昇竜ノ祭-しょうりゅうのまつり-


 私の生まれ育ったチョウジタウンでは、毎年秋になるとお祭があります。
 その日、中央広場の太鼓が荒波の押し寄せるような音を奏でると、昇龍――ギャラドスの群れが現れて、町の通りという通りを泳ぎ回るのです。
 その様子は、町の若者達が巨大な張子のギャラドスを棒で支え、突き上げ、その長く巨大な身体をうねらせることで表現されるのです。
「龍がくっどー!」
 と、誰かが叫んで回ります。
 するとほどなくして、昇龍が現れます。チョウジに古くから伝わる威勢のよい歌を口ずさみながら、若者達が龍を泳がせ、くねらせて町を練り歩いてゆくのです。
 青い数珠のような身体をくねらせながらギャラドスが通ると、子ども達は泣いたり笑ったり。普段は落ち着きを払っている大人達も大げさに驚いてみせます。
 特にたくさんの昇龍達の中に一匹だけいる、赤い鱗のギャラドスが通るとワッと歓声が上がります。赤いギャラドスは商売繁盛に恋愛成就、とにかく厄を遠ざけて福を授けてくれると昔から信じられていて、祭の中でも特別な存在なのです。お祭中に赤いギャラドスに遭遇すると次の年は幸福に過ごせると言われています。
 とにかくこのお祭の日ばかりはみんな羽目を外して、飲んで、踊って騒ぎます。
 けれど、私はこの祭が嫌いでした。
 この日が来なければいい、そう願っていました。
 今考えれば何をそんなにこだわっていたのかと思いますが、とにかくあの頃の私はこの行事を疎ましく思っていたのです。
 それはこのお祭の由来と関係していました。

 あの頃、まだ小学生だった私は飼育係でした。
 学校の校庭の奥に大きな池と原っぱがあって、小さなポケモン達が放し飼いになっていました。春に学年が上がって、係になった私の日課は毎日放課後に小さなポケモン達にエサをやることでした。原っぱにはコラッタやポッポ、ハネッコがおりますし、池にはハスボーやニョロモ、そしてコイキングが泳いでいます。私の姿を見かけるとみんな近寄ってきてくれます。私はそれがうれしくて、毎日放課後が来るのが待ち遠しかったものです。
 けれど、ある日を境に平穏だった日々は乱されました。
 十歳になってポケモンを貰ったというクラスの男の子が一人、たびたび現れては、特訓と称し、ここにいるポケモン達にバトルをしかける様になったからです。
 バトルといってもそれは非常に一方的なものでした。攻撃をしかけられるとポケモン達は一目散に逃げていきます。初心者用といってもある程度戦えるように訓練されていた彼のワニノコに敵うポケモンはいませんでした。中には戦うポケモン達もいて、コラッタはたいあたりで、ポッポは小さな風を起こして少しばかり抵抗するのですが、結局は負けてしまうのです。特にコイキングは情けないもので、池の外に投げ出されては、ただはねているだけでした。これはもうポケモンの性質なので仕方ないのですが、彼はそんなコイキングを特に馬鹿にしているようでした。
「こんな弱いポケモン、誰も捕まえないぜ」
 いつもそう言っていました。
 そうしてコイキングが池に落ちるまでひたすら攻撃を加えるのでした。
「やめてよ、やめてよ」
 私は何度も男の子に訴えました。けれど彼がそれを聞き入れることはありませんでした。彼はたびたび現れては逃げ回るポケモン達を追い回し、攻撃しました。
 私は先生や大人達に訴えました。
 ここのポケモン達にバトルを仕掛けるのをやめさせて欲しい、と。
 けれど、私の願いは聞き入れられませんでした。ある先生はポケモンはバトルをする生き物だ。ケガしたってすぐ治るから大丈夫だと言いました。ある先生は少しは同情してくれましたが、仕事が忙しくて構っていられません。信じられないことにお父さんに至っては
「それはお前のことが好きなんだよ。一緒に遊んであげたらどうだい」
 などと言いました。
 お母さんは放っておきなさいと言ったまま、何も考えてはくれませんでした。
 大人なんてアテにならない。みんな一緒。
 しばらくの間、それが原因で両親と口を利きませんでした。

 私が祭の由来を知ったのはそんな頃のことでした。たぶん社会科の一環か何かだったでしょうか、地域の歴史を知ろうというような授業があって、その日は白い不精ヒゲの町内会長さんがお話をしたのです。そこで会長さんは次のようなことを語りました。
 昔むかし、まだ土地を殿様が治めていたころ、いかりの湖からギャラドスの大群がやってきて、所構わず暴れまわった。人々とそのポケモン達は力を合わせて戦ったが何せ相手が強すぎて勝ち目が無い。そこでシロガネ山近くの竜の里に住む高名な巫女に頼んで神に伺いを立てたところ、ギャラドスを奉るようにすればいいとのお告げがあった。それがこの町の祭の始まりである――と。
 私はなんだかとても情けない気持ちになりました。つまり私達が毎年楽しみにしていたお祭というのは横暴な者の機嫌をとるために始まったというのですから。
 それで私は祭のことが嫌いになってしまいました。だって、私には暴れ回るギャラドスと、手の付けられないあの男の子とが重なって見えてしまったのですから。こんなことが許されていいのだろうか。私は憤りを覚えました。だから、そういう行為を働く者の機嫌をとる町の大人達が、ひどく憎く思えたのでした。
 ああ、これが大人達の正体なのだ。みんな敵わない者に媚びるんだ。媚びへつらうんだ。
 最初から、私に味方なんていないんだ。
 いないんだ。
 秋のお祭が近づく度に憂鬱でした。祭に向けて、町全体が盛り上がっていくのに反比例して、私の気持ちは沈んでいきました。
 お祭の日なんて来なければいい。来なければいいのに――。
 私はそう願っておりました。

 祭の日の三日程前だったでしょうか。まるでバケツの水をひっくり返したような大雨が降りました。
 次の日になって登校した私が、小雨の、まだ水の引ききらないべちょべちょの校庭を長靴を履いて歩いていくと、原っぱの一部は水没し、池の大きさが二倍ほどになっておりました。
 そうしてぬかるみに足をとられながら池に近づいた私は妙なものを見つけました。
 池の一角を見慣れないポケモンが泳いでいるのです。
 ですが、よくよく目を凝らしてみると、それは知らないポケモンというわけではありませんでした。むしろ毎日接しているポケモンでした。
 けれど、いつも見ている「そのポケモン」とは明らかに違う点がありました。
 それは「色」でした。
 私が見つけたのは金色のコイキングだったのです。
 いわゆる色違いというやつです。増水した池の中をゆったりと泳ぐそのコイキングは口の先から髭(ひげ)、尾鰭(おびれ)の先まで全身金色でした。コイキングが泳ぐ方向を変えるたびに金の鱗がキラキラと輝きます。大雨の時にどこからか流されて来たのでしょうか。私はしばしその姿に見入っておりました。
「すっげー! 色違いじゃん!」
 聞き覚えのある声が聞こえて、私は振り返りました。見るとあの男の子が私の後ろに立っていました。私は顔をしかめました。彼が何を考えているかすぐに読めてしまったからです。
「いけ! ワニノコっ!」
 予想通りです。男の子は金のコイキングにワニノコをけしかけました。ボールから出された彼の相棒はすいっと池の中を泳いでいくとその大きなアゴでコイキングを掴みにかかりました。そうしてコイキングを捕らえると池の外に投げ出しました。
 男の子はもうひとつのボールを手に取りました。こんな弱いポケモン誰も捕まえないなどと豪語していた彼ですが、やはり色違いとなると目の色を変えたのでした。どんなに弱いポケモンでも色違いならクラスの皆にも自慢できると考えたのでしょう。
「ひっかけ、ワニノコ!」
 彼はコイキングにダメージを与えるべくワニノコに命令します。池から投げ出され、びちびちとはねるコイキングにワニノコが向かっていきます。
 しかし、その攻撃は不発に終わりました。
 私の目の前で信じられないことが起こったのです。
 ビチビチとはねる金色のコイキングの口元がカカッと光ったかと思うと、炎のような雷のような波動が発せられ、ワニノコに命中したのです。ワニノコはビリビリと痺れ、目を回してその場に倒れてしまいました。
「……ウソだろ」
 男の子はしばし口をあんぐりあけて突っ立っておりました。
 私も口をあんぐりとあけていました。
 あれほど馬鹿にしていたコイキングに自慢のポケモンがやられたことがよほどショックだったのでしょうか。それ以来、男の子がこの場所に現れることはありませんでした。
 次の日にはもうコイキングはいなくなっていました。大量の雨を降らした暗い雨雲が引くのと同時に、金のコイキングも姿を消してしまったのです。池にはいつも通りの赤いコイキングだけが泳いでおりました。
 炎のような雷のようなあの技が「りゅうのいかり」だったことを知るのは、私がもう少し大きくなってからのことです。

 お祭の日がやってきました。
「龍がくっどー!」
 威勢のいい太鼓と共に中央の広場からギャラドス達が押し寄せてきます。
 屋台のオクタン焼きを口にほおばりながら待っていると一匹目がやってきました。
「赤だ!」
「赤がきたぞ!」
 と人々が口々に叫び、歓声を上げました。
「来年はいい年だぞ!」
 誰かが言いました。
 私は人々の間を縫って、赤いギャラドスを一目見ようと人だかりの前に立ちました。するとちょうど龍を操る若者達がやってきたところでした。私のちょうど頭上でえっさえっさという掛け声と共に赤い龍がくねっています。一瞬でしたが、赤い龍と目があった気がしました。
 私の後ろで、誰かが言いました。
「知っとるか。ギャラドスってえのはコイキングの進化系なんやて」
「知っとる、知っとる。けどはじめて知ったときゃホンマまにおったまげたわー。
なんたってあのコイキングだしな」
 見ると町のお年寄りが二人、通りを泳ぎ進んでくギャラドスを見送りながら会話しています。
「そんでもってな、赤いギャラドスになるコイキングはな、全身金色なんやそうや」
「知っとる知っとる。ホンマおめでたい色やなー。見たことはないけどな」
 がはは、と二人は笑いました。

 
 あれからずいぶん時が経って、私もすっかり大人になりました。今は別の町で働いていますけれど、毎年この時期だけは里帰りします。この町で生まれた人はみんなそうです。
 日が落ちて夜の帳が降ろされます。
 そうして、どこからか威勢のいい声が聞こえてきます。
「龍がくっどー!」
 波の音に似た太鼓が響き、昇龍が、ギャラドスがやってきます。
 今年も、お祭が始まります。