(三)二人の青年


「誰だい、タマエさんって」

 ナナクサに向けられたツキミヤの第一声はあからさまに不機嫌だった。
 眠りを妨害された上に、どこのドンメルの骨だかもわからない奴に下の名で馴れ馴れしく呼ばれるいわれはなかったからだ。

「だいたいなんだって君が僕の名前を知ってるんだよ」

 さきほどより少し覚醒した声でツキミヤは青年に問う。
 きょとんとしたナナクサの表情が彼の瞳に映り込んだ。

「そりゃあないよ。コースケ君。僕達もう一回会っているじゃないか」

 青年は本当にそりゃあないという感じで言葉を返した。

「どこで」
「今日、この村の外れで」
「いつ」
「夕方過ぎたあたり」
「……知らない」

 冷ややかなツキミヤの反応に、がっくりとナナクサはうなだれる。
 けれども、めげずにアタックを続けた。

「そこをなんとか思い出しておくれよ、コースケ君」
「知らない……古狸めいたおばあさんになら会ったけどね」

 目を擦りながらツキミヤが答える。
 すると、ナナクサの顔がぱあっと晴れやかになった。

「なあんだ。覚えてるじゃないか。その古狸がタマエさんだよ!」

 とっかかりができたとばかりに彼は嬉しそうに続ける。
 タマエとは夕方に会ったあの老婆の名であるらしかった。

「そこまで来たら思い出すのは簡単だ。で、君はタマエさんと別れて村へ向かう途中に別の誰かさんとすれ違ったろ?」
「…………。……ああ」

 ツキミヤはようやく肯定の意を口にした。
 眠たい頭なりに記憶の一片にナナクサの存在を認めたのだ。
 が、存在を認めはしたものの、眠りを妨げたやつに心を許したわけではない。

「で? そのすれ違っただけの君が僕に何の用だい。すれ違っただけなら祭でいやというほどすれ違っているのだけどね」

 と、嫌味を付け加えるのも忘れない。

「だから、言ったろ? タマエさんに言われて君を迎えに来たんだよ」

 ナナクサはそう答えた。
 そして、その次にものすごく彼の関心を惹く言葉を耳元で囁いた。

「旅の疲れを癒す広いお風呂に三食昼寝付……」

 ぴくっ、とツキミヤが反応するのがわかって、ナナクサはにっこりと笑みを浮かべる。

「断る理由はないと思うけど?」



 りーん、りーんと鈴に似た虫の歌声が野に響く。空に浮かぶ月にうっすらとした雲がかかっていた。淡い月明かりに照らされた野の細い道。そこをを二人の青年が歩いていく。田に水を引くためだろうか、道の横には細い水路が通っていて、虫の合唱に水路を流れる水音の伴奏が混じる。目的地へ伸びる道の端々にススキが群生して、村に訪れた秋を演出していた。
 淡く灯る提灯をぶら下げた人影に、もうひとつの人影がついてゆく。

「僕はね、タマエさんちで働かせてもらってるんだ。掃除したり、料理したり、収穫の手伝いをしたり。あそこの家には彼のお孫さんも住んでいるんだけど、彼の両親は忙しくてね、家に彼を置いたままなかなか帰ってこないんだ」

 村の青年――ナナクサは、自己紹介の続きを兼ねてそんなことをツキミヤに語った。

「家の広さの割に人が居ないからさ、君が来てくれればきっと喜ぶよ」

 結局、村にやってきた青年は、村の青年の提案を受け入れることにした。
 彼の説明を要約するとこうだ。
 これから案内する家の主が好意から青年を泊めたいと申し出た。
 滞在日数は村にいる間ずっと。この村に居る間は好きなだけ泊まっていて構わない。眠るのを十五分ほど我慢して、ついて来て貰えればその恩恵にあずかれる――……正直なところ、半野宿状態だった旅の青年にはあまり断る理由が見つからなかった。

「ねえ、コースケ君はトレーナーなんでしょ」

 ナナクサは家の主が泊めたいという旅人の素性について興味津々という様子で聞いてくる。

「……まぁね」

 ツキミヤは素っ気無く肯定の返事を返した。

「ということは、君もポケモンリーグとかを目指して旅の途中なんだ?」
「いや……、トレーナーなのは名目上だよ」

 返したのは冷めた答え。

「名目上? どういうこと?」
「この国の制度下ではトレーナー免許を持っていればいろいろ便利だからね。トレーナーの肩書きを持った兼業っていうのが結構多い。僕もその一人」
「じゃあ、コースケには本業があるんだ? 何をやっているの?」

 テンションの低いツキミヤとは対照的に、どんどんナナクサは聞いてくる。

「僕の本業はね、院生だよ」
「院生……」
「平たく言うと研究者と学生の間みたいなものだね」

 ナナクサがあまり理解していなさそうな顔をしていたので、ツキミヤはそう付け加えた。

「つまり半分は学生ってこと? でも学生って学校にいるもんじゃないのかい?」

 村の青年は不思議そうな顔をする。

「そうでもないさ。大学を目指す受験生とか実験室に篭らなきゃできないような研究をしてる人ならいざ知らず、院生を含めた大学生は結構ブラブラしてるもんだよ。大学ってのはね、ある程度単位を取った後ならレポートなり論文なり出すもの出せば卒業できてしまうから」
「へえ、そういうもんなのか」
「僕が大学で知り合った子なんか、四年の初めのほうに卒業論文を仕上げて、送り火山に行くって出て行ったままちっとも戻ってこないよ?」

 尤も僕も人のことは言えないけど、と付け加える。

「それにね、学校に篭ってやる研究ばかりが研究ではないんだ。外に飛び出して調べないとわからないことがたくさんある。僕のいるの研究室の方針として、」
「なーるほど。よくわからないけど、いい身分なのはわかったよ」

 ツキミヤの言葉を遮って、村の青年はそう結論付けた。
 たぶん、皮肉を込めた訳ではないのだろう。
 が、村の青年の一言は結構、学生にとって耳が痛いものだ。

「オーケー。そこまでわかれば上出来だよ」

 ツキミヤは苦笑いをする。
 そして、「そういえば、まだ聞いてなかったけど」と、話題を切り替えた。

「あのおばあさん……タマエさんだっけ。どうしてまた僕を泊めようなんて言い出したんだい?」
「それがタマエさんさ、夕べに話をした君の事が忘れられなかったらしくて」

 と、ナナクサが答える。

「ここの村の人達、誰もツクモ様の参拝に行かないからさ。あそこでコースケに会えたの嬉しかったみたい。家に戻ってからもコースケはちゃんと宿が取れただろうか、どこかで寒い思いをしているんじゃないかととずっと心配してたんだよ。それに……」

 ちらりとツキミヤを横目に見て、彼は続ける。

「それに?」
「ええと、その肩の緑の……」
「ネイティ?」

 肩でうとうととする鳥ポケモンの体温を感じながら、答える。

「そうそう! そのネイテーのことがえらく気に入っちゃったみたいでさ、その、なんだ、あの時コースケに頼んで触らせてもらえばよかったと何度も僕に言うわけ」
「………………」

 ああ、そういえば。と、ツキミヤは記憶の糸を手繰らせた。あの時、あの老婆に聞かれてこのポケモンの種族名を教えたのだ。そんなに気に入ったのか。

「シュージ。お前は暗くて気づかなかったかもしれないが、あのネイテーとかいうポケモン。あれはいいものだ。一見の価値がある。一緒にいるコースケもいい男だ。あれは見所がある。こう言うわけよ」

 ……ネイティが先かよ。と、声の聞こえない内心でツキミヤは呟いた。

「もうね、ご飯を食べてるときも、お風呂に入っている時も、寝て布団に潜ってからも言うのよ。愛しのネイテーとコースケのことを思うと夜も眠れないわけ」
「…………はあ」
「そこまで言われたら、お世話をしている僕はこう提案せざるをえないだろう? では、タマエさん、僕がひとっ走り村を回ってネイテーとコース……じゃない、コースケとネイテーを探してきましょう」

 淡い月明かりが少しだけ強くなる。うっすらと月を覆っていた雲が切れたのだ。
 月明かりに照らし出された野の道は、先ほどよりススキの穂がよく見えるし、前を歩くナナクサの姿をも、ツキミヤの目に鮮明に映し出した。彼の表情がよく見える。

「もしも彼らが宿にあぶれて寒い思いをしているのなら、我が家に泊まっていただくというのはどうでしょう、って」

 ナナクサの淡い色の髪が、月夜に透き通る。先ほどまで眠くてあまり関心がわかなかったが、肩まで伸びた髪をひとまとめにせず何本かに分けて、毛の先のほうで結わいているその外見はかなり特徴的だと思う。

「すると、タマエさんはこう言うんだ。さすがはシュージだ。そう言ってくれるのを待っていた、とね」

 ナナクサは無邪気に語った。

「だから嬉しいな。こうしてコースケ君を連れて家に戻れるの」

 言われなくとも顔でツキミヤにはわかった。
 きっと彼女の役に立てるということが彼にとっては喜びなのだ、と。

「ねえ、コウスケ君」

 突然、ナナクサが立ち止まり、先ほどまで呼んでいた口調よりは改まったようにして、青年のほうを向くと名を呼んだ。

「…………? 何?」

 じっと青年を観察するように見据える。

「こうやって見るとさ、コウスケ君って綺麗だよね」
「…………ハぁ?」

 ツキミヤが顔をしかめる。
 どうにもこいつは次の言動が読めない。
 ナナクサは再び背を向けて歩き出す。

「いやー、さっきは寝込みを襲ってしまったから、あまりシャンとしなかったけれど。こうやって月の光の下に立つと、なんか絵になるなぁって」
「おい、あんまり誤解を招くような発言しないでくれよ。さっきだって君が大声出すから、周りのトレーナーがじろじろ見てきて相当恥ずかしかったんだよ」

 ナナクサの後に続きながら、ツキミヤが返す。

「ごめんごめん。でも、よく言われない? 君くらいだったら、周りの女の子が放っておかないと思うけどな。君が近寄らなくても向こうから寄ってくるんじゃない?」
「何の話をしているんだよ」

 苦手なタイプだな、と直感的にそう感じた。

「コウスケ君ってさ、僕には素っ気無い反応するけど、それは本質じゃないよね。本当はもっと聞き上手で、話し相手の懐にすうっと入り込んじゃう。こっちから聞かなくても、相手が勝手に自分のことを喋ってくれる。そうだろ?」

 ツキミヤは思う。
 夕刻にすれ違って、先ほど言葉を交わしたばかりなのに、こいつはもうこいつなりにだがツキミヤコウスケという人間を掴みかけている。
 いやだな、あまり踏み込まれたくない。そう思った。

「つまり、何が言いたいんだい?」
「ああ、つまりね、コウスケ君は好青年で、気も利くからタマエさんは泊めたくなったんだろうなってこと」
「……ネイティが気に入ったからじゃなくて?」
「もちろんそれも大いにある。両方だよ」

 ナナクサはそこまで言うと、雰囲気を察したのかあまり突っ込んだことを聞くのは避けたようだった。
 舗装されていない道をざくざくと歩く音が響き、りーりーと鳴く虫の音が混じる。
 やがて、二人の青年が、他愛の無い言葉を二、三交わすうちに目的地らしい家の明かりが見えてくる。

「見えてきたよ。あそこ」

 村の青年はそう言って明かりのほうを指差した。