(二)七草


 収穫祭、とあの老婆は言っていたか。
 集落に到着した青年を出迎えたのは溢れんばかりの群衆だった。
 人々、そして彼らが連れるポケモン達で賑わう通りは橙や黄色の暖色の光に包まれ、活気を帯びている。
 あちらやこちらからドコドコと響いてくる太鼓の音、それに合わすように響いてくる笛の音。
 想像していた以上の規模だった。
 ここまで来る途中に二人にしか出会わなかったことをツキミヤは不思議に思ったくらいだ。
 通りには所狭しと屋台が並び、ある店からはじゅうじゅうと何かを焼く音が、またある店からはもくもくと湯気が立ち上っていた。
 ポケモンセンターはどこにあるのだろう。
 きょろきょろとあたりを見回しながら歩いていると、通りに並んで立つ屋台の店主の一人に呼び止められた。

「おにいちゃん、お餅一個どう? 今年とれたてのつきたてだよ」

 そう言われ、まだ暖かさの残る餅を一個手渡された。
 店主は通りを歩く人々に次々に声をかけると気前よく、餅を配ってゆく。
 通りの人々は当たり前のようにそれを受け取って、ありがとーなどと言うとパクつきながら通り過ぎてゆく。

「あの、いいんですかこれ」

 ツキミヤはあまり状況が飲み込めずに手渡された餅を店主を交互に見ながら尋ねた。

「あ、もしかしてお兄ちゃんここ初めてなの? 大社でしゃもじを貰ってね、それを見せればお米を使った料理はみんなタダなんだよ」

 しゃもじ? またしゃもじか。

「僕、しゃもじ貰ってませんけど……今着いたばっかりで」
「あー、いいよいいよ。実際のとこ、いちいちしゃもじの有無なんか確認しないんだ」

 はぁ、そんなもんですか。

「じゃ、遠慮なく」

 ちょうどお腹も減っていたのでパクついてみる。
 結構うまい、ツキミヤは素直にそう思った。

「はい、肩のネイティちゃんにはこれ」

 別の屋台の店主、今度は女の人がやってきて、ツキミヤに固形の物体を手渡す。

「何ですかこれは」
「うちで取れたお米で作った胚芽米ポロックよ」
「…………」

 肩にとまっているポケモンにやってみた。
 ツキミヤの手からポロックを嘴で受け取ると、足で押さえてネイティは食べ始める。

「……おいしいんだ?」

 と、ツキミヤは尋ねる。
 傍から見たら無表情に見えただろうが、なんとなく微妙なニュアンスでうまそうに食っているのが彼にはわかるのだった。ネイティが最後のひとかけらをついばんで飲み込んだ。

「米を使った料理はみんなタダねえ」

 通りをゆったりと歩きながら、屋台のメニューを注意して見てみる。
 たしかに屋台は米を材料にしたものがいやに多い。
 ストレートな白米にはじまり、山菜を使った炊き込みご飯、おこわ、おはぎ、米粉を使ったうどんにスパゲティ。あげくの果てにはポケモンフーズやポロックまで米由来。向こうの方で配っている祭りにつきものの酒らしきものも材料もおそらくは米なのだろう。
 もはや解説をされなくともわかる。この村は米の一大生産地なのだと。
 四、五件先の屋台では浴衣を着た女の子が、大社で配っているらしいしゃもじを店主に見せて、料理を貰っていた。
 会場の一角に組まれた舞台の上では、体格のいい男達が器に盛られた白米を一口二口で平らげると、口々におかわりなどと叫んでいる。祭り一番の大食いを決める競技が催されているらしかった。
 その様子を横目に見ながらツキミヤはポケモンセンターを探す。
 賑やかな通りはしばらく終わりそうにも無かった。

「こんなに貰っちゃったよ」

 案の定、一人と一羽は歩きまわっているうちにまたいろんな店主に捕まってしまうこととなった。
 シャーッという音を立ててポケモンセンターの扉が開き、受付が一人と一匹をその目に認識した頃には、鳥の主は両手にたくさんの料理とポケモンフーズを抱えていた。
 そして、

「大変申し訳ございません。本日は相部屋もいっぱいでして…………」

 重い荷物を両手に抱え、受付の前に立ったツキミヤを出迎えたのはそんな台詞だった。
 あらかじめことを予想していた彼は、ああ、やっぱりそうだろうなぁという顔をする。
 受付嬢が申し訳なさそうな眼差しを向けているが、なんだか疲れた様子だった。
 たぶん今晩は何人、何十人の宿泊を断ったのだろう。

「わかりました。でも少しロビーを借りますよ。荷物を整理したいので」

 ツキミヤは受付嬢にそう告げると、すたすたとロビーに移動し、人の少ないソファの一角に腰掛けた。
 歩き詰めだった彼はソファの背もたれに身体を預けると、ふうっと一息つく。
 ロビーでは彼のほかにもトレーナー達が座っており、傍らのポケモンと一緒に屋台で貰った食べ物を胃の中に収納していた。
 誰でも考えることはそんなに変わらない、と思う。
 向かいの席を見ると頭にアンテナを生やした丸いフォルムがネイティに似ていなくも無い緑色のポケモンが大口をあけて、トレーナーから貰った料理を次々に平らげているところだった。
 いや、むしろ食べ物が口の中に入れられる傍から、吸い込まれていっているようにすら見えた。
 そのネイティによく似たフォルムのポケモンの正体は、全身胃袋のポケモン、ゴクリンだ。
 目の前のポケモンが明らかに自分の体積以上に食べている気がしたツキミヤだが、あえてそのことは頭の隅に追いやって、こんな時はよく食べるポケモンも悪くないな、などと考えた。
 自分の肩にとまっているポケモンは色も頭のアンテナのような羽もよく似ているが、どちらかと言えば自分に似て小食だ。
 案の定、貰った料理のうち小さめのものを二、三取り出して食べただけで、一人と一羽はすぐにお腹はいっぱいになってしまった。
 ふと、腰にある二つのボールが目に留まる。一つはネイティのものだから空だが、残りの一つにはポケモンが入っている。
 まぁ、無理だとは思うけれど。そんなことを考えながらボールのポケモンを入れ物から開放する。

「やっぱり無理だよね」

 思ったとおり、ボールから出したドータクンは米の料理に大して、おおよそ食欲という名の欲望を抱いてはくれなかった。
 遠い昔の祭具に似た彼の生態はどのような形容詞で説明しても生物的であるとは言い難い。
 ツキミヤは今のところ彼がモノを食べているところを見たことが無いし、どこに口があるのかも知らなかった。
 まぁ、食欲が無いというのは金も手もかからずありがたいのだが。

「あぁ、そっか。その手があったか」

 ふと気がついてツキミヤは足元を見た。自分の足元の影を。
 何だって今まで忘れてたんだ。手のかかるのならいっぱいいるじゃないか。
 口があるポケモンで、飢えていそうなポケモンなら自分の足元にたくさんいる……。
 それに気がついた彼は、ドータクンをボールに戻すと受付嬢から宿泊所案内を兼ねた地図を受け取って、ポケモンセンターを後にした。


 センターから出たツキミヤは、とりあえずは地図を仕舞い込み、人気の無いほうへ、人気の無いほうへと移動を始めた。より静かなところに、より夜の闇が深いほうへと足を進めていく。
 彼がこのあたりでいいだろうと足を止めた場所は祭の会場からもポケモンセンターからもいくらか離れた林の中だった。
 暗い夜の色に沈んだ林の中は祭の音楽こそわずかに聞こえてくるが、熱気はなくひんやりとしている。
 明かりらしい明かりといえばわずかに夜を照らす、冷たく輝く月くらいだった。
 そこは人間の世界というよりは、"彼ら"の世界に相応しい。

「もういいよ。出ておいで」

 ツキミヤがそう言うと、足元でいくつもの目が開き、彼を見上げた。
 水色と青に囲まれた黄色。何十もの爛々と輝く三色の瞳が浮かび上がってくる。
 薄い雲に覆われた月の放つ淡い月光に照らされて、それはツノの生えたてるてる坊主のシルエットをとった。
 その数は通常、トレーナーが持ち歩くポケモンの数をはるかに凌駕している。
 暗い林に立つ青年と一羽を囲うようにふわりふわりと浮かび上がってゆくそのポケモンの名を、カゲボウズと言った。
 青年が持ってきた料理の包みを開けると、一匹が横からぱくりと食いついたのを皮切りに、次々につられるように群がった。
 両手いっぱいにあった料理はもうすでに冷めてしまっていたにも拘らず、すぐに無くなった。
 両腕を煩わせていたものがなくなって、ツキミヤはほっと一息をつく。
 すっかりものを食べ尽くしてしまったカゲボウズたちは、影から出るのが久しぶりとあってか、甘えるように擦り寄ってきた。
 ひらひらとした布地のような身体をツキミヤの腕や肢体に絡み付かせ、訴えるように三色の瞳で見つめてくる。
 ツキミヤはそれに答えるようにくすりと笑みを浮かべた。
 右手の近くに居た一匹にその細く長い指を絡めて、指の平で愛撫してやる。

「わかっているよ。負の感情が欲しいんだろ?」

 飢えを訴える彼らをなだめるように青年は言う。
 人形ポケモン、カゲボウズ。
 彼らの糧は人やポケモンの感情。それも憎悪や嫉妬などの負の感情だ。
 普通の生物が食べているものも口にはするが、それでは到底満たされない事をツキミヤは知っている。

「大丈夫。この村には人もポケモンもたくさんいるよ。君達好みの獲物もすぐに見つかるさ」

 たくさんの影に絡みつかれ、青年の身体は夜の闇に溶けてゆくかのように見えた。
 いつのまにか彼の瞳の色も彼らと同じ色を宿し、妖しい光を帯びる。
 ツキミヤの指に絡めとられたカゲボウズが気持ちよさそうに身体をくねらせた。



「……疲れた」

 荷物を片付け終わった青年は、再びカゲボウズを自身の影に収納し、明るい場所へと舞い戻る。
 眠い。
 一日中歩き、食事をし、カゲボウズ達を構ってやって、さすがにそろそろ休みたかった。
 先ほどポケモンセンターで受け取った宿泊所案内を開く。
 休めるところならどこでもいい。近いところからあたっていくことにした。

 だが、ただ休むだけの場所はなかなか見つからなかった。
 一軒目はすでに満室だった。
 次に行った二軒目も満室。
 あきらめずに行った三軒目もいっぱいで、傍にあった四軒目も断られた。
 しばらく歩いったところにある五軒目にも果敢にアタックしたが、やはり人がいっぱいで、めげずに行った六軒目でも撃沈した。
 このあたりで、ようやく彼は眠たい頭で観光客の数に見合ったベッドの数がないんじゃないかと疑い始め、地図を広げ残りの宿の数を数える。
 もう、片手で数える程度しか残っていない。
 青年が推察するにはこうだ。この村の人口が増えるのはたぶんこの祭の時くらいなのだ。かといって、全員を収容できるだけのベッド数を用意すれば、閑散期の稼働率が悪くなる……。
 七軒目で聞いたところによると、そういうあぶれた観光客の為に、村の中にいくつかの雨を凌げ、暖にあたれる程度の休憩所が用意されているらしかった。
 この時点で、たぶん残りをあたっても無駄だろうなと悟った青年は、教えてもらった休憩所とやらに行くことにする。
 ポケモンセンターのロビーのソファで寝ようかとも思ったが、ずいぶん離れてしまったので、戻るのが億劫だった。
 その場所には、ほどなくして到着した。
 大きなカヤブキの屋根を何本かの太い木の柱で支えたその建物は、柱と柱の間を申し訳程度に板を打ち付けた壁で外と内とを分けていた。
 たぶん普段は村の人々が集会所か何かに使っているのだろう。
 中心にはせめてものといった感じで、火が炊かれ、小さく炎が踊っていた。
 ツキミヤが中に入ると先に来ていた何人かが、お前もかといった眼差しを無言で向けてくる。
 宿にあぶれた旅人達は、ある者はまだ起きていてあくびをし、ある者は連れのポケモンを毛布の代わりにして、ある者は寝袋に身を包み、寝息を立てていた。
 野宿は慣れている。こういう場所はちょっとかっこ悪いけれど、屋根と暖があるだけマシというものだろう。
 青年は腰を下ろし、リュックを床に置くと、中心の暖に向き合った。
 炎がパチパチと小さな音を立て燃えている。熱気が少しだけ頬に伝わって、揺れる明かりが少しだけ青年を照らした。

「……君はボールに戻れよ」

 そう言ってツキミヤはボールをネイティの目の前に機械球を差し出したが、肩の上のネイティはボールから視線を逸らしそっぽを向いて、ツキミヤの頬に摺り寄った。
 心配をしてくれているのか、甘えたいだけなのか。
 ツキミヤは小さく息を吐くとボールを元の位置に戻した。
 リュックサックから、折り畳み傘程度の寝袋を取り出し、栓を抜く。それは成人一人が横になれる程度に膨らんだ。
 倒れこむように寝袋に身を投げ出すと、ネイティが器用に肩から背中にぴょんっと移動して、しばらく背中の上をちょこまかと動き回った後に落ち着ける場所を見つけ、うずくまると羽を膨らませた。
 腕の枕に顔を埋め、ゆっくりと目を閉じる。
 ほどなくして、青年の意識は今ある場所に別れを告げ、無意識の世界へ落ちていくだろう。

 が、どこからか声が聞こえた。

「やっと見つけた!」

 青年の意識が半分ほどこちらの世界へと引き戻されるのとほぼ同時に、背中で羽を膨らませていた小鳥ポケモンが飛び起きたという感触が背中から伝わる。
 青年は眠たい目をこすって、けだるそうに上体を起き上がらせた。

「いやぁ見つかってよかったよ。この時期人が多いからさー、探すのは骨が折れた」

 眠くてぼやけた視界の先で、誰かがしゃべっている。

「緑色の鳥ポケモンが一緒にいるって聞いたんだけど、ボールに入れてるかもしれないし……まぁとにかく見つかってよかった」

 おや、もしかして話しかけられている相手は……自分、なのか?
 おかしいな。この村に自分の知り合いなんて……ぼんやりと青年は思う。
 すると、声の発信源がこちらに近づいてきて、

「僕はナナクサ。ナナクサシュウジ」

 と、眠そうな周りの空気とは裏腹に意気揚々と自己紹介をしたのだった。
 
「君を迎えに来たんだよ、コースケ君」

 現の世界の人間というよりは夢の世界の住人のような怪しげな台詞を吐く。
 どこかで見たような人懐こそうな顔をしたその青年、眠たい頭ではよく思い出せない。
 正直言って迷惑だ。何の用事か知らないが早く終わらせて欲しい。
 自分では見えないけれど今、自分の目の前で話しているこの青年に向けてあまりいい表情はみせていないだろう。
 だが、そんなことを気にする様子もなく青年は、怪訝な、それ以上に眠そうな表情を浮かべるツキミヤの前に右手を差し出すようにして、こう続けた。

「さ、行こ。タマエさんが待ってるよ」