笑む者もいた。
不意にトシハルの視界が開けた。そこは広場だった。中心に噴水があって、だばだばと水を噴かせていた。ほのかに朱のかかった金魚ポケモン、にゅるりとうねるドジョウのポケモン。噴水の池の中でトレーナー所有と思しき小さな水ポケモン達が泳ぎまわっていた。そうして、噴水池を囲うように、トレーナーを呼び込む露店が立ち並んでいる。ある場所では丸くデフォルメされた色とりどりのポケドールを売り、ある場所では焼きそばや綿菓子を売っていた。そこは訪れたトレーナー達で賑わっていた。
その向こうにホールと思われる大きな建物が見えた。おそらくあれがコンテスト会場なのだろうとトシハルは見当をつけた。上司がコンテストの大ファンだった。昨日見たマリルちゃんはすごかった。小さい体なのにすごく力持ちなんだ、などと週の初めによく聞かされていたのだが、彼自身はまったくもって見に行ったことがなかった。ミナモシティはホウエンにおけるコンテストのメッカだ。こっちに来てずいぶんと経つのに思えば変な話だ、とトシハルは思った。彼はコンテスト会場右手を見る。そこには地図にある通りの白塗りの建物、ポケモンセンターが建っていた。
ポケモンセンターの扉前まで歩いていくと、シャーッと自動ドアが開いた。
ホウエン最大の都市、ミナモシティの名に相応しく、そのポケモンセンターは近代的で、しかも非常に立派な作りだった。
落ち着いた色の絨毯タイルが敷かれたロビーの至る所に青々と茂った観葉植物が配されている。その下で柔らかそうなソファに腰を下ろした女性トレーナーたちが何やら話し込んでいた。ポケモン回復受付の反対側には最近になってイッシュなる地方から進出したカフェチェーンのテナントが入っている。飲み物を供するカウンターを飾る丸いロゴの中で見たことの無い鳥ポケモンが微笑んでいた。
トシハルはあたりを見回し、目的のものを探す。恰幅のいい港の男は言っていた。
――ポケモンセンターに入ってすぐのロビーに電子掲示板がある。やつらはそこに依頼を書き込んで、ポケモンの交換やバトルの相手を募集してるんだ。そこは俺ら一般人も利用できてな、時々トレーナーにアルバイト募集をかけることがある。
回復受付の少し離れたところにそれはあった。
何人かが、掲示板の前に立ち止まりその内容を読んでいる。一人は何か募集ごとがあるらしく、併設された端末コンピューターの机に座り、真剣な表情でキーボードを叩いていた。
近づいてその内容を見てみる。
「ピカチュウ♀譲ってください」
「コンテスト練習相手募集」
「ポロック作りませんか」
「進化前限定、バトル大会のお知らせ」
様々な依頼・情報が飛び交っていた。
――もうわかっていると思うが、そこでお前さんを乗せて連れて行ってくれるトレーナーを募るんだ。あんな辺鄙な所に連れて行ってくれる物好きがいるかどうかはわからん。が、とにかくやってみるんだな。
端末に身分証を通すと、パスワードとIDが発行される。トシハルは端末ディスプレイのタッチパネルに触れると、すぐさまキーボードを叩き始めた。入力フォームに従って、名前、年齢、性別、連絡先を記入し、次へボタンをクリックすると画面が切り替わって依頼内容入力フォームになった。
『【急募】フゲイ島(GPS ×××.××.×××-×××.××.×××)に連れて行ってくれる方、探しています。ミナモ港から南に約700キロメートルの地点です。トクサネの南までは船とバスで移動、以降の海路を僕を乗せて進める方のご連絡をお待ちしています』
――変わった依頼を頼まれてもらうにはな。金額より品物だ。やつらの欲しがりそうな珍しいものをちらつかせるといい。上級トレーナーほどそういうのに反応する。レアな木の実なんかあるといいんだがな。
『報酬はご相談ください。往復船賃分、宿泊費、実費・諸経費含めた上でお支払いします』
トシハルは尚もキーボードを叩く。
『島に珍しい石あります。』と、書き込んだ。
依頼内容を書き込み終わると、登録ボタンを押した。
直後、ズボンのポケットから振動が伝わってきた。メールの受信を告げるものだった。メールを確認する。中身は次のようなものだった。
『ポケモントレーナーサポートシステムのご利用ありがとうございます。ツグミトシハル様のご依頼を承りました。以下登録内容は○月○日○時まで有効となります』
これで依頼を請け負うトレーナーが現れれば、携帯に連絡が入る。その手はずが整った。
メールを閉じる。トシハルは男の言葉を思い出していた。
――俺もトレーナーは何人か使ったがな、こういう依頼を受けるやつがいるのか正直わからん。まぁ、可能性は低いと思ったほうがいい。
――だがものは試しって言うだろう。トレーナーって人種は変わってるからな。もしかしたら、あるいは……。
少年の帰郷(1)
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