その ポケモンの めを みたもの
いっしゅんにして きおくが なくなり かえることが できなくなる
その ポケモンに ふれたもの
みっかにして かんじょうが なくなる
その ポケモンに きずをつけたもの
なのかにして うごけなくなり なにも できなくなる
「おそろしい しんわ」より
●第六話「おそろしい しんわ」
今のあなたにおあつらえむきの神話を思い出した。それはね――
予選が終わった夜、神話をもっと聞かせて欲しいと願う自分に、彼女はそう前置きし、その神話を語りだした。どうして今、自分はそんなことを思い返しているのだろう。
水音が聞こえる。
彼の目の前に、巨大な質量を伴った水流が迫っている。
すべてを飲み込むために、水は集った。
「もどれ、ラミエル」
青年がラミエルと呼ばれたサンダースを戻す。シロナによればラミエルは青年が町を旅立つとき、最初に貰ったイーブイなのだと言う。試合中終始、ラミエルは青年の指示を欲しそうにしていたのに彼にはどうすることもできなかった。
「おい、アオバ!!」
たくさんの聴衆が試合に注目している。その視線が注がれるその場所で一回戦の相手、カイトは叫んだ。
「さっきから見ていればなんだその戦い方は!」
彼の憤慨も尤もだった。的確な指示を出されずに戦う青年のポケモン達、優勝候補と目されるトレーナーの所有だけあって個々の能力は高いのだが、いまひとつ動きが芳しくない。戦況を客観的に見極め、的確な指示で動くカイトのポケモンに比べるとその差は明らかだった。
カイトの手持ちが残り四体なのに対し、青年の残りは一体のみ。
「お前、俺をバカにしているのか?」
「違う」
「だったらなんでポケモンに指示を出さない?」
カイトの言うことは正論だ。青年だって、やれるものならとっくにやっている。だが、技を指示するにしてもうまくタイミングがとれないし、何よりどういう状況でどんな技を指示したらいいのかも彼には皆目見当がつかないのだ。
「言っとくが、そんなんじゃ俺は倒せないぜ!」
カイトが挑発するように言う。
「そんなことはわかっている!」
青年はイライラした様子で叫んだ。
「この野郎、わかっているんなら、本気を出しやがれ!」
「黙れ! やれるものならとっくにやっているんだよ。僕だって好き好んで記憶喪失やっている訳じゃない!」
「何を言っているんだお前! 言ってることが全然わからねぇぞ!」
「ああ、そうだろうな!」
売り言葉に買い言葉である。ポケモンバトルそっちのけで、トレーナー同士のバトルが勃発した。おいおい、あんたたち何やっているんだよ? という感じでカイトのジバコイルがその行方を見守っていた。
もっともこんなことはポケモンリーグの試合でもよくあることらしく、審判は冷静である。タイミングを見計らって、
「アオバさん、次のポケモンを出してください。それとも棄権なさいますか?」
と、言った。
「いや、それは」
棄権……そんなことやったら、僕はシロナに殺されてしまうと青年は思った。
最後のモンスターボールを手に取る。
「頼むぞ、ガブリエル!」
祈るような気持ちでボールを投げる。ボールから赤い光が放たれ、ガブリアスが姿を現した。タイプが不利だと見て、カイトはポケモンを引っこめて交代する。青年のパーティ中最強と知っているだけに、さすがに警戒しているらしい。
青年は、ガブリエルには期待していた。予選の時も一番張り切ってバトルをしていたのは彼女であり、その強さは自身の手持ちの中でも飛びぬけている。記憶を失っているとはいえ、今までのバトルからも、またシロナや他のトレーナーの言動からもそれが容易に想像できた。
「マキヒゲ、おまえに決めた」
対ガブリエル用にカイトが繰り出してきたのは巨体を幾重にも絡まるツルで覆い隠したモジャンボだった。
「畳み掛けるぞ、パワーウィップだ!」
先端が赤く染まった両手のようなツルが伸び、しなる。叩きつけて、ふっ飛ばすつもりらしい。だが、ガブリエルのことだ、ひきつけて攻撃をかわし、反撃に出るだろう……青年はそう思っていたし、相手だってそれくらいの腹積もりでいた。
だが、ガブリエルは動かなかった。むしろ甘んじて攻撃を受け入れた。ムチ打つように音が響く。
「え?」というカイトの声が聞こえた。
「ガブリエル?」
意外な展開に、青年も訝しげな声を上げる。
「どうして反撃しない……?」
「よくわからないがチャンスだ、今のうちに少しでもダメージを与えておくんだ!」
カイトが叫ぶだが、ガブリエルは突っ立ったままだ。微動だにしない。モジャンボが連続攻撃をしかけて、ビシィ、ビシィとツルの音だけが響いている。
「反撃するんだ。ガブリエル!」
だが、ガブリエルは動かない。それは自分の主人の指示ではない。本当のミモリアオバはそんなことは言わないとでも言うかのようだった。
「ガブリエル!」
青年は何度も呼びかけたが状況は変わらない。ガブリエルはモジャンボの執拗な攻撃に耐えながら、睨みつけて、少し低い唸り声を上げるだけだった。待つものさえくればすぐさまお前を引き裂いてやる、と言うように。
「あまり不用意には近づくなよ。距離をとってダメージを与えるんだ」
と、カイトが指示を出す。
「ガブリエル、どうしたんだ。せめて、かわすか防御くらいしてくれ!」
そう言ったが、彼女は聞き入れなかった。執拗に命令を無視するガブリエルに、青年はある種の意地のようなものを見た。
「一体どういうことでしょうか!? アオバ選手のガブリアス、動きませーん」
実況がそんなことを叫んでいる。観客達がどうしたどうしたとざわめいている。
そんな中、ガブリエルは平然として、なんともなさそうな顔を装っている。だが、ダメージは確実に蓄積しているはずだ。
「反撃するんだ。ガブリエル!」
だが、彼女は動かない。
「ガブリエル!」
動かない。
「もういい、あんたには失望したよ」
痺れを切らしたようにカイトが言った。
「こうしてりゃ少しは本気になると思ったが、無理だな。シロナにゃ悪いが俺がとどめを差してやる。お前を倒して俺は上に行く!」
「うそつけ、はじめからそのつもりだったくせに!」
思わず、青年は突っ込みを入れた。
「フン、わかっているじゃねぇか。だったら遠慮はいらないな!」
カイトがモンスターボールに手をかける。
「交代だ、イワトビ!」
彼はモジャンボを引っ込めて、ポケモンを交代してきた。
繰り出したポケモンはエンペルト。くちばしから伸びた王冠のようなツノが光る。ロビーで出会ったとき傍らにいたあのポケモンだ。おそらく、このポケモンが彼の一番のパートナーなのだろう。一気に勝負を決めるつもりだ。
「なみのりだ!」
戦線で大砲を撃つ命令をするように彼は言った。
エンペルトの頭上で水流が渦を巻きはじめた。瞬く間に大きくなってゆく。
「理由は知らないが、ヤツは動く気がないらしい。いいか、焦らずに大きいのをぶっぱなせ。めいいっぱい水が溜まったら、一気に叩き込んでやるんだ」
鉄化面の皇帝の頭上で水塊が大きくなっていき、膨れ上がる。今にも零れ落ちそうだ。あんな量が決壊すればスタジアムは洪水に飲まれるだろう。ガブリアスは地面タイプ、ドラゴン属性もあるから効果抜群にはならないが、まともに食らえば戦闘不能は免れないように思えた。
だが、その様子を目の前にしてもガブリアスが動く様子はない。ただすべてを受け入れるがごとくスタジアムに立ち尽くす。
「逃げてくれガブリエル! そんなもの食らったら……!」
「逃げ場なんてあるものか!」
カイトが言うのと同時に水泡が決壊する。水流がガブリエルを飲み込もうと襲い掛かった。
うねる水流、迫る波。水、水、水。
青年はその様子をスローモーションでも見るかのように眺めていた。
(ごめんシロナ。もう約束、守れそうにないよ)
そう青年は心の中でそう呟いた。
(頼みのガブリエルも戦ってくれないんだ。どうやら僕はここまでみたいだ)
だが、そのとき、
『だめよ!!!』
どこからかシロナの声が響いた。彼女が客席で見ていて叫んだのか、あなたを倒すのは私だと聞かされ続けたことによる幻聴だったのか、それは彼にはわからなかった。だが、それは確かに聞こえていた。
『ガブちゃんは待っているのよ。今でも諦めていない。あなたを待っている』
どこからか声が響いている。
待っているのか。君は本来の「僕」を待っているのか。
こんなときになっても、待っているのか。
ならば、指示を出さなくては。
(だが、何と声をかけたらいい?)
(本来の僕ならガブリエルに何と言うんだ?)
水が迫る。
次の瞬間、水流がその爪をガブルエルの肩に掛けたと同時に、青年は声を張り上げていた。
世界がブラックアウトした。声を張り上げるそのほんの一瞬前のことだ。
「それ」は、後々青年が語ったところによると、長い回想のようで、雷が走るような一瞬の出来事だったらしい。
まず最初に青年の脳裏を横切ったもの。
それは初日の予選の晩、屋台の席でシロナが語った神話だった。
――そのポケモンの眼を見た者、一瞬にして記憶が無くなり、還ることができなくなる。
――そのポケモンに触れた者、三日にして感情がなくなる。
――そのポケモンを傷つけた者、七日にして動けなくなり、何も出来なくなる。
その伝承の名を『おそろしいしんわ』と言った。
――ね、記憶喪失のあなたにはぴったりでしょう?
と、シロナが言った。なるほど、それは恐いな、と答えた気がする。
水の流れる轟音が耳元に響いていた。乾いた大地が水を吸うように、青年の中を何かが満たしてゆく。
ああ、そうだ。ミオシティの図書館で僕はこのはなしに出会ったのだ、と彼は思い起こした。
まだ幼かった旅立ち前の自分は、内容を見て恐れおののいた。
だが、同時に想像していた。
この恐ろしいポケモンは、いったいどんな姿をしているのだろうと。
『チガウ、それは私ではない』
不意に、青年が知っている誰でもない声が頭に響く。
同時に彼は暗い廊下を幻視した。頭の中におぼろげに描いていたあの場所を。
下って、奥底に下って、その先で青年は見た。そして知った。
『ハジメにあったのは混沌のうねりだけだった――』
聞きなれぬ声がまた響く。
『……はじまりのはなしには続きが在る。誰も知らない、忘れ去られた続きが』
『ワタシは……――』
刹那、二本の触手を持った影が脳裏を横切った。いや違う。あれは尾だ。あれは、たなびく二本の尾だ――――そうだ、僕は、俺は、あの時――――
轟く水音が眠っていた記憶を呼び起こしていく。
瞬間、すべてが繋がって、弾けた。
暗いあの場所から視界が開け、彼の意識は明るい場所に在った。ゆらゆらとのどかに揺れている。月の光が眩しかった。天井では月光がキラキラと反射し、ワルツを踊っていた。光が、揺れている。
不意に、行かなければと思った。
もういかなきゃ、と。
この場所はまるで生まれる前にいたようで、居心地がいいけれど。
自分には、行かなければいけない場所がある。
俺には、成さなければならないことがある――――だから!
光の射す場所に向かって、彼は上り始める。光が揺れるその外に顔を出す。
世界に飛び出す音が聞こえた。
飛沫が、上がる。
――ああ、そうか。君なんだね。彼女の声を届けてくれたのは。
「飛べ、ガブリエル!」
待っていた。ずっと待っていた。青年の口から突然飛び出したその指示を、ガブリエルは聞き逃さなかった。水流が自分のすべてを飲み込む前に、弾丸のように空へと飛び出した。
腕から生えるヒレのような翼が長く伸びる。ちょうど何かを抱えるように腕を身体に密着させると、彼女はジェット機のような形になった。
聴衆と対戦相手、エンペルトの視線が空に吸い込まれていく。
「そうだ……! それでこそミモリアオバだ!」
と、対戦相手は呟いた。
目の前で起こっている出来事は自分の敗北を意味するかもしれないのに、その顔はやっと会いたかった者に出会えた喜びに満たされていた。
「来いよアオバ。見せてみろ。本来のお前を」
まるでその瞬間のために自分はあったとでも言うようにトレーナーは云った。
「剣の舞からドラゴンダイブ!!」
迷いのない、澄んだ声が響き渡る。
ガブリエルは空中で身体を回転させ加速し、エンペルトに突っ込む。スタジアムに轟音が鳴り響いた。審判が青年の側に旗を揚げる事になるまで、さほどの時間はかからなかった。
「ガブ!」
びしょ濡れのスタジアムに降り立って、青年は竜の元にかけ寄る。
ノモセのサファリゾーンみたいにぬかるんだ地面で靴が泥だらけになったけれど、構わなかった。
「ごめん、君達のことをずっと忘れていてごめん。全部思い出したんだ。もう忘れない。もう忘れたりしないから……」
そう言って、傷だらけのガブリエルを愛しげに抱きしめる。
がぶり。
ガブリエルが、青年の肩を掴むと頭にかぶりついた。
「いでででででっ!」
と青年は声を上げる。
暗い廊下を一人の男が歩いていた。モンスターボールの搬送トレーをもって、そこに乗せるボールの回収へと向かう。
やれやれ、とノガミは思った。第一戦、もう逆転不能だと思って、もうこの監視も終わりかとせいせいしていたら、一体どういうことか。 対戦相手の残りポケモン四体を蹴散らして、逆転勝利――あれだけの力があるのなら、なぜ初めから……。
「まったく、人をバカにしていますね」
と、彼は呟いた。
ふと、向こうのほうから足音が聞こえてきた。本人のご登場のようだ。
「第一回戦突破、おめでとうございます」
あまりおめでたくない顔でノガミはそう言った。
「ありがとうございます」
と、青年が答える。おや、とノガミは思った。
なんというか青年の受け答えにどこか余裕というか貫禄のようなものがあったのだ。
それは予選後の彼の雰囲気とはずいぶん違っているように思えた。
「ポケモンの回復、よろしくお願いします」
と、青年が続ける。ノガミの持つトレーに丁寧にボールを置いていく。
「え、ええ……」
訝しげな視線を投げるノガミ。それに気がついて、
「どうかなさったんですか」
と青年が尋ねてきた。
「…………、……第一回戦、どうして最初からあの調子でいかなかったのですか」
少し慌ててしまったのを悟られまいと、彼はとっさに先ほど浮かんだ疑問を投げかける。
「そうですよね。どうして最初からああしなかったんだろう」
ホント、危ないところでした、と付け加えて青年は笑った。
ラミエル達には悪いことをしてしまった。なんでガブだけって怒っているかもしれないとも言った。結局、一番の核心部分はうまくはぐらかされてしまった。
(まったく、人をバカにしていますよね……)
と、ノガミは思う。
「ところで、ノガミさん」
突然、声のトーンを変えて青年は言った。
「…………? なんです?」
「ガブ達の回復が済んだら俺の部屋に連絡して欲しいんです」
「どうして?」
「だって、今はリーグ中でしょ。いろいろポケモン達と調整したいことや確認しておきたいこともあるんです。……それにね、ガブ達をかまってやりたいんですよ」
と、青年は答える。
「アオバさん、試合の時以外あなたのポケモンはこちらの管轄になるのを忘れたんですか? あなたの正式な身分証明はまだとれていないんですよ」
これだから、常識のないトレーナーっていうのは。ノガミは不機嫌そうに返事をした。
「ああ、それなら問題ないです」
「……問題ない?」
「ええ、そうです。問題ない」
「理由がわかりませんね。あなたのカードはまだ見つかっていない」
ノガミがそこまで言うと、青年はわかっていないなぁという顔をした。
「ノガミさんに付き合って貰います。スタッフ立会いの下でしたらいいんでしょう?」
「………………」
ノガミはしばらく何も言わずに突っ立っていたが、戦意を喪失したようで、たしかに規則ではそうなっています、と答えた。
(まったく、人をバカにしていますよね……)
と、ノガミは改めて思ったのだった。
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