この小説は未完です。現在公開している部分にも途中で修正が入ることがあります。( 2009/02/09 導入部公開。)






 がらんとしたその建物は、無言で少年を招き入れた。
 ガラスのない窓から夕日が射して、室内を舞うほこりを映し出している。

 少年の担任に言わせればここは十年前くらい前までは工場として稼動していたのだが、他会社との価格競争に敗れ製造をやめてしまったらしい。
 本来であれば建物や土地を売り払うなどして相応の処分をするはずであったが、それすらもままならなかったらしく、今もずっとここに放置されているのだという。
 「危険だから」と担任からは固く入ることを禁じられていたが、少年には少年の事情があった。

 ――探さなくちゃ。

 彼は廃工場のさらに奥へと足を進めた。



●逢魔ヶ時


 彼は――マコトは――どちらかと言えばおとなしいタイプで、外で走り回るというよりは、室内で本を読むのが好きな性質の少年であった。
 だから、放課後もクラスの友達と外で遊ぶということもあまりなくて、いつも町や学校の図書館で本ばかり読んでいた。
 そんな彼だから、体育の成績はたぶん下から数えたほうが早い。
 かわりと言ってはなんだが、国語とか算数、ポケモン学の成績はクラスでは一番だった。
 だからか彼は今の生活にこれといった不満もなく、平穏な毎日を送っていた。

 だが、4月のクラス替えが原因となって彼の生活は変わってしまう。
 彼の新しい担任はどちらかといえば……いや明らかな学力偏重の考え方の持ち主であった。
 だからマコトのようなタイプはかわいがられたのだが、そのかわり、どちらかといえば体を動かすのは好きで、勉強はあんまりやらない子達には冷たくあたっていた。
 そしてマコトはそんな担任の態度はあまり好きではなかったものの、特に何をするでもなくずっと傍観してたのだった。
 それはたぶん彼がそういう扱いをされていなかったから。
 きっとマコト自身、自分には関係ない事であると思っていたのだろう。
 それで、しばらくは何も起こらず1ヶ月くらいが経った。
 けれどもある日、マコトのクラスでテスト返却があり、その時を境にマコトを取り巻く状況が一変することになる。
 テストの得点はなかなかで、担任は「よくがんばったな」と彼を褒めてくれた。
 マコトにとってはいつもどおりだ、そこまではよかった。そこまでは。
 担任はなんだか機嫌が悪かった。
 テストをクラスの全員に返却した後、不満げに自分のクラスの平均点が他クラスより全然低いようなことを言った。
 さらにあろうことか、点が悪かった生徒達何人かを名指しにして、一番言ってはいけないことを言ってしまったのだ。

 ――どうしてお前らはそうダメなんだ!

 ――少しはマコトを見習ってだなぁ

 そのとき、クラス中の視線がマコトに集中する。
 それから彼の生活は変わってしまった。


 第一段階としてクラス中の態度がなんだかよそよそしくなった。

 そしてある日、マコトのうわばきが隠された。
 学級委員が報告し、担任がクラス中に手分けして探させた結果、それは掃除用のロッカーの中からぐちょぐちょに濡れた状態で見つかった。

 これだけならまだよかった。
 マコトが休み時間にちょっと席を離れている間に、ものが無くなったり、ノートや教科書に落書きがされるようになった。

 くだらない、どうせこの場限りだろう、とマコトは思ったがこれだけでは終わらなかった。
 次の日も、その次の日も、それは続いて。

 ひどいときはノートが破られ、ごみ箱に捨てられた。
 上から水が落ちてきたこともあった。

 そして、それらの出来事は日常と化していった。


「おいマコト、一緒に帰ろうぜ?」

 ある日、そんなマコトに声がかかった。
 マコトが顔を上げるとクラスメートの男の子達が三人ほど彼の机を囲っていた。
 それはあのとき担任に名指しにされたメンバーだったとマコトは記憶している。
 いやな予感がした。

 人気のないところに無理やり連れ出されたマコトは、ある者には鞄の中身をぶちまけられ、ある者には服を引っ張られ、ある者には足蹴にされた。
 うすうすそうではないかとは思っていたものの、それでマコトは確信した。
 うわばきを隠したのも、ノートや教科書に落書きしたのも全部こいつらだったのだと。

 そんなことが毎日繰り返される。
 クラスメートたちはマコトがそんなことをされていると知りながら、学級委員のコウジを除いて誰も彼を助けようとはしなかった。
 コウジだけが、マコトの味方だった。
 破られたり、らくがきされたノートもコウジが貸してくれるから、なんとかやっていけた。

 
 ある日、学校から家に戻ったマコトは自分の読んでいた本がないことに気がつく。
 次の日に学校の机を探したけどさっぱり見つからずに何度も机とバッグ、そしてロッカーとを往復し確認した。
 けれどさっぱり本が出てくる気配も無く――結局、本は見つからないまま、給食の時間、昼休みが過ぎ、午後の授業が終わって、終了を告げるベルが鳴る。
 それでも、あきらめきれずにバッグを覗く。

「マコト、何か探してるの?」

 マコトの様子がおかしいことに気がついてコウジが尋ねる。

「本がないんだ」

 と、答えるマコト。

「また、あいつらかな」

 と、コウジが言った。


「人聞きの悪いこと言うなよ。ちょっと借りただけじゃねーか」

 コウジが例のグループに問い詰めると、彼らは白々しい言い訳をした。
 そこでマコトは理解する。
 昨日家に帰ったとき本がなかった理由を。
 いままで我慢してきたのもあるけれど、それに関しては特に腹が立った。
 マコトにとってそれは特別なものだったからだ。

「返してよ!」

 と、マコトは叫んだ。
 あの本は、父親に買ってもらったものだったからだ。
 もともと図書館で見つけたものだけれど自分の手元においておきたくて、それでやっと買って貰ったものだった。
 もしもなくしたなんてことになれば、父親はどう思うだろうか。

「返してやらないでもないけどさ」
「ちょっとあるとこに忘れちまったんだ」
「お前一人でとってこいよ。そしたらあんなもの返してやるよ」

 と、男の子たちは口々に言った。

「どこに置いてきたの」

 クラスメートたちを睨みつけてマコトがたずねるとマコトを取り囲んだ彼らはとてもいやな顔でにいっと笑った。
 彼らがマコトに伝えた場所は、町はずれの廃工場だった。


 その建造物はマコトが住む町の北東の方角に寂しく立っていた。
 工場を囲む粗末なフェンスに「危険・立入禁止」の文字が見て取れる。
 内側にはいくつかの茶色に錆びたタンクが並び、上下左右に曲がりくねった煙突のようなものが工場の壁を走っていた。
 よじ登って入るのは無理そうだったので、マコトはどこか入れそうなところはないかと、その敷地を囲むフェンスそのまわりを見て回る。
 50メートルほど歩いただろうか、フェンスが一部横にそれて曲がり隙間できている場所を彼は見つけた。なんとか入れそうである。
 マコトはごくん、と息を飲み込む。


――マコト、まずいよ。あそこは危険だから先生から入っちゃだめだって言われてるだろ? 本ならまた買ってもらえばいいじゃないか

 コウジはそう言ってくれたが、マコトはそれを却下した。

――もちろん、コウジに迷惑はかけないよ。僕一人で探しに行くから。
――マコト……

 心配するコウジに、マコトが切り返す。

――それにコウジ、今日塾なんでしょ?
――ああ、悪いな。本当は一緒に行くべきなんだろうけど
――そんなことないよ。コウジを共犯にはできないよ。僕一人で行くよ。


 本当は担任からは入らないように言われていた。それもかなり厳しくである。見つかったならなんて言われるか。
 でも、本を探さなくちゃならなかった。本を見つけたらすぐ出るさ。だから――
 マコトは曲がったフェンスの縁に手をかけ、廃工場の敷地へと一歩を踏み出した。

 何を作っていたのかわからない機材が並ぶ空間をきょろきょろとしながらマコトは足を進める。
 広さは僕の通っている小学校の校庭の十倍はあるだろうか。かなり広い。
 ここに本があるっていってもどこから探したらいいものか。
 今まで通った道にそれらしきものはなかった。
 びゅうっと風が吹き、剥がれかけた壁がガタガタと音を立て彼はびくっとしてその方向を見る。
 いやだな。早く見つけて暗くならないうちに帰りたい。
 そんな思いが彼をさらに焦らせる。
 歩けば歩くほどに彼はその広さを実感する。
 本当に、あるのだろうか。いや、あったとして彼らがどこに隠したかなんて見当がつかない。
 こんなに広いんだもの。見つけられないかもしれない。どうしよう。
 マコトは早くも途方に暮れはじめていた。

 機材の並ぶ空間を抜けると僕の前に茶色く錆びたらせん階段が現れた。
 彼は崩れやしないかと心配しながらも一段一段そこを上がる。
 カン、カン、カンとらせん階段は乾いた音色を響かせた。
 そして、ぐるぐると階段を登り、彼が上の階の空間に頭ひとつを出した頃だろうか。

「誰かいるの?」

 と、唐突に人の声が響いた。
 その声に彼は驚いて、あわてて元来た道を戻ろうとする。
 すると、

「ああ、驚かせてごめんね。君もここを見に来たんだろ?」

 と、声の主が続けざまに言った。
 不法侵入で怒られるかと思ったマコトはなんだ自分と同類かと思いほっと胸をなでおろす。
 まさか人がいるなんて思っていなかった。心臓がバクバクと高鳴っていた。
 声の主は同じ町の中学生だった。
 何故わかったかと言えばその人物がその中学校の制服を来ていたから。
 黒い布地に銀に光るボタンの学ラン姿。マコトもいずれは着ることになる制服だ。
 声の主は開けた部屋の隅にあるガラスのない窓の窓際によりかかって、マコトを観察していた。

「そんなとこに突っ立ってないでさ、君も来なよ」

 と、制服が言った。
 マコトはギシギシと音を立てる床を警戒しながらも彼の誘いに応じる。

「いい眺めだよ」

 そう言う彼の言葉に誘導されて、窓の外の風景を一望する。
 そこからは町の風景が、僕の通う小学校、そして彼の通っているであろう中学校までが見渡せた。
 わあっとマコトは声を上げる。
 らせん階段を登っているうちにずいぶん高いところまで来てしまったらしい。

「いい景色だろ? 僕のお気に入りの場所なんだ」

 と、マコトのほうを見て制服が言う。
 彼は自身の淡い髪の色と同じ色を宿した瞳で、マコトの目を覗き込むように見つめると

「僕はコウスケ、ツキミヤコウスケ。君は?」

 と、続けた。

「…………シノザキ、マコト」

 と、マコトは緊張しながら答える。
 中学生と話をするのなんてはじめてだった。

「じゃあマコト君だね。僕のことは好きに呼んでくれていいよ。ツキミヤでもコウスケでも」
「じゃ、じゃあ、コウスケさん」
「はは、そんな固くならなくてもいいよ」

 と、コウスケは笑う。

「う、うん」

 マコトはやっぱり緊張気味に返事をした。でもさっきほどではなかった。
 なんでだろう、今さっき会ったばかりなのにもうこの人は自分の心の中にスッと入りこんでくる。
 中学生ってもっと怖いものかと思っていたけれどこの人はそうでもないな、そんな風にマコトは思った。

「それにしても、君もいけないなぁ」

 と、コウスケが続ける。

「学校の先生から言われてるんじゃないの。ここに入ったらだめだって。まぁもっとも僕も人のことは言えないんだけどね。それにね、ときたま誰かしらが出入りしてるんだ。ここさ。僕の中学もそうだけど、たまに小学生だって出入りしてるもんなぁ」
「小学生…………」

 マコトは突然の事態に驚いてすっかり頭から抜け落ちていた重要事項を思い出す。

「そうだ! ここに僕、本を探しに来たんだ!」

 と、彼は声を上げた。

「本……?」

 コウスケが聞き返す。
 マコトはそれで少しうるっとなってツキミヤに訴えた。

「昨日、タケシ君たちがここに僕の本を隠しちゃったらしいんだ。だから僕探しに来て……でもここ広くて、どこから探したらいいのか……全然わかんなくて。どうしよう……あの本大事なものなんだ! この前、父さんが買ってくれて……だから、どうしよう……なくしたなんて言ったら…………父さんがっかりするよね。きらわれちゃうかもしれない……」

 いつのまにかマコトは涙声になってた。
 うわばきが隠されてから、繰り返されるようになった自分に対するいやがらせ、それまでが押し寄せるように思い出されて、マコトはぽたぽたと涙を落とした。 

「大切なものなんだね。……そうだよね。お父さんが買ってくれたんだものね」

 コウスケはしゃがみこみマコトの目線に高さをあわせると彼の頭をなでる。

「わかるよ。僕にもね、そういうものがあるんだ」

 そう言って彼は足元に置いていた鞄から布にくるまれた何かを取り出すと、マコトの手の平に置いた。
 それは黒い木の実だった。くぬぎをそのまま大きくしたような丸い形の実。

「……ぼんぐり?」
「よく知ってるね。さすが読書好き」

 そう言って、コウスケは立ち上がるとなぜか指をパチンと鳴らした。

「心配しないで。ここにあるならきっとすぐに見つかる。すぐにね」
「え……?」

 なぜそんな簡単に言うのだろうという顔で自分を見つめるマコトにコウスケは自信ありげな顔で笑いかける。

「ここは彼らの遊び場なんだ」

 と、コウスケは言った。

「ここのことは彼らが、誰よりも一番くわしく知っている」
「彼ら?」

 マコトはわけがわからずに聞き返す。

「今、探しているよ。工場の隅々までね。ここに彼らの入れない場所なんてないんだから」

 すると、コウスケが何かに気がついたようにピクっと眉を動かした。
 次の瞬間、

「ほら、もう見つかったみたいだよ」

 と彼は言った。

「えっ……?」

 と、マコトはまた聞き返してしまう。

「探し物はこれだろ?」

 そう言ってコウスケが腕を持ち上げた。
 さっきまでコウスケの表情を注視していたマコトは思わず面食らう。
 彼の手にはマコトの探し物が握られていた。
 まるで彼が手品で本を出したみたいだった。

「さあ、どうぞ」

 コウスケは少年にそれを差し出す。

「あ、ありがとう! コウスケさん!」

 少年の、さっきまで曇っていた表情がぱぁっと晴れやかになった。
 嬉々としてそれを受け取る。

「あの……これ、ありがとうございます」

 そして、本と引き換えにコウスケが自分の手に握らせたぼんぐりを返す。

「ああ、どういたしまして」

 コウスケはぼんぐりを受け取ると優しく笑ってでそう言った。

「でも、お礼なら彼に言ってあげてくれよ」
「彼……?」

 マコトはまた不思議そうな顔をする。

「ああ、ごめん。見えないよね。ほら、君もいつまでも隠れてないで出ておいでよ」

 そうコウスケが言うと、彼の背後からもそっと何か黒っぽいものが遠慮気味に顔を出した。
 その大きな瞳でマコトのことをじっと見つめる。
 見慣れないその『彼』にマコトは目を見開く。

「ポケモン!?」

 と、マコトが感嘆の声を上げる。
 それはてるてる坊主にツノを生やしたようなフォルムのポケモンだった。
 体色は暗い青色。体長の半分を占める大きな頭の下でマントのような衣がひらひらと舞っている。

「このポケモン、カゲボウズ……だよね? 僕はじめて見たよ!」
「この子が見つけてくれたんだよ」

 少し興奮気味に言うマコトにコウスケが伝える。

「そうなんだ。ありがとう!」

 マコトが嬉々としてカゲボウズに礼を言うと、カゲボウズは驚いたのかすぐにコウスケの背後に引っ込んでしまった。
 マコトはそれを追いかけて、彼の背後にまわりこんでみたが、もうカゲボウズの姿はない。

「ごめんね、彼、とっても恥ずかしがり屋なんだよ」

 と、コウスケが笑った。

「彼の仲間もね。とてもたくさんいるんだけど、あまり人前には出てこないんだ。でも、みんな本を探すのを手伝ってくれたんだよ」
「まだ、いるの?」
「そうだよ。とてもたくさん。今は……姿を隠してるけどね」
「今出てきた子もその仲間も、コウスケさんのポケモンなの?」

 マコトが尋ねる。

「そうだな……そうとも言うし、そうじゃないとも言える。よくポケモントレーナーが自分のポケモンを友達やパートナーと言うけれど、それともまた違う。……正直、説明するのは難しい」

 そう言って、コウスケは窓の外を仰いだ。
 空は青い夜の闇が少しずつその勢力を広げ、赤い光はだいぶ西の空へと追いやられていた。

「さぁ、今日は遅いからもう帰ったほうがいいよ」

 と、彼は言った。

「うん、探し物も見つかったし、僕帰るよ」

 本を鞄にしまい込んでマコトが答える。

「ああ、気をつけてね」
「うん、コウスケさんも。本当に今日はありがとう」

 マコトは鞄を担ぐと、もと来たらせん階段へと歩き出す。

「どういたしまして……ああ、それから」
「それから?」

 マコトが振り返る。

「夕方ならたいてい僕はここにいるから。何かあったらまた来るといい。歓迎するよ」

 夕日の赤が遠ざかっていく空を切り取った窓を背景にしてコウスケが言った。
 それはまたマコトが再びここに来ることを期待しているような言い方であった。

「うん! そうするよ。じゃあね」

 マコトは特に深くは考えず答え、軽くコウスケに手を振るとその場をあとにする。
 にわかにカンカンカンという階段を下る音が響き、そしてそれもしばらくすると聞こえなくなった。

「また……、ね」

 がらんとした部屋にひとり残ったコウスケは、少しだけ唇を吊り上げた。
 それは先ほど少年に向けたものとはまるで違う笑み。
 ふわり、と彼の左肩に先ほどのカゲボウズが舞い降りる。

「彼、また来ると思うかい……?」

 先ほど少年から受け取ったぼんぐりをその手に握り、それに視線を落としたままツキミヤがカゲボウズに尋ねる。
 三つの色を宿したカゲボウズの瞳がひらめく。
 同時にコウスケの足元から伸びる影が蠢いたように見えた。





 朝。昇降口の下駄箱前に立ったマコトはふう、と溜息をついた。
 また、隠されたのだ。
 以前隠された掃除ロッカーなどをあたってみたが、うわばきは見つからない。
 マコトは仕方なく靴を脱いだ靴下のまま教室に上がることにした。
 そんな彼を待っていたのはクラスメートの嘲笑だった。

 ――また、隠されたんだってよ。
 ――汚いなぁ。

 そんなクラスメートたちのひそひそ話が交わされた。
 結局、学級委員のコウジが担任に報告、クラス全体で捜索にあたりことなきを得たものの、クラス中が不満そうだった。

 ――まったく何で毎回こんなことしなくちゃいけないんだよ。
 ――めんどくさい。
 ――シノザキ君が自分で探せばいいのに。

「マコト、元気出せよ」
「うん……」

 そう励ますコウジに、マコトは力なく返事をした。
 マコトだって本当はそうしたかった。
 それにしてもなんだよ、とマコトは思った。

「みんなだっては犯人の見当はついてるくせに」

 ぽつり、とマコトは言った。
 コウジは少し困った顔をして、

「仕方ないよ」

 と、答えた。

「それに、そんなことを言ったら、もう、探してもらえなくなるかもしれないぜ? 間違えても言うんじゃないぞ」
「うん、わかってる」

 わかってる。ただでさえ毎回毎回つき合わさせて悪いとさえ思っているのに、そんなこと言える訳がないではないか。
 マコトは言いたい言葉をぐっと飲み込むと、うつむき加減に机に座ったまま、拳をぎゅっと握った。


「おうマコト、お前あの後どうしたんだよ?」

 休み時間中に絡んできたのは昨日のメンバーだった。
 どうやら、あの事の顛末を聞きたいらしい。
 どうせ何もできなかったと勘ぐっているのだろう。

「お前、あそこ行ったのかよ?」
「行けるわけないだろー、だってマコトは怖がりだもんな?」

 鼻にかかる口調で男の子達が挑発してくる。
 マコトはキッと彼らを睨んで

「行ったよ!」

 と、言い返した。

「嘘つくなよ。お前にそんな度胸あるわけないだろ」

 男の子がバカにしたように言う。

「行ったよ! 僕だってそのくらい!! 本だってちゃんと探してきた!」

 ムキになって答えるマコト。
 そうさ、本だってちゃんと見つけてきたんだ。
 男の子たちは少し意外そうな顔をしたが、すぐにまたいやな笑いを浮かべた。
 
「おい! みんな聞いたかよ? マコトの奴あの工場に入ったんだってよ!」
「いけないんだいけないんだ」
「お前ってやっぱいい子ぶってるだけなんだな」
「先生に入るなって言われてるのになー」

 そんな感じでクラス中に大声で触れ回った。
 しまった、とマコトは思った。

 クラス中がまたマコトに視線を注ぐ。
 クラス中が視線が痛く、冷たい。
 ある者は本当にあきれたように、ある者は自分には関係ないとばかりに目をそらした。
 コウジがああ……やっちまったという顔をしてこちらを見ている。

「だって――、」

 と、マコトは言いかける。
 お前らが、本を隠したんじゃないか。お前らだって入ったんじゃないか。

「タケシ君たちだって……」
「なんだよ。俺らが入ったって証拠でもあんのかよ」
「そうだよ証拠出せよ」

 と、彼らは捲し立てる。

「そんなの、」

 と、いいかけて、マコトは口を閉ざしてしまった。
 そんなの、あるわけないじゃないか。
 おとつい彼らがあそこで本を隠したなんてどうやって自分が証明できると言うのだ。

 言葉が続かなかった。マコトの周りを冷ややかな空気が包んだ。
 そして、このことはすぐに担任の耳にも入ることとなった。


「マコト、お前があそこに入ったという話を耳にしたんだが」
「………………」
「本当か?」
「………………」
「俺が、あそこには入らないように再三指導してたのは知ってるよな?」
「……はい」
「言い訳は聞きたくない。入ったのか、入らなかったのかだけ答えろ」
「………………………」
「はっきりしろ!」

「…………はいり、…ました……」

 ぎゅっと、右手で左手を握りつぶすようにぎゅっと握って、マコトは事実を認めた。
 そしてその事実はおおいに担任の逆鱗に触れることとなった。
 事実、担任はそれを知った瞬間、激しく彼を叱責しはじめたのだ。
 まず、第一に、お前に少しでも期待をかけた俺がバカだったと言った。
 第二にお前には失望したとも。
 それからあることないこともいろいろと言われた。
 ただでさえ、毎朝うわばきを探すのが面倒なのを知っているだろうとも言われた。
 だいたいこんなことが怒るのもお前の普段の態度が悪いからだ、お前のせいで授業は遅れるしいい迷惑だ、もうこれ以上めんどうを起こすなとも言われた。

 なんだよ、それ。

 マコトは思った。
 もちろんマコトだって何もしなかった訳じゃない。ときどきは弁解を試みた。けれど聞き入れてもらえなかった。

 呆然とした。
 たとえその場限りの場あたり的な対処でも、一応は味方だと思っていた担任にまで、裏切られた。

 なんで僕がこんなこと言われなきゃいけないのか。
 確かに禁を破ったのは事実だ。
 でもなんで、なんで自分だけがこんな目にあわなくてはいけないんだ?
 そんなに責められなきゃいけないことを果たして自分がしただろうか?

 泣きながら教室に戻っていくマコト。
 さらにそこで信じられない言葉を耳にする。

「うまくいったな」
「ああ、」
「先公のやつすごい顔だったもんなー」
「あれは相当怒鳴られたぜ。ああ、いい気味」

 何人かのクラスメートに混じって聞き覚えのある声が放課後の教室に響いていた。
 それはあの子の声だった。いつもマコトを気遣ってくれていたはずのあの子の。

「マコトのやつ、本当は犯人の見当はついてるくせに、だってさ」

 それはコウジの声。
 間違っても皆に言ってはだめだと言ったことをコウジは自らそこに集まったクラスメート達に触れ回っていた。

「やだー、あの子そんなこと言ってたの?」
「生意気だな」
「馬鹿だなぁ。このクラスにあいつの味方なんて一人もいないのにさ」
「コウジ君もひどいよねー、僕だけは君の味方だなんて顔しちゃってさ」
「タケシたちに本隠させたのだって、あれ、お前のアイディアじゃん」
「いい子ちゃんのあいつが、まさか本当に探しに行くなんて思わなかったけどな」
「ああ、でもかえって好都合だった」


 一瞬、何を言っているのか理解できなかった。いや、したくなかった。
 嘘だ。きっとコウジはみんなにあわせてるだけなんだ。
 彼は必死に、目の前で起こっていることを否定する。

 お願いだ。
 嘘だと言ってくれ。

「最初にマコトのうわばき隠したのだってコウジじゃん?」
「しかも、水につけてさ。あれはなかなか陰湿だったよな」

 嘘だと、言ってくれ。

「前から気に食わなかったんだよあいつ。先公の機嫌ばっかりとってさ。成績がいいこと鼻にかけてただろ? いかにも優等生って感じでさ。でも今回のでそれも終わったな」

 コウジ。
 いやがらせの始まりだったあの事件も、今回の首謀者も君だったと言うのか。

 悪意の混じった笑い声が教室にこだまする。
 廊下にまで響くその声からマコトは逃げるように、その場を去った。


 帰り道。
 マコトは赤く目を腫上がらせて泣いていた。

 あいつらが憎い。
 うわばきを隠して、教科書やノートもぐちゃぐちゃにして、僕の生活をぐちゃぐちゃにして。

 クラスのみんなだってそう。
 本当は誰が犯人だか知っていているくせに傍観を決め込んでいる。
 そのくせ、誰も犯人を責めなくて、自分達に都合の悪いことの原因は全部僕で。
 それどころか一歩引いたところからは一緒に嘲笑って。

 怒鳴ったあの人が憎い。
 元はと言えば、貴方が原因を作ったんじゃないか。
 あの時、貴方が僕のことなんか引き合いに出さなければこんなことにはならなかったのに。



 こんなの違う。絶対に、違う。
 どうして僕がこんな思いをしなくちゃならないの?


 コウジが、憎い。

 何があっても君のだけは僕の味方だと思っていたのに。

 それなのに……それなのに……


 もう、誰も信じられない。



 ああ、もう明日学校に行くのはいやだな。
 いっそのこと休んでしまおうか。

 でも、親になんて言ったらいい?
 仮病を使ったって限界があるし。
 何より、心配はかけたくない……かけられない……

 ああ、せめて、隠されたものくらい自力で見つけられたならいいのにな。

 見つけられたら……

 そこでハッとして彼は立ち止まった。

「そうだ」

 思い立ったマコトは方向を転換する。
 町の北東に向かって駆け出した。

 入ってはいけない? もうそんなこと知るものか。



「こんにちは、マコト君」

 コウスケは昨日と同じ場所に立っていた。
 らせん階段を上がる音からマコトが来たことを察したらしく、マコトがこのフロアに上がってきてからすぐに目線があった。

「来ると思っていたよ」

 確信めいた口調で、言う。

「おいでよ。僕に何か話したいことがあるんじゃないのかい」

 そう言ってコウスケが招き入れる。
 すべてを見透かしているみたいだった。
 マコトはその言葉に操られるようにふらふらと彼の元へと吸い寄せられる。

「さあ、話してごらん」

 少年を懐に招きいれ、ツキミヤが続ける。
 マコトは自然と話し始めた。今日の事の顛末を。
 またものを隠されたこと、それに対する周囲の嘲り。
 時々、感情が高ぶって言葉がしどろもどろになる。
 目のまわりに出したくもないのに、しょっぱい水が溢れて、つうっと頬を伝った。
 ツキミヤがそのおおきな手でくしゃっと彼の頭をなでる。
 すると、なぜだか彼は不思議と落ち着きを取り戻せるのだった。

 マコトは続けた。
 ここに入ったことを触れ回った男の子達のこと、まんまとはめられてしまったこと、それが担任の耳に入って激しく叱責されたこと。

 ……そして、信じていた友人は最初からあっち側の人間だったことを。
 自分をはめる計画も、本当は彼が首謀者であったこと。

「そう、辛かっただろうね」

 そう言ってツキミヤはマコトを抱きしめる。
 すると、堰を切ったようにマコトがわっと泣き出した。
 泣いて、泣いて、泣きたいだけ泣いて。
 もう泣くのはやめようと思っても、次から次へとこみ上げてきて。けれど……やがては泣き疲れて。

「かわいそうに。僕に何かできればいいんだけどな」

 と、コウスケが言った。
 それを聞いて、だんだんと落ち着いてきたマコトは

「そうだ、コウスケさん、お願いがあるんだ」

 と、言った。

「なんだい?」

 と、コウスケが聞き返す。

「僕、せめて隠されたものを自力で見つけるくらいできたなら、なんとか学校にも行っていられると思うんだ。だから――――だから僕に、あの子を、カゲボウズを貸してくれないかな?」
「カゲボウズを?」

 少し驚いたようにコウスケが聞き返す。

「だってあの本をすぐに見つけてくれたし! あの、だめ、かな……」

 マコトはコウスケの顔を見て、不安そうに尋ねる。
 彼は少し考えるようなそぶりを見せたが、何か思いついたのかフッと笑って

「ああ、いいよ」

 と、言った。

「本当? 本当に!?」
「ああ、貸し出すのはあの子でいいね?」
「うん! 僕もそう考えてたんだ」

 マコトがうれしそうに答える。

「聞いてたろう。出ておいで」

 と、コウスケが言った。
 すると、コウスケの背後からひょっこりととカゲボウズが顔を覗かせた。
 それを確認したコウスケは、

「いいかい、」

 とカゲボウズに指示を出す。

「君はしばらくマコト君と行動するんだ。彼の言うことをきいて、そして彼の力になってあげるんだ。いいね?」

 カゲボウズがこっくりと頷いた。

「そういうわけだから、この子をよろしくね。マコト君」
「うん! ありがとうコウスケさん。これからよろしくね、えっと……カゲボウズ」

 ポケモンの種類で呼んでいいのかな。
 ちょっと違和感を覚えながら、マコトは言う。

「はは、ごめんごめん、カゲボウズは彼の他にもいっぱいいるからさ、一匹一匹に名前なんてつけていられなくて。もし種族名で呼ぶのに抵抗があるんだったら君が名前をつけてもいいから」

 と、コウスケは補足した。

「うん! 僕いい名前を考えるよ」

 マコトは元気よく答える。
 それを見てコウスケがにっこりと微笑んだ。

「彼なら他から見えないように姿も消せるし、学校に連れて行くにはうってつけだ。きっと君を守ってくれるよ。それに……」

 そこまで言うと急にコウスケの表情が変化する。
 さっきまでの彼とは違う表情。空が昼から夜に表情を変えたように。
 突然、マコトの目線に合わせ、瞳の奥を覗き込むようにして言った。

「君が望むなら仕返しだってできるんだよ」

 意外な言葉に今度はマコトが驚き、えっという表情を浮かべる。
 すると、コウスケは

「だって、不平等だとは思わないのかい?」

 と、畳かけた。

「君がずっと耐えてきたのに、彼らは何の罰も受けていないんだよ? それにだ、君が自力でものを見つけるようになったら別のいやがらせを考えるかもしれない。彼らに思い知らせるべきだとは思わないか。カゲボウズの力はね、単に物体を通り抜けてものを探すだけじゃないんだ。触れずに物体を動かすことだって出来るし、かなしばりにかけたり、まぼろしを見せたり……鬼火を出すことも出来る」

 いつのまにかマコトは、耳元で囁きかけられていた。

「思い出してごらん」

 そのコウスケの口元が邪悪な笑みに縁取られていても、気付かない。
 言葉に身を委ねてしまう。

「今まで彼らに何をされた?」

 そう言って、コウスケは記憶の中の傷口を開きにかかる。
 つうっと手の指を伸ばして、マコトの胸に触れた。
 トクン、トクンと脈打つ少年の心臓の鼓動を感じ取る。
 マコトの頭の中で先ほど話した嫌な記憶がよみがえり始めていた。

「あ…………、い……いや……いやだ」

 マコトが弱々しく拒否の声を上げる。
 思い出したくなんかないのに、嫌な記憶が次々に再現されていく。
 次第に速くなっていく少年の拍動を感じ取って、コウスケは目を細めた。

「なに……これ、……いや、思い出したくない…………やめ」

 ぎゅっとコウスケの袖を掴んで、マコトが震えた声で言う。
 ぽろりぽろりと涙が滴り落ちる。

「だめだよ。君にはよく思い出してもらわないと」

 冷たい声でコウスケは答えた。
 開かれた記憶の傷口、そこから滲み出してくる血液を舐め取るように、少年の涙を拭い、

「かわいそうに。悔しいだろう? 憎いだろう?」

 と、続ける。
 ズキンと胸が痛んだ。ああ、血が止まらない。
 拭っても拭っても溢れてくる。止まらない。

「恨んでいるんだろう?」

 そんな彼の問いかけにマコトの身体がびくっと反応する。
 ああ、そうだ、と思った。
 僕は憎い。あいつらが憎い……どうしようもなく、憎い。

「復讐してやりたいとは思わないか?」

 コウスケの声が響く。
 復讐……、……あいつらに、僕を貶めた奴らに復讐を。

「そう。何も我慢しなくていいんだよ?」

 耳の内側に染み入るような声で囁く。

「そのためにこの子がいる」

 横目にちらりとカゲボウズを見、彼は言った。

『この子を使って、彼らに復讐してやればいい』

 甘い声。
 脳髄にまで染み渡って思考を支配するかのような甘い甘い声だった。
 コウスケの呼びかけに答えるかのように、少年の胸の内で何か黒いものの種が芽を吹いた。
 工場から送り出された時、もう彼の言葉がマコトの鼓膜にへばりついて、離れなくなっていた。
 頭の中でコウスケの声を再生し続けながら、少年はぼうっとしたおももちで帰路に着く。

 赤と青の空。昨日出会ったあの時と同じような空だった。
 青い闇が空を侵食し、夕日の赤は西の空へと追いやられていく。
 逢魔ヶ時。日が沈み、周囲が闇に浸かりはじめる時。
 それは魔に出遭う時刻。

 廃工場の窓から見える闇が降り始めた町の風景を見下ろし、コウスケは言葉を紡ぐ。

「そうだよ、忘れちゃいけない。思い出せ。君に――僕達に、あいつらが、この世界が何をしたか。決して忘れちゃいけないよ」

 ざわざわと彼の影が蠢く。
 コウスケは窓から目線をそらし、自身のバッグから布に包まれた丸いものを取り出した。
 布の中から出てきたのは、あの黒い木の実。
 手に取って感触を確かめる。

「僕は忘れない。決してこの世界を許さない――」

 と、呟いた。





 マコトの家は父子家庭だ。彼の父は男手一つでマコトを育て養っている。
 そんな父の苦労をマコトだって幼いながらにわかっていたから、本心がどうであれ寂しいとは言わなかった。
 まして、やその父を心配させるなど彼にはあってはならないことだった。

「決めた、カゲマルにする!」

 まだ帰らぬ父を家で待ちながら、おやつのショートケーキをほおばってマコトはそう宣言した。
 いつも一人だったおやつの時間、今日は一人でないことが妙に嬉しかった。

「君の名前だよ。今日から君はカゲマルだよ!」

 突然イチゴが刺さったフォークを向けられて名指しされ、きょとんとするカゲボウズにマコトは説明する。

「カゲボウズだからカゲマル。いい名前でしょ? コウスケさんは名前付けていいって言ってたし、苦情は受け付けないからね」
「…………」

 そんな感じでやや一方的に話を進める。

「そういう訳だからよろしくね。はい、これはカゲマルの分」

 そこまで言うと、マコトは残り半分ほどになったショートケーキをカゲボウズ――カゲマルに差し出した。
 カゲマルは訳がわからずに目をパチパチさせ、首をかしげる。

「もしかしてケーキ食べたこと無いの? 半分あげる。甘くておいしいよ」

 カゲマルはしばらく躊躇していたが、そうマコトが説明するとぼうっと瞳を光らせた。
 するとケーキがふわっと本体が宙に浮かぶ。

「うわぁ」

 感嘆の声を上げるマコト。
 カゲマルはペロッと舌を伸ばすと、ケーキを口の中に引きずり込み、一口にほおばった。

「おいしい?」

 ドキドキしながらマコトが尋ねると、カゲマルは口をもぐもぐさせながら目を細め、頷いた。

「よかった」

 と、マコトが言う。
 次の瞬間、突然、カゲマルはマコトの小さな腕にぎゅっと抱かれる。
 また訳がわからずに戸惑うカゲマルにマコトは

「明日はよろしくね。必ず、僕を守ってね」

 懇願するように、不安げに言った。

「僕の味方は君だけだよ。あいつらに復讐してやろう。だから力を貸してね、カゲマル」

 マコトの口からそんな言葉が漏れると、少年の腕の中でカゲマルの瞳が怪しく煌いた。
 彼の中でまた、嫌な記憶がフラッシュバックをはじめていた。
 また記憶の傷が開く。その傷口から血が滲む。
 それは、じわりと滲む恨みの感情。
 カゲマルはごくりと喉を鳴らした。
 すぐにたまらなくなって舌先でそれに触れてみる。
 甘い。なんて甘いのだろうこの子の感情は。そんなことを考えた。

 ――そう、何も我慢しなくていいんだよ?

 コウスケの声が聞こえたような気がした。



 翌朝。
 ガラガラと音を立てながら教室の戸が開く。
 入ってきたのがマコトとわかった瞬間クラスメート達の視線が彼の足元に集中した。
 彼の足はきちんとうわばきを履いていた。
 クラスメートたちが意外そうな表情を浮かべ、何人かはちえっと悔しそうな顔をした。
 何食わぬ自分の席に座るマコト。

「ありがとうカゲマル」

 と、小声で姿の見えないカゲボウズに伝えた。
 何を思ったのかくすっと笑う。

 クラスメート達が異変に気が付いたのは、授業がはじまってからだった。
 担任がクラス全員に教科書を開くように言うと、生徒たちが次々と困惑の声を上げた。
 何事だと思って担任が見ると、全員の教科書がびりびりに破かれていた。
 何が起こったのかとどよめく教室を冷たい眼差しで見つめ、マコトは唇を軽く吊り上げる。

 これは、ほんのはじまり。
 今日からはじまる仕返しのはじまり。

 復讐の、はじまり――


(続)