■海上の丘にて


 ――なあ、君は    聴いたことがあるかい?

 誰だっただろう。昔そんなことを俺に訊ねた人がいたっけ。
 もうその人が誰だったのか、何を訊かれたのかも覚えていないけれど。




「めずらしいな、雪が降るなんてハジツケタウンくらいなものかと思っていた」

 すうっと自分の横をかすめた白いものに気が付いて男はつぶやいた。

 ホウエン地方――亜熱帯の暖かい気候で知られ、この地方で雪が降るのはめずらしい。 言うまでもないがハジツケタウンの雪というのはフエン山から降る火山灰のことである。 火山灰を集めて作ったガラスでベルを作るといい音かするんだとか――

 空を見上げると、暗い灰色の雲に覆われた空から白い粉雪がひとつ、またひとつと降ってきて、 男の座っているその下に広がる水面に落ちて、ふっと姿を消した。

 波も高くなく、穏やかな夜である。
 雪が舞う海に静かな波の音とシャンシャンシャンという鈴の音だけが響いている。
 男は今、海上を、波で揺れる水面の少しばかり上をソリに乗って滑っているのだった。
 ソリを引いているのは、四頭の、少々ムッツリとした顔をしたポケモンだ。 そいつらは四足歩行でヒヅメを持っていて、 頭からは立派なニ本のツノが生え、そのツノが左右に枝分かれするところには宝石のような玉がついている。
 常識的に考えると、あきらかに海上を移動できそうにない風貌だが、 彼らはあたかも自分たちが空中を走れるのは当たり前といった顔をして宙を蹴り闇夜を走り続けた。 そこらの野生種とは違う。男が"協会"から支給された特別なやつらなのだ。
 さらに彼らの手綱を引く男の隣には、男の着ている服を真似したような、 赤と白の羽毛をまとったポケモンがちょこんと座っていた。 首から胸にかけて伸びた白くふさふさした毛は、隣でソリを操る男のヒゲのようでもある。 マスクのように顔を覆う白い羽毛の中から黄色い嘴が伸びて、きょろっとした目がのぞいている。 ツノのように伸びた白くて太い冠羽は男のまゆげのようであった。
 が、その男のヒゲもまゆげもつけたものだった。 協会規則とやらで服装も風貌もきっちり定められているので、 男は仕方なくこんな格好をしているだけなのだった。

 ――シャンシャンシャン。
 雪の降る海上を男と一羽を乗せた四頭は走り続けた。





 …それにしても、

「なんだってあんなへんぴなところに人が住んでいるんだ?」

 男はぼやいた。
 この問いかけを男は何度繰り返したことだろう。

 今向かっている目的地の担当になって三年目だ。だが最初一回目でその遠さにうんざりした。 ホウエンのミナモ港から船で一日とかそういう距離に目的地があるのである。 男の目的地は、ホウエン本土の東をずうっといったところにある小さな島なのだ。 人口はたいしたことなく男が"荷物"を届ける家はせいぜい二十、三十。数えるほどしかない。 そしてさすがに過疎が進んでいるらしく毎回その数が減っているのである。

 前にここの担当者だった老人は笑顔で男に言った。

 ――荷物が少なくていいよ。手当もいいし。それに…

 それに何だ?

 バカみたいに距離がある。そう言いたかったのか? だとしたら笑えない…

 男はハァ…と白い溜め息をついた。
 この距離のせいで男が年一回の"仕事"を終えて戻る頃には、 同業者はみんな引き揚げてしまっているのだ。その時に感じる疲れときたら。

(今年で三回目だ。帰ったら協会にかけあって、来年こそ配置転換させてもらおう)

 雪の降る海上を進みながら男がそんなことを考えていると、 男の隣に座っていた赤と白の羽毛のポケモン、デリバードがふあっとあくびをした。




 ――シャンシャンシャン。
 あいもかわらず波の音と、この鈴の音だけが海上に響き渡っている。

「……」

 ソリに少しずつだが雪がつもってきた。未だに目的地は見えない。
 男の横に座ったデリバードはそんなことも気にせずのんきにグーグー昼寝をはじめた。 いや、今は夜だから昼寝とは言わないか。 それにしても雪の夜に外で寝ても平気とはうらやましい奴だ。
 横の相棒の無神経さに呆れながら、男は去年と同じように自己分析していた。 この配属がいやな理由の大きな原因はこの単調さにあるのかもしれない。 延々と長い時間ずっとこの退屈に堪えねばならないのだ。
 しかも寒い。 ろくに動きもせずずっとソリにすわりっぱなしだから、 足とか手の指先とか体の先端部からどんどん冷たくなるのだ。
 都市部配属の連中はいい。配達の家は多いけれど退屈しない。それに入るたびに暖かい。 この仕事をはじめたころはまだ都市部の担当だった。 実際にやってみてわかったことなのだが、 入るたびに配達先の家のいろんな様子がわかって面白い。
 子どもの部屋に入ると、ああ、この子は乗り物が好きなんだとか、 ポケモンが好きなんだな…将来の夢はポケモンマスターかなとか、 ここの家、今日はいいもの食っているなとか。親がいい酒飲んでいるなとか。 そういうのをたくさん見られるから退屈しない。
 見学ついでに、ケーキとシャンパンの残りを失敬したり…。 もちろんそんなこと協会規則で禁止されているのだが、みんなやっていることだ。
 だから朝起きてきてみたら高級なシャンパンやワインが微妙に減っているとか、 朝に片付けようと思ってテーブルに放置していた皿の数が家族の人数より1つ多かったとか、 余ったショートケーキのイチゴだけなくなっているとかいうことがあったらたいてい同業者の仕業だ。 うらやましいことに都市部の連中はそういうことが夜通しやり放題なのだ。

 ホウエン支部で真面目にソリ走らせているなんて自分くらいのものだ! クソ!

「おい、スピードが落ちているぞ!」

 男はソリを引く四頭のオドシシに向かって怒鳴ると、ぴしゃっと手綱を波打たせた。

 …ああ、おもしろくない!
 男は、まだ見えない目的地を睨みつけた。





 ――シャンシャンシャン。
 雪の降る海上の、男と一羽を乗せた四頭はまだ走り続けていた。

 もう少しで目的地が見えてくる。
 のんきに居眠りをしていたデリバードは、今さっきお目覚めのようで寝ぼけ顔だ。
 やれやれと、男は思いながらまた手綱を波打たせた。
 しかし、男がいくら手綱から合図してもオドシシたちのスピードが一向に上がらない。 男に続いて今度はオドシシたちが疲れて、そして飽きてきたのだ。 長い距離を走ってきたのだ。もっともな結果である。
 そのやる気のなさを受けてかだんだんソリの高度が海面スレスレに下がってきた。

 バチャッ。

 ソリの足が海面に触れた。

 危なかった。
 ここでバランスをくずして、ソリが転倒でもしたら運んできた荷物がしょっぱくなってしまう。 なにより運び屋一同海に落ちでもしたら寒いどころの問題ではないだろう。 幸いソリは水にも浮かぶ仕様だから、 なんとか全員を引き揚げられたとしても、もう海上から飛び立つのは無理だ。 海の上からでは飛び立つための助走がつけられないからである。

「波に足をとられるな! 高度を上げろ!」

 男はあわてて叫んだ。

「ブモーォオ!」

 オドシシたちは体制を立て直して高度を上げつつも、もういやだとばかりに声を上げた。

「がんばれ! 目的地まで持ちこたえるんだ。あと少しだから」

 男はそういってオドシシたちをせかしたが、なおもオドシシたちは訴える。

「ブモー」
「なんだようるさいな」

「ブモーーブモッ、」
「は、なんだって?」

「ブモーーオッ」
「何、スタミナ切れ。またそんなこと言って」

「ブモッ、ブモッ、」
「何? 出る前に余裕ぶっこいてたら飯を食いそこなった?」

「ブモブモッ」
「だから一休みして、ついでに飯を食わせて欲しいだって?」

「ブモー」
「バカッ! 海の上で休む場所なんてあるかッ!」

 男は額にプッツンマークを浮かべながら叫んだ。

 くそう、俺としたことがこんな初歩的なミスを犯すなんて。 オイルを入れなかったら車が走るわけないじゃないか。 しかも普段地を走るのとはワケが違うのだ。 地を離れ宙を走る文字通り離れ業をやるのだからそれ相応のエネルギー補給を要するというのに!
 いや、オイルはある。デリバードの袋にいざというときの非常食料をつめてある。 だが、この状況下(海上をけっこうなスピードで走っている)でどうやって食わせるというのだ。

 デリバードに飛んでもらって食わせてみようか…そんな考えが男の脳裏をよぎったが、却下された。
 空中走行中での受け渡しは、ものすごく不安定な上に、食料の消化も悪そうだったからだ。 勢い余ってノドにつまらせるかもしれない。 なによりデリバードは飛ぶスピードがソリよりのろい。 きっと飛び立った瞬間に海上に置いてきぼりを食らうだろう。
 ソリのスピードを落とすことも考えたが、そこまで落すとソリが着水しかねない。

 しかし、馬力がでないっていうのはちょっと困った事態だ。 到着しないうちに夜が明けてしまうではないか。 いや、それ以前に海上で走れなくなってしまったら…

 ……。

 男は万が一のため緊急事態を想定した。
 ええと、仮にヘタをして海上で走れなくなるとすると… 海に浮かんだソリの上でしょっぱい荷物とこれまたしょっぱいオドシシを乗せて 協会の助けを待つ……うう、考えただけでも寒そうだ。

 ――荷物が少なくていいよ。手当もいいし。それに…

 それに何だ?

 着水、漂流、救助待ちか? だとしたら笑えない…

 かじかんだ手がよけいに冷えて、男はげんなりした。




 ――シャンシャンシャンシャン。

 そんな一抹の不安を抱えつつ、一行は海の上を走り続けた。
 そして困ったことに、オドシシたちの消耗が予想以上にはげしいことに気が付いた。
 いつもの年と違って雪がふっているせいかもしれない。 めったに雪がふらないホウエン地方で、雪。 子どもたちは喜ぶかもしれないが、男にとっては厄介以外の何者でもなかった。
 現に「ヘタをしたら」は「もしかしたら」に、「もしかしたら」は「結構やばいかも」に変わりつつあった。

 ――なあ、君は   聴いたことがあるかい?

 こんな状況の中、男の脳裏に浮かんだのは、昔誰が言ったのかもわからないあの言葉だった。
 いかんいかん、そんなこと思い出している場合じゃない。 男はプルプルと首を振った。




 ――シャンシャンシャンシャン。

 オドシシたちは鼻息を荒くしながら必死に走っている。 その甲斐あってかとうとう小さくだが目的の島が見えてきた。 島の灯台の明かりが回転しながら闇夜を照らしているのが見える。
 男は灯台が見えたことに一種の安堵を覚えつつも、同時に焦燥感も感じていた。 見えるといったってまだ距離があるのだ。

「あと少しだ。たのむ! 踏ん張ってくれ」

 男はオドシシにすがるように言った。もうそれ以外頭が回らなかった。
実は、男はもう一つのミスを犯していた。 焦燥感が彼の判断を鈍らせたためだろうか、それともホウエンにはめずらしい雪のせいだろうか、 男はその雪が積もって重くなったソリのことなどすっかり忘れていたのである。 重量を重くするソリに積もった雪…デリバードに払わせるべきだったのにそこまで頭が回っていなかった。
 そして、もちこたえて欲しいという男の願いをよそにいよいよスピードが落ち始めたのだった。

 男は苦い顔をした。 手綱の感覚からなんとなくわかる。もうオドシシたちに目的地まで走るだけの力は残されていまい…。
 ほうら、まただんだんとソリの高度が下がっている。 もうこれは空を走ってるんじゃない、落ちるのに時間をかけていると表現するのが妥当だ。

(無理をさせれば、あと何キロかは走るかもしれない…が、どうせ着水するなら体力は温存しておいたほうがいい…)

 男はついに覚悟を決めた……というか諦めた。
 だんだんと近づいていてくる暗い海面を見つめながら、男は急激に冷めていくのを感じていた。

(こんなときのために自分とポケモン達にはライフジャケットをつけている(ちなみにこれも協会規則だ)…溺れることはあるまい。 とりあえず…無事ソリが着水できて、それでオドシシたちを引き揚げたら デリバードの袋から救難信号の発信機を取り出して…それで…)

(それで帰ったら、協会に配置転換を申請しよう。来年は何が何でも絶対に変えてもらおう…)

 もう、海面はもう目の前に迫ってきていた。
 先頭のオドシシ二頭が意を決してボチャっ海にと飛び込むと、崩れるように後ろの二頭が海に入った。
 そして、ソリの足が水について…、ソリは海に着水した。
 海に着水したソリからは、もう鈴の音は響かなかった。


 ――荷物が少なくていいよ。手当もいいし。それに…

 それに…? なんだっけ? あの前担当のじいさんはあのとき何て言ったんだっけ?

 なんにしろ、これで救助待ちだな…。


 男は波に揺れるソリの上でバランスに気をつけながら立ち上がると、オドシシたちの手綱をたぐりよせはじめた。


 だが、その時、予想もしないことが起こった。
 ガタっとソリが揺れたかと思うと突然海面が盛り上がったのだ。

 バランスをくずした男は、ソリから落ちて海面に突っ込んだ。

 ボチャン!

 海面に顔が突っ込む瞬間、そんな音がするかと思われた。
 だが、代わりに「ブニョッ」という感触が伝わってきた。

「ブニョッ?」

 ブニョッとするものに三分の一ほど顔を埋めて、男はいぶかしげに声を上げた。
 さらに、そのブニョッとするものは高度を上げた。
 男が手をついて顔を上げると、海水がザバァーっと音を立てながらソリを中心に引いていくのが見えた。
 そして海水の呪縛から自由になったオドシシたちが、体を震わせぶるっと海水を飛ばしてきた。
 盛り上がってきたのは"海面"ではなく"陸地"だった。

「と、とりあえず助かったみたいだが…」

 男が気を取り直そうとした、その瞬間――



 シュゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!



 男たちの目の前で急に海水が吹き上げられた。
 目を丸くしてあっけにとられる男たちを尻目に海水は数秒ほど吹き上げられてそして収まった。

 男が、突然盛り上がった海面――いや、ブニョブニョする陸地の正体を悟ったのはその直後だった。

 男が、海水が吹き上がった場所までまでブニョブニョ歩いていってみると、そこには二つの大きな穴が空いていた。
 この陸地の鼻、である。

「オオオオオオオオオオーーーォウ」

 そして陸地が唸った。 それは陸地が――ホエルオーが仲間を呼ぶために使う唄であった。
 ホエルオー、うきくらじらポケモン。現在確認されているうち最大のポケモンであり、その巨体は十数メートルに達するという。 男たちが着地したブニョブニョする陸地は、ホエルオーの背中だったのだ。
 そして、すぐ近くから、あるいはずっと遠くから、 次々と潮が吹き上がって、返し唄が聞こえてきた。

「……」

 男は今の今まで実物のホエルオーというものを見たことがなかった。
 そして、そのスケールの大きさに畏怖の念さえ覚えたのだった。
 百聞は一見にしかずとはよく言ったものだ。

「ルォオオオオオオオオ」

 男が乗っているホエルオーがまた声を上げた。

 ああ、思い出した…と、男は回想した。


 ――なあ、君は鯨の唄を聴いたことがあるかい?

 誰だっただろう。昔そんなことをいった人がいた。


 ――荷物が少なくていいよ。手当もいいし。それに…

 それに…


 …知らなかった。
 今まで二度までも通っているのに、こんなに大きな存在に気が付かなかったなんて。 今の今まで俺は何を見てきたんだ? いや、そもそも見ようともしなかったのではないか?

 男がそんなことを考えているうちにも、一匹、また一匹とホエルオーたちが浮き上がって、海上に姿を現した。 進化前のホエルコたちもたくさん顔をのぞかせている。

 男の横では、デリバードが自分の袋から、 気前よくヘイキューブ(干草を固めてブロックにしたもの)を取り出して、オドシシたちに配っていた。 海水が引いたばかりのホエルオーの背中の上に置いてしまったものだから、 少しばかりしょっぱくなってしまったが、オドシシたちはお構いなしだった。 空腹は何よりの調味料なのだ。

「ルォオーーーーーーウ」

 そんなオドシシたちを尻目にホエルオーたちは唄い続ける。
 男はしばし鯨たちの唄に聴き入った。

「オオオオオオオオオオーーーォウ」

「ルオオオオオオオオオオーーー」

「ーーーーーーォオ」

 波音を伴奏にして鯨たちは唄い続けた。
 唄い手はどんどん増えて、そして彼らは唄いながらある方向に向かう。 男たちがめざしていた島の方向である。乗せて行ってくれるつもりらしい。
 刻々と島が大きくなって、島に建てられた灯台の光りが大きくなってきた。 その光に合わせるかのように、合唱が盛り上がっていく。


 ――なあ、君は鯨の唄を聴いたことがあるかい?
 ホエルオーはあの巨体で唄うんだ。繁殖期には恋の唄を歌う。
 驚いたことに年によって流行り唄ってのがあるらしい。
 そして、より巧みな唄い手がいちはやくパートナーを手にするんだ。


 そして転調。 強弱をつけて、ときに緩やかに、ときに激しく鯨たちは唄った。
 雪が降る中を灯台の明かりがくるくると回る。 それはまるで雪の闇夜という舞台で、海上に響くオーケストラを指揮しているかのようだった。

 そして、鯨たちの唄声が長く細く響いて……、何十回目かの灯台の光りがこちらに向けられたとき、 ライトを背に鯨たちがいっせいにジャンプ…――ブリーチングをした。
 ブリーチング、それは自分の力を誇示するためにすると言われている。
 持ち上げられた巨体が海面に叩きつけられて、あちらこちらで水しぶきが上がった。 海上という大舞台のフィナーレに相応しい演出だ。


 なんだってあんなへんぴなところに人が住んでいるんだ?

 今の配属になって以来、男はなんどとなくそんな問いを繰り返していた。
 今夜、海上の丘の上に立って、その理由がやっとわかった気がした。


 ――荷物が少なくていいよ。手当もいいし。それに…
 それに、君さえその気ならきっといいものが見れるよ。きっと――





 すぐそこまで迫ってきている目的地を前に"燃料"を補給したオドシシたちは威勢よくいななく。 その横で男は協会から配布された資料に目を通した。

「たしか一番近いのは…この子の家だったな」

 男が目を通している資料、 それは目の前に迫った島で男の運ぶ"荷物"を待つ子どもたち、 そしてその品目が書かれたリストである。
 一番目には"Toshiharu"と書かれている。

「プレゼントは…双眼鏡、それにフィールドノート」

 ああ、そうか、きっとこの子は……と男は理解した。 男はその子の未来を想像し、リストをポケットにしまいこむと、ソリに乗り込み手綱を握った。 そしてこの地に生まれたその子の幸福と、この地に派遣された自分の幸運を思うのであった。

「素敵な時間をありがとう。そろそろ我々は行きます。子どもたちが待っているのでね」

 男は手綱を波打たせた。オドシシたちが走り出す。四頭はホエルオーの背中の上で助走をつける。 ちょっとブニョブニョしていて走りづらい滑走路だが、元気を取り戻した今なら大丈夫だ。  そして滑走路の鼻、潮の噴出孔のあたりでふわっと宙に舞い上がった。
 手綱を握る男のかわりに、デリバードがホエルオーたちに手をふった。 ホエルオーたちが潮吹きで応える。

「 メリークリスマス!!」

 男は――いや、若きサンタクロースはそう叫んで口笛を吹くと、ぴしゃっと手綱を波打たせた。 オドシシたちが勢いづいて全速力で走り出す。

「みなさんお元気で、また来年に!」

 鯨たちからソリが遠ざかる中、サンタクロースはたしかにそう言った。
 もう配属を変えて欲しいなんて思わなかった。








 ――なあ、君は鯨の唄を聴いたことがあるかい?

 ある夜のことだった。
 眠れないという少年におじいさんはそんなことを聞いた。

 ――ううん、ないよ。

 と、少年は答えた。

 ――そうか、

 と、おじいさんは言った。そして、語りはじめた。
 巨体のホエルオーが唄う事、恋も唄うこと、流行り唄があること…自分はそれを毎年聴いていること…。

 ――そうなの、いいなぁ…。

 そのときの少年は目を輝かせて、そして、うらやましそうにその話を聞いていた。 そんな少年を見て白い髭のおじいさんはこう云ったのだった。

 ――じゃあ、いつかは君に代わってあげよう。

 ――本当? 約束だよ!

 ――ああ、約束だ。









 ――シャンシャンシャンシャン、シャンシャンシャン。

 雪交じりのライトが照らす海上。
 波音に混じって、鈴の音だけがいつまでも響いていた。