達磨-だるま-

 だるまは宗教、宗派を超えて親しまれる縁起物で、多くは赤色の張子(はりこ)として製作される。目の瞳の部分は白とし、願掛けをし、叶うと書き入れるが、近年は観賞用のものや、様々な色をしたものが多く出回っている。
 やはり縁起物だけに需要のピークは年末年始である。その為、師走になると職人達はだるまの絵付けに忙しい。

 さて、このだるまだが、全国に男人、女人、ホーホー、コロボーシ、プリンなど様々なバリエーションが存在し、それぞれに云われがある。が、どうもその大元を辿ると、オリジナルはヒヒダルマらしい。最初にヒヒダルマを模すことから始まり、派生していったという説が有力である。だが、ヒヒダルマは(一部帰化している個体群を除き)我が国には生息していない。どのようにしてこのポケモンがだるまのモデルとなり、デザインとして広がるに至ったのであろうか。

 その謎を解く鍵は室町〜戦国時代にかけて成立した興猿記(おこりざるき)にある。
 それによれば、その頃のわが国に壱集国(現在のイッシュ地方)からの帆船が出入りするようになり、宣教師ルイス・ハルモニア・グロピウスがやってきたという。
 時の有力大名であった織田氏は、家臣との獣相撲(今で言うポケモンバトル)に勝ったなら布教をさせてやろうと云い、ルイスを試した。そこで彼が繰り出したポケモンが炎の狒々であった。これこそが現在ヒヒダルマと呼ばれているポケモンで、これが大変に強かったのだという。
 城下でたちまちこのポケモンのことは評判になり、これに目をつけた商人、夏備(かび)権兵衛(ごんべえ)がその姿を模して縁起物として作らせ売りに出したところ、大当たりした。こうしてヒヒダルマのデザインは形を変えながら全国に広がってゆくことになる。
 達磨の種類によってご利益や目的は異なるが、オリジナルのヒヒダルマ型はその云われからも、バトルでの勝利を願うトレーナーや、その実家で子を待つトレーナーの親達が買い求めることが多いという。