(六)鳥居の向こう

 みぃんみぃん。じじじ。
 虫の声。あれは夏の声。秋の響きのそれとは異なる騒がしい虫の声。
 懐かしさを覚える、音。
 それは、瞼の裏に遠い遠い日を映す呪文。
 小さかった頃、鳥居を潜れば別の世界へ行ける気がしていた。

 今を盛りと青葉は揚々と茂り、木漏れ日が差していた。
 神社に続く長い石段には空を覆う葉とその隙間から差し込む光によって、奇妙で不思議な模様が刻まれていた。

「お父さん、お父さん待ってよ!」

 七、八歳くらいだろうか。一人でできることが多くなったとは言っても、その少年はまだまだ幼い。
 彼は木漏れ日に彩られた石段の遥か上を行く父親を呼んだ。
 歳の離れた彼らの体格差は大きい。歩幅の違い。体力の違い。
 日頃フィールドワークで鍛えられている父親は長い石段をものともせずすたすたと登っていってしまう。
 彼は別段急いでいる訳ではない。
 だが、幼い少年にとってそれは非常に早い速度に感じられた。

「一番上で待ってるよ。早く登っておいで」

 神社に連なる石段のはるか上から響く声。
 少年の細い足はもう疲れたと弱音を吐いていた。けれど少年は息を荒くしながらも、途中で止まることなく父親の待つ頂上へと登っていく。
 最後の一段を登りきるとそこには、神社の入り口にそびえる鳥居、そしてその下に立つ父親の姿。
 
「ずるいよ父さん! 僕を置いてどんどん登っていっちゃって」
「ははは、前に来たときよりはずっと早かったじゃないか。えらいぞコウスケ」

 そう言って父と呼ばれた人物はしゃがみこみ少年の目の高さに自分の目線を合わせると、その頭をくしゃくしゃと撫でた。
 石段の頂上で見た父親の顔には石段と同じ模様が刻みつけられていた。





「……断る」

 ナナクサの提案をツキミヤは跳ねつけた。

「いいか、僕はこの村に観光に来ただけのただの兼業トレーナー、本業院生なのは君だって知っているはずだ。村の伝統行事に引っ掻き回すつもりも、ぶっ壊すつもりも僕には無い」
「壊す訳じゃない。少し内容を変えるだけさ」
「同じことだろう」
「僕はね、何もタマエさんや君自身の信仰をとやかく言うつもりは無いよ。好きなものを信じて、想うものを供えたらいいじゃないか。だが、僕を巻き込むのはやめてもらいたい」

 ツキミヤは本当に迷惑そうに言った。
 下手をすると宿泊先を変えかねないような勢いだった。

 ナナクサの頼み事の「第一段階」はこうだ。
 選考会に出て欲しい。出て、役を勝ち取って欲しい。
 ただし君取ってもらいたいのは主役の雨降様じゃない。かといって名も無い村人でも無い。

 ――君に取って欲しい役の名は、"九十九(つくも)"だ。





 話は一刻前に遡る。
 ツキミヤの要望どおり、彼らは大社にやってきたのだ。
 小高い山にある大社への道のりは神社につき物の長い石段だった。
 石段を上った先には大きな鳥居があって、その太い日本の支柱には雨降大神命の文字が刻まれていた。

「雨降様は名前の通り雨の神様だよ。田を潤し、稲を育てる水が絶えずに在るのはこの神様のおかげだと言われている。伝承によれば彼がやってくるだけで雨が降ったそうだ」

 やってくるだけで、雨。
 おそらくこの神社はホウエン神話の"青いほう"に属しているのだ。
 研究者としてのツキミヤはそう分析した。

「稲作には水が欠かせないもの。だから彼はこの土地の豊穣の神様なんだ」

 ナナクサはそのように解説した。
 思えば、おかしな違和感はこのときからついて回っていた。
 青年はこの村に足を踏み入れて最初に出あった人物の言葉を思い出していた。

「彼は豊穣の神であると同時に、田畑の守護神でもある」

 ナナクサは付け加えるように言った。

「守護神?」
「そう、この雨降様が村にやってくる前には――」

 ナナクサがそう言い掛けた時に知らない声が会話を遮った。

「これはこれは、アナモリさんの所の方が、こちらにいらっしゃるとは珍しい」

 見れば、言葉を遮ったのは、一人の老人の声だった。
 神社の奥から今こちらに出てきたところらしい。

「……これは村長さん、ご無沙汰しています」

 ナナクサは軽くお辞儀をした。

「どういう風の吹き回しだい? タマエさんはともかくとして君もここには全く寄り付かなんじゃないか。こりゃあ明日は雪が降るかもしれんなあ」

 村長と呼ばれた老人はしわがれた声がそう言った。

「何、お客様の要望です。タマエさんのお客様が行きたいというのなら応えざるを得ないでしょう?」

 ナナクサはどこか他人行儀に答える。

「ほお、あのタマエさんにお客さんとな? それまた珍しい。明日は本当に雪が降るなぁ」
「本当に雪が降ったらお祭りは大変ですね」

 ナナクサは嫌味を込めるように言った。

「で、そのお客さんは何処に?」
「僕の隣に居ますが?」
「ほえ?」

 村長はどこかすっとぼけた感じで、視線を移す。ナナクサの隣に立っている人物――ツキミヤをまじまじと見つめた。

「うーん、見たところ普通の人間だなあ。面白くない」
「……ツキミヤです。どうぞよろしく」

 少しムカっときたのは抑えてツキミヤはあくまで和やかに挨拶をした。
 村長が続ける。

「君、タマエさんの親戚か何かかい?」
「いいえ」
「へー、それでなんでだろうねえ。見ず知らずの旅人を泊めるような人じゃないんだけどねぇ。私はね、まだタマエさんが結婚してないような頃から知ってるけど、性格のきっつい女でね、こうと決めたら曲げないというか……美人だったのに勿体無いことだった。亡くなったご主人も手を焼いていたよ」
「はあ……」
「でも、なんでだろうねえ」
「さあ、僕も村に入った直後にたまたま会っただけでなんとも……」

 すると、村長は思い当たる節があるような顔をした。

「村に入った直後に? ツキミヤ君とやら、もしかして君、北側から村に入った?」
「……そういえば北だったような気もします」
「来る途中、タマエさん以外誰にも会わなかったんじゃないかね?」
「ナナクサ君くらいですね」
「それだ!」

 村長は手を叩いた。

「ツキミヤ君、実はあそこ、村では禁域でねえ、めったに人が出入りせんのよ。君はそれと知らずにそこから入ってきたんだろうが……」

 禁域。だから誰とも会わなかったのか、とツキミヤは思う。
 あれだけ人がいる時期にナナクサくらいとしかすれ違わなかったのを不思議に思っていたからだ。

「そうか、それでタマエさんは…………」

 納得したように何度も頷く。

「君も災難だねえ。たぶん彼女、君を人間の客人としては見ていないよ」
「……? 人間以外ならなんだって言うんです?」
「さしずめ妖怪って所、かな」

 妖怪。
 その単語を聞いたのは初めてではなかった。

「村長さん、言っていいことと悪いことがあると思いますが」

 ナナクサは静かに、けれど腹から怒りを滲ませるように声を出した。

「だって……ねえ?」
「これ以上の侮辱は許しません」
「……わかった。わかったよ! だからそんな怖い顔しないでよ。村の者は君を頼りにしてるし、ね?」
「わかっていただけて嬉しいです。コウスケ、行こう」

 ツキミヤの腕を掴むとナナクサはツカツカと大社の本殿に向かって歩き出した。
 後ろから村長の声が響く。

「いいのかいナナクサ君、タマエさんのお客人にお見せするのはちと酷じゃないのかね」

 振り返って返事をする。

「僕もそう思いました。けど祭のクライマックスで"野の火"を見れば同じことです」
「そうかい。まあ、いくら君がタマエさんに雇われているとはいえ、同じ考えを持つ必要は無いのだしね」
「僕の気持ちは変わりません。ここに来たのは客人の望みですから」

 ナナクサは再び背を向けた。

「嫌いだよあの人、米に例えるならそう……汚染米だ。食えたもんじゃない。工業用のりくらいしか使い道が無い!」
「いいのか、米所でそんな発言して」
「人を妖怪よばわりしやがって!」

 吐き捨てるようにナナクサは言った。
 ナナクサもこんな風に怒るのだ。今更ながら青年はそんなことを思った。
 ……今ならいい味がするかもしれない。

「気にしてないよ。それより気になるのはタイキ君にも同じことを言われたことだ」
「タイキ君にも?」
「そう。タマエさんがついに妖怪を泊めたと思った、と」
「タイキ君もか……」

 ナナクサは苦い顔する。

「どういうことなんだい?」
「この先に行けばわかってもらえると思う」





 夏の声、蝉の合唱。
 大きな鈴がごろんごろんと鳴る。
 山の頂上、神社の境内。賽銭箱の前に立って二人は手を鳴らしお辞儀をした。
 人間という生き物はは神様に様々な願をかける。家内安全でありますように、商売繁盛しますように、愛しいあの人が振り向きますように、世界一強いトレーナーになれますように……挙げだせばキリが無い。
 少年はさほど信心深くはなかった。神社で願をかけるのだっていわば父親に付き合っている以上の意味は持たなかったのだ。が、それとは対照的に手を合わせふと見上げた願をかける自身の父はなぜか真剣だったように記憶している。
 
「コウスケ、こういう場所はね、昔むかしの世界への入り口なんだよ」

 売店で買い求めたアイスクリームをスプーンでつつきながら父親は言った。
 甘い味が染みた木のスプーンを奥歯で噛みながら、そんな父の話を聞いていたのを覚えている。

「いろんな神社にいろんな神様がいるだろう。商売の神様、縁結びの神様、安産の神様、豊穣の神様……それはそれはかつてこの土地に生きた人々の願いの結晶だよ」

 祀られている神様を知れば、かつてここに生きた人たちが何を考えていたのか、何に喜び何に悲しんだか、何を想って生きてきたか。そういうことに少しだけだけど寄り添って、想像することができるんだ。そのように父親は続けた。

「だからね、何度も何度も足を運んでいれば、ある時過去に繋がることがある。鳥居を潜るとね、そこは過去の世界だったりする」

 今考えれば、それは肉体的な意味ではなく精神的な意味で、だ。
 けれど幼く、疑うことを知らなかったあの頃、少年は鳥居を潜ると別の世界に行けるような気がしていたのだ。
 青年は時々思い出しては過去の父に問うのだ。

 ねえ、父さん。
 あの時の貴方は真剣に何を願っていたのですか。
 過去の世界に行くこと? 昔むかしを覗き見ること?
 僕の前からいなくなった貴方はその世界に居るのですか。

 青年の問いに父の応答は、無い。





 大社というだけあって大きな建物だった。
 中は参拝客で賑わっており、しゃもじを貰いに来た人々がひしめいていた。
 大きな鈴の前、人々は綱を揺らし鈴を鳴らして手を合わせる。
 宮司は参拝を終えた人々に気前よくしゃもじを配っていた。
 しゃもじに刻まれた名は、雨降大神命。

 ――今年もたくさんお米がとれました。お腹いっぱい食べさせてくれてありがとうございますという感謝の気持ちを表す為にこうしてしゃもじをお供えするんじゃよ

 タマエの言葉が思い出された。
 うっすらと感じ始めていた違和感がさらに大きなものになる。
 本来ならしゃもじはここで貰い、最終的にはここに返ってくるはず。
 それなのに何故。
 何故あの老婆は一人"禁域"でしゃもじを供えていた?
 それに。

「コウスケ、こっち」

 ナナクサがぽん、と肩を叩いた。
 本殿の横に構えているもう一つの建造物を見る。
 宝物殿と言って、村に伝わる伝承や神話なんかを絵巻物や祭具の展示で紹介しているのだと冷めた声で言った。
 二人の青年は中へ入っていく。賑わっていた外に比べると中の人々はまばらだった。
 最初に目についたのは雨降大神命図と題された掛け軸だった。髭を生やした恰幅のいい男で、幾何学模様の不思議な赤い文様が描かれた青い甲冑を着ている武人の姿をしていた。
 その横に流れるような文字で何かが書き付けられている。
 それはだいたい次ような内容だった。

 雨降大神命 豊穣の神にして田の守護者なり
 彼の行くところ必ず雨が降り 田畑を潤す

 ここまでは神社の入り口でナナクサから聞いた通りだ。
 だが、ツキミヤは別の名を探していた。それは、タマエが口にしていた神の名。さっきからずっと違和感を覚えていた。どうして先程から名前が出てこない? なぜしゃもじに刻まれた名は雨降ばかりなのだ。老婆はあの時、雨降でなく別の名前を口にしていたはず。ずっと感じていた違和感。何故名前が出てこない?
 掛け軸の周りには、昔この村で使っていた稲作の工具が並べられているばかりで、探す名はここには無いと見えた。
 ツキミヤは第一の展示室を出て、次の展示室へ、宝物殿の奥へと入っていった。

 そして、見つけた。
 探していた名前を。

 ツキミヤが見つけたのは一枚の掛け軸だった。
 九十九妖狐群図。
 そのように題された掛け軸には九の尾を持った十一匹の狐ポケモン――キュウコンが描かれていた。
 十匹目までは金色の毛皮。いわゆる標準的な毛の色だ。けれどその中で一際大きく異なる色で異彩を放つ力強く描かれた十一匹目が居た。鬼火の色にも似た薄い青を纏った白銀の毛皮。いわゆる色違いである。このような特徴的な外見を持ったポケモンは伝説に残りやすい。そして、おそらくこのキュウコンが彼らを率いる頭なのだろう。禍々しく裂けた口からは今にも炎が迸りそうである。
 その横にはあの雨降大神命図と同じように何かが書き付けられている。
 ツキミヤは流れる筆文字を目で追った。

「どうして……」

 そして、異を声にした。
 だって、彼の聞き間違えなければ、あの時あの場所で老婆はこう言っていたはずだからだ。

 ――ツクモ様は豊穣の神様じゃ。この土地でたくさんの米がとれるのも、ツクモ様が見守ってくださるお陰じゃ。今年もたくさんお米がとれました。お腹いっぱい食べさせてくれてありがとうございますという感謝の気持ちを表す為にこうしてしゃもじをお供えするんじゃよ。

 けれど九十九妖狐群図に書き付けられていたのはまったく異なる内容だった。

 雨降大神命が現れし以前、この土地を闊歩するは九十九率いる一族なり
 九十九、十の九尾と百の六尾を率いる妖狐の長、炎の妖なり
 野を焼き田を焼き払い人々を苦しめる
 九十九現れし所、たちどころに火の海となり、田畑の実り灰燼と成す
 九十九の炎"野の火"と呼び人々は恐れり

「まったく正反対じゃないか、なあ」

 ツキミヤは後に少し離れてて立っているナナクサに言った。

「だから連れてきたくなかった」

 ナナクサはそう答えただけだった。

 さらに進むと伝承を記した長い長い絵巻物がツキミヤに村の伝承を語ってくれた。
 最初にあったのは田と村の人間で、毎年の収穫を糧として人々と周辺に住むポケモン達は平和に暮らしていた。やがて九十九の一族が現れる。彼らは野に、田に獲物を求め、火を放った。やがて巻物は炎で真っ赤に染まった。逃げ惑う小さなポケモン達は捕らえられ、そして人々は収穫を失う。拡大する炎、焼かれ燃えていく野と田。踊る炎。燃える大地。
 そこに現れたのが雨降大神命だった。彼の往くところには必ず雨が降る。九十九の野の火はたちまち雨に消えてしまった。そして雨降は九十九の一族を打ち倒しにかかった。雨降の臣下達に追われ次々に捕らえられ倒されていく妖狐達。一匹、また一匹と灯火が消えてゆく。最後に残ったのは長である九十九、一匹のみだった。
 絵巻のクライマックスは雨降と九十九の一騎打ち。
 だが、雨を降らす雨降に炎を操る九十九が敵うはずも無い。雨降は持っていた矛で九十九を突き差し、妖狐は深い傷を負う。なんとか追跡の手を逃れたものの、ついに村の外れで力尽きた。
 こうして雨降大神命はこの土地の神として祀られ、田畑の守護神となる。人々は田畑を焼かれることも無く、無事に作物を収穫しお椀にいっぱいのご飯をよそることが出来るようになった。そして、雨降への感謝の印としてしゃもじを供えるようになったのだ。
 長い巻物の一番端。物語の結末。

「これが"野の火"の内容か……」

 と、ツキミヤは呟いた。
 
「そう。雨降は水の技を使えるポケモンのトレーナーの中から、そして九十九は炎の技を使うポケモンのトレーナーの中からそれぞれ選ばれる。形式的にポケモンバトルの形になるけれど待っているのは出来レースだ。炎は水に消される運命。雨降は勝ち神となり、炎の妖は滅せられる」

 ツキミヤが絵巻を見ている間中黙っていたナナクサがしばらくぶりに口を開いた。

「タマエさんはね、この村の人間でただ一人の"ツクモ様"の信者だよ。君と出会った禁域のあの場所は九十九が息絶えた場所だと言われている」

 この村の人達は変に信心深いところがあって、今でも祟られるとか呪われると言ってめったに禁域には入ってこない。入るのはタマエさんと僕くらいだとも付け加えた。

「タマエさんは……、」

 言葉を飲み込んでから、もう一度吐き出す。

「タマエさんは、どうして九十九を豊穣の神様だと……」
「わからない。僕が知っているのは、タマエさんがまだ若い頃にあった凶作が関係しているらしいことだけだ。タマエさんも詳しくは語ろうとしないから。けど凶作の時に何かがあって、その時にタマエさんの考えは変わったんだ」

 ナナクサは語った。その時から、彼女にとって今崇められている神様は偽者になった。本当の神様は、祀られるべきはツクモ様だと彼女は主張するようになったのだと。だから彼女は"野の火"も"大社"も大嫌いで、見に来ないし寄り付かない。村の人間は大社にしゃもじを納めるけれど、彼女だけはあの場所に行くのだと。
 そこまで言ってまたナナクサは黙ってしまった。ツキミヤは何も言わなかった。
 宝物殿の掛け軸や絵巻物はただ静かに今ある伝承を語るのみだ。





「コウスケ、僕は悔しい」

 夕暮れの帰り道、ナナクサはそう青年にこぼした。

「タマエさんは確かに頑固で偏屈な人かもしれない。けれど間違ったことを主張する人じゃないと思う。村のみんなはいろんなことを言って彼女を変な目で見る。たぶん孫のタイキ君でさえも。だからせめて僕だけは彼女の味方でありたいんだ」

 空が真っ赤に燃えている。
 夕暮れ、それは昼と夜の境目。
 そういえば昨日村に着いた時もこんな空だったろうか。

「祭の時の彼女を見ているのはつらい。見に行かなくとも舞台で毎年否定されてるんだ。見せ付けられるんだ。お前の信じているのは邪なものだと。祭の度に舞台の上でならツクモ様は復活するけれど、けれど必ず最後に倒される。炎は消される定めにある」

 孤立。孤独。この感覚を青年は知っていた。
 大切な者が冷たい風に晒されているのに近くに行って暖めてやることも出来ない。
 かつて居場所を追われ消えた父。消息は未だにわからない。

「君は不思議な人だな。君になら何でも話してしまえる。やっぱり僕の思った通りだ」

 泣き出しそうな顔でツキミヤを見て、言った。

「せめて一回くらい、違う結末を見せてあげたい。その舞台を見に行かせてあげたい」

 彼は夢物語を口にした。叶わない願いを。
 だが、言葉のもつ魔力だろうか。
 その叶いそうに無い願いを口にした瞬間に、彼の中である考えがひらめいた。

「そうか…………!」

 突然声のトーンを変えて、爛々と眼を輝かせてナナクサはツキミヤを見た。

「そうだったんだ。そうすればよかったんだ。どうして今まで気がつかなかったんだろう」

 遭魔ヶ時に魔物に囁かれたかのような、何かに操られたかのような眼をしていた。

「コウスケ、君に頼みがある」

 ナナクサは云った。
 それは恐るべき内容だった。村中を敵に回しかねないような。

「君に解説をしながらずっと考えていた。タマエさんはあの場所が嫌いで、僕もが嫌いだ。だから、できれば君を連れてきたくはなかった。けれど君は行きたいと言い、僕は君を連れて行った……そして今気がついた…………変えてしまえばいいんだよ。そんな結末は変えてしまえばいい」

 ツキミヤは朝に交わしたメグミとの会話を思い出していた。

 ――たとえばそう……僕が勝手に台詞を書き換えちゃうんじゃないか、とかね
 ――書き換えるの?
 ――僕はあの話、嫌いだから

 まさか。

「コウスケ、選考会に出てくれないか。出て、役を勝ち取って欲しい。ただし君取ってもらいたいのは主役の雨降様じゃない。かといって名も無い村人でも無い。取って欲しい役の名は、九十九」
「なんだって?」
「脚本なら全部頭の中に入っているから流れはわかる。僕がある時点から台詞を書き換えたものを考える。コウスケは二通りの台本を練習して、本番に僕のを採用してくれればいい」
「……本気で言っているのか?」

 赤く燃える空の下、青年は問う。ナナクサは確かに頷いた。

「当たり前じゃないか」

 さっきまでの暗さはどこ吹く風だった。
 ナナクサはいつの間にかいつものテンションを取り戻していた。

「……断る」

 大急ぎで、ツキミヤは提案を跳ねつけた。
 このままだと本当にやらされかねないと悟ったからだ。

「いいか、僕はこの村に観光に来ただけのただの兼業トレーナー、本業院生なのは君だって知っているはずだ。村の伝統行事に引っ掻き回すつもりも、ぶっ壊すつもりも僕には無い」
「壊す訳じゃない。少し内容を変えるだけさ」
「同じことだろう」

 強い調子で言った。

「僕はね、何もタマエさんや君自身の信仰をとやかく言うつもりは無いよ。好きなものを信じて、想うものを供えたらいいじゃないか。だが、僕を巻き込むのはやめてもらいたい」

 ツキミヤは本当に迷惑そうに言った。
 下手をすると宿泊先を変えかねないような勢いだった。

「僕はね、舞台上で神楽舞なんぞやる趣味はないんだ。メグミさんの言うように君がやればいい。村のことを何でも知っている君なら、舞くらいできるんだろう?」
「できるさ。コースケさえよければ徹夜でコーチできる」
「そういうことじゃない! 自分で出ろと言ってる」
「僕はポケモンを持っていない。選考会には出場できない」
「カゲボウズなら貸してやる。鬼火が使えるから選考会に出られるぞ」
「僕は……だめなんだ。君みたいな人じゃないと、いや、君じゃないとだめなんだよ」
「理由になってない」
「理由ならあるさ」
「何?」
「だってコウスケってすごく綺麗だし……僕のイメージぴったりなんだよ。やっぱりビジュアルは大事だよ」
「男の君にそんなこと言われて、僕が喜ぶと思うのかい」
「そう! 米の品種で云うなら、ヒトメボレっていうか」
「……それってうまいこと言ったつもり?」
「それに」
「それに……?」

 あまりまともな回答は期待しないで投げやりに問う。

「なんていうのかな、儚さがあるっていうか……」
「僕はそんなに、もやしっこに見えるのか」
「いやだから、もやしじゃなくて、ヒトメボレ」
「米から離れてくれ」

 こんな時でも米の話か! こいつはどれだけ米が好きなんだ、と思う。

「コウスケ、タマエさんはね。コウスケのことをツクモ様だと思っているんだと思う」
「まさか」
「使用人の僕が言うのもなんだが、タマエさんは偏屈で頑固で古狸で、そもそも旅人を家に泊めるような人じゃない。でもツクモ様なら別だ。あの人が唯一信じている神様だから」
「僕はたまたまあそこに立っていただけだ」
「けど、君は立っていた。前夜祭の日にあの場所に」
「偶然だ」
「けれどタマエさんは信じた」
「やめてくれ」

 だが、こうと決めたナナクサはそれくらいでは引き下がらない。

「お願いだよコウスケ! ツクモ様の役をやっておくれよ。この役をできるのは君しか居ない。君以外にはありえないんだ!」

 その後もずいぶんと二人は言葉の応酬を繰り返した。
 もうお互い何を言ったのかも思い出せない。思い出したくない。
 ただはっきりしているのはお互いの主張は平行線を辿ったこと、そしてツキミヤはどっと疲れて眠りについたということだ。
 最後にナナクサは言った。

「選考会は明日の午後からだ。コウスケがいい返事をくれるのを信じている」、と。

 そんなことを言われても困る。




 りーりーと秋の虫が鳴いている。
 窓の外は青暗い夜に染まっていた。
 明日ナナクサにどんな断り文句をぶつけてやろうかと考えるうちに青年の瞼は閉じた。
 真昼の呼吸が寝息を立てるそれに変わって、意識は無意識の世界に堕ちてゆく。
 すると聞こえてくる。あれは夏の歌。蝉の声、だ。
 ああ、昨日と同じだ。また同じ夢を……。

「コウスケ、コウスケ」

 懐かしい声がして青年は布団から顔を上げた。それは青年の泊まっている部屋だった。
 今の季節は秋のはずなのに外ではミンミンと蝉が鳴いている。
 なんだこれは。今朝の夢と今日見たことが混じっているじゃないか。
 その時、すうっと襖を閉める音がした。見るとちょうど自分の部屋から誰かが出て行くところだった。
 何故だろう。すごく懐かしい。
 青年は廊下に出る。
 さっき部屋を出て行った人物はちょうど廊下の端を曲がるところだった。
 青年は目を見開いた。
 その面影は彼のよく知る人物だったから。

「お父、さん……」

 急いで追いかける。玄関を開け放ち青年は田の道を走った。
 父親の背中がはるか先に見える。彼はゆったりと散歩するように歩いている。
 青年はスピードを上げる。それなのに追いつけない。
 ノゾミとメグミに会った場所を走り抜けた。
 ナナクサに案内された様々な場所を抜けて、青年は父親を追いかけた。
 追いつけない。ただ行く先々に彼の背中だけが見える。

「父さん!」

 青年は何度もその名を呼ぶが返事が無い。
 ただ黙々と歩いてゆくだけ。

「どこに行くんですか、父さん」

 収穫前の夏の稲。青々と茂りまるで海のよう。
 たどり着いた先はその水田の海に浮かぶ島のような小山だった。
 雨降大社。
 父親が石段に吸い込まれていく。
 
「父さん!」

 木漏れ日が石段に模様を刻んでいた。
 父親の背中を追って、青年は石段を駆け上る。
 けれど上がっても上がってもその背中に追いつけない。
 速い。もうあの時のように少年ではない。歩幅もあるし、体力だってそれなりについた。もうあの時のように子どもではない。それなのに。

「待って、待ってください!」

 焦りだけが募る。
 これ以上行かせてはいけない気がした。

 ――コウスケ、こういう場所はね……

 父親の言葉が思い出されたからだ。

「それ以上行っちゃだめだ、それ以上行ったら貴方は……!」

 青年は石段を登りきる。辿り着いたは鳥居の前。高くそびえる鳥居の前。
 鳥居を潜る。不安そうな面持ちでかつての少年はきょろきょろとあたりを見回した。
 どこにも居ない。
 かつて自分の頭を撫でてくれた父親は、もうどこにも居ない。
 ぬるい風が頬を撫でるだけ。

「父さん……!」

 迷子になった子どものように青年は声を張り上げた。
 面影は消えて形を成さない。虚しく声が響くだけ。
 歌う蝉、掻き消される叫び声。求める人には届かない。

「どこにいるんですか、父さん!」

 返事はない。木霊するのは夏の声ばかり。蝉の声ばかり。
 煩い、五月蝿い。
 黙れ。黙れ。

「少しくらい黙ってろ!」

 わかっている。蝉は自分の言葉を解したり、聞いたりはしない。それでも叫んだ。やり場の無い気持ちをぶつけずにはいられなかった。
 わかっている。蝉は自分の言うことを聞いてくれたりは、しない。

 だが、どうしたとこだろう。
 青年がそう叫んだのと同時に、音が静まった。
 まるで合唱の指揮者が両手を閉じたかのように突如として蝉がしぃんと歌を止めてしまったのだ。
 突然の出来事に、青年は耳を疑った。
 ぐるりとあたりを一望する。さっきまで自分が登ってきた石段の、刻み付けられ揺れる模様も、木々が風にゆすられて幽かに揺れているのも変わらない。
 それなのに、世界から蝉の音が、あらゆる音が奪い去られていた。

 ひた、ひた。

 無音の世界に密やかな足音。
 青年は自身の背後から何かが近づく気配を感じ取った。

「父さ……ん?」

 そう言って青年は振り返る。
 だが、振り返った先にいたそれは少なくとも人の形をしてはいなかった。
 はっと目を見開く。
 その姿には見覚えがあったから。夕刻にその姿を見たばかりだったから。

 それは、四つ足の獣の姿をしていた。
 その瞳は燃える夕焼け空のような紅。青白く輝く、鬼火の色にも似たその毛皮。身体よりも大きく映え、風にたなびくのは九本の長い尾。
 きつねポケモン、キュウコン。それも色違い、白銀の。

 ――コウスケ、こういう場所はね、昔むかしの世界への入り口なんだよ

 一瞬の間。
 かつての少年の耳元で父親が囁いた気がした。

「待ちわびたぞ、小僧」

 狐が、言葉を発した。

 その妖、野を焼き田を焼き払う者なり。
 村の伝承。収穫祭。躍り出るは炎の妖。

「ようこそ、我が九十九大社へ」
「つくも、大社……?」

 鳥居の前戻って刻まれた文字を確認する。
 そこにあった文字は九十九。雨降の名では無かった。
 ここは、どこだ?

 父親曰く、鳥居を潜るとたまに過去に繋がることがある。
 青白い毛皮を纏った妖狐は裂けた口をにやりと歪ませて云った。

「待っていた。ずっと待っていたぞ。私を演じられる人間を!」

 鳥居の向こう。
 再び鳴り出す夏の歌。