(十)翡翠


「おい、物見矢倉に鐘を置いたのはどいつだ」

 選考会の会場からは少しばかり離れた場所。
 そこで仕事をしていた若い衆に額に太い鉢巻を巻きつけたその現場の頭と思しき男が尋ねた。

「鐘? 俺はしらねえよ」
「考古学の教科書にでも載ってそうなごっつい銅鐸が置いてあるんだが……」
「銅鐸ぅ? そんなもの祭で使ったことあったか?」
「まぁとにかく落ちて観光客に当たったりするとまずいけん、そうだな、お前ちょっと行って降ろしといてくれんか」
「あいよー」

 頭に命じられた一番体格のよい若者は人々が賑わう会場の脇にある物見矢倉に向かう。
 丸太で出来た梯子をぎしぎしと音を立てながら上って、若者は矢倉の上へたどり着いた。
 そこにはたしかに謎の銅鐸が陣取っていた。どういう訳かその上にちょこんと緑色のポケモンがとまっている。

「本当だ。ったく、誰だよ。こんなもの置いたのは」

 ふうと、溜息をつき彼は顔をしかめた。どうやって降ろしてやろうか。考えるとなかなかめんどくさかった。どこのどいつか知らないがここに運び込むのだって大変だったろうにとも思う。
 だが、ふと先のほうで人々の喧騒が聞こえてきて、若者の関心はしばしそちらへそれた。
 見渡すと遠くのほうで燃える火が目に入る。それは選考会の舞台に迸る炎であった。

「おー、やってるやってる。今年はどいつがなるんだろうね?」

 若者は炎が舞う舞台を遠望する。
 赤い炎、そして青い炎が乱れ飛んでいた。



「カグツチ、火炎放射」
「カゲボウズ、鬼火」

 舞台の中央で二色の炎がぶつかる。
 炎のぶつかったところからカグツチと呼ばれた色違いのリザードが突っ込んできて、メタルクローを仕掛ける。カゲボウズがするりとかわし、爪の届きにくい上空へと退避した。
 リザードはカゲボウズを睨み、跳躍。再び人形ポケモンをその爪にかけようとする。再びするりとかわすカゲボウズだが、身体をくねらしたリザードの燃える尾がぶんと襲ってきて、あやうく当てられかけ、バランスを崩した。

「鬼火!」

 空中に青い炎がいくつも灯る。青年に憑いている"見えていない"カゲボウズ達のサポート。灯った鬼火はすぐさまリザードに襲い掛かった。
 リザードが鋭い爪で鬼火を引き裂いて、事ともなげに着地した。
「小賢しい」リザードの台詞を代弁するかのように相手トレーナーが呟く。

「そんなものが効くと思っているのか」

 褐色の肌に透き通るような銀髪、ある意味トレーナー版色違いともいえそうな青年が、ツキミヤを睨みつける。
 試合開始から今に至るまで、バトルの流れは堂々巡りだった。リザードが攻撃し、カゲボウズがかわす。時々、思いついたように鬼火が飛んできて、リザードが掻き消す。お互いダメージといったダメージはなく技だけが空振りする。
 だが、

「思っているさ」

 挑戦的な態度でツキミヤが答えた。

「時間の問題だよ。なんならもう一発喰らってみるかい?」
「面白い。カグツチ!」

 リザードが影分身した。数体に分かれ一斉に爪を伸ばす。再び襲い掛かかろうとした。

「全部燃やせ」

 炎が影の数の分灯った。瞬く間に仮初の影が消え、本体だけが残る。
 影を消した鬼火達が吸い寄せられるように本体へ集う。
「つかまえた」とツキミヤが呟いた。
 炎を掻き消そうと爪を振るったリザード。だが、青い炎は爪にかかる直前にぐいんと方向転換して、火炎ポケモンの身体に纏わりついた。ダメージは無い。だが次の瞬間にびたんとリザードの身体が地に叩きつけられた。まるで上から何かの力で圧力をかけたように。

「なっ……」

 リザードのトレーナーが驚きの声を上げる。

「だから言っただろう。時間の問題だと」

 ツキミヤが不敵に笑った。
 タイミングを合わせるのに時間はかかったが、予定通りだ。



 物見矢倉の若者はしばし二色の炎の応酬を見つめていた。が、もともと離れていてはっきり見えないこともあって、すぐに飽きが来てしまった。
 ふと我に返り、仕事を片付けようと思い立つ。戻りが遅くなれば頭にどやされるかもしれないからだ。
 やはり持ち上げて慎重に降ろすしかないのだろう。

「ったく、めんどくせーな」

 村人はそのようにこぼすと緑色のポケモン、ネイティに

「ほら、どけよ。危ないから降ろすんだ」

 と言った。
 銅鐸に手をかける。持つのに適当そうな取っ手ぼ部分をぐっと掴んで持ち上げようとした。
 が、その取っ手が、若者の腕を払った。

「へ?」

 何が起きたのか理解できていない若者の目の前で、手を払った取っ手が形状記憶合金のごとく元の位置に戻っていく。

「うわ、なんだこれ!」

 若者が叫んだのと同時に銅鐸がひとりでに六十度ほど回転した。とまっていたネイティも一緒に回転した。驚いて後ずさりした若者をなんだ邪魔をするなとでも言うように模様とも目ともとれる赤い文様が睨みつける。

「…………こ、」

 この銅鐸、生きてる。若者はそのように理解した。
 ポケモンだ。これは銅鐸の形をとったポケモンなのだ。
 この地方では珍しい種類なのだろう、名前まではわからなかったが、雰囲気の似た土偶のポケモンを知っていた若者はそのように理解した。
 銅鐸がもう五度ほど動いた。彼はもうひと睨みされたような気がした。

「すすす、すみませんっ」

 年経た銅鐸に気圧されて若者は矢倉からそそくさと退散していった。



 石舞台のあいちこちに青い炎が灯る。
 ひとつ、またひとつと増えてゆく。その数は五十を下らない。
 炎に照らされたツキミヤが冷たく笑う。

「もう逃げられないよ」

 予選の土俵より広いとはいえ、舞台の広さはたかが知れている。鬼火を避け場外に出ることは敗北を意味していた。

「逃げも隠れもしない。火炎放射」

 リザードが円を描くようにして、勢いよく炎を吐く。
 彼を囲うように灯る鬼火が次々に掻き消されていく。

「補充だ」

 消された傍から灯ってゆく青い炎。
 姿を見せている一匹の後ろに控えるのはおびただしい数の影達だ。まだまだ余力はある。

「さあ、あのリザードを縛り上げろ」

 青年は彼のポケモン"達"に命令を下した。
 青い炎が集結し、数珠のように連なって灯ってゆく。それはちょうどハブネークほどの長さになると、まるでキバへびポケモンそのものの動きをなぞらえるようにリザードへ向かった。もちろん当のリザードもまともに捕縛される気などさらさら無く、炎の鎖を断ち切るべくメタルクローを振るう。だが、切れた鎖はたちまちに炎が補充されて、蛇のように絡みつく。口輪をするようにリザードの口、火炎放射の出所を封じた。
 びたん。再びリザードの身体が地に伏せられる。そこだけ重力が強くなっているかのように。

「カグツチ!」

 思わず相棒の名を叫ぶ相手トレーナーをよそに青年は次の命令を下す。

「溜めてシャドーボール」

 カゲボウズの額のすぐ前で黒いエネルギー球が成長しはじめた。禍々しいオーラの塊であるそれは球を作り出したポケモンと同程度の大きさになると成長をしながらゆっくりと移動を始める。ちょうどリザードの真上までくるとぴたりと止まった。一刻一刻と球体は膨らみ大きくなっていく。それはまるで黒い太陽のようであった。

「立ち上がれ、立ち上がるんだカグツチ」

 相手トレーナーの青年が叫ぶ。リザードは必死に立ち上がるとするが、炎の蛇は地からリザードを放さない。それどころか、まるで実体を持っているかのごとく身体を締め上げる。

「もう一回り大きくなったら、落とせ」

 カゲボウズ達の総力を結集して集めた黒い塊。黒く禍々しく成長を続けてゆく。
 膨らみ続けたそれの直径はゆうにリザードの身長を超えている。
 まともに喰らえば戦闘不能は免れなかった。
 そろそろ頃合だろう。青年は落とせという指示を下そうとした。その時、

「溜めに時間をかけ過ぎだ」

 と相手トレーナーが言った。

「時間が長引けば、敵にも時間を与えることを忘れるな」

 まるで警告するかのように言う。

「わかっているさ。その為の鎖だよ」

 と、青年は答えた。
 するとまだ気がつかないのかと言わんばかりに彼は続けた。

「口を封じるのはいい作戦だ。だが、お前はひとつ見落としをしている。炎の出所はひとつではない。カグツチ!」

 地に縛られたリザードの尾が立った。
 しまった、と青年はすぐに相手の言い分を理解した。たしかにリザードの動きを封じ口輪もした。だがもう一つの炎の出所、火の燃え盛る尾までは縛り付けていなかった。尻尾の炎が爆発する。

「オーバーヒート!」
「落とせカゲボウズ!」

 石舞台に二人のトレーナーの声が木霊して、直後に二つの轟音が鳴り響いた。ひとつは成長したシャドーボールの落下音。そしてリザードの尾が放り投げた巨大な火の炸裂音だった。カゲボウズを飲み込み、舞台に落下すると、いくつもの火柱を立てる。
 爆風が吹き荒れて砂煙が舞った。相手トレーナーはその中に目を凝らす。自身のリザードもシャドーボールを喰らって無事ではいまい。だが、少なくともオーバーヒートの直撃を食らったカゲボウズは戦闘不能にできたはずである。
 煙が薄くなる。その中で火炎ポケモンの影がよろめきながらも立ち上がった。
 持ちこたえた! この勝負、自分の勝ちだ。煙が晴れゆく。
 ツキミヤの指示が下ったのはその直後だった。

「カゲボウズ、シャドーボール」
「!?」

 次の瞬間、黒いエネルギー球が二、三飛んできた。
 その球が火炎ポケモンに直撃。立ち上がったリザードが倒れた。
 褐色肌の青年は驚愕する。

「勝者、カゲボウズ!」

 行司が軍配団扇を掲げた。その先には信じられないことにカゲボウズが浮かんでいた。
 マントが焼け焦げてはいるものの、ふよふよと浮いて笑っている。何より技を出す余裕があったのだ。

「馬鹿な……」

 観衆が沸く中で、相手トレーナーは呟いた。
 オーバーヒートは確かに直撃したのだ。たかだかカゲボウズの一匹が倒せないはずがない。それなのに。
 カゲボウズが主人のほうに舞い戻ってゆくのが見える。

「よくがんばったね」

 カゲボウズのトレーナーがそう言って、その頭を撫でた。
 青年は視線に気がついて、くすりと笑みを浮かべた。


 夜が更けていく。石舞台近くに建てられた掲示板に村長が大きな和紙を広げ貼りつけた。そこには黒い筆文字で役名と役者名が記されている。
 どうやら途中で敗れた者にも、つける役と報酬が多少はあるらしく、それらは上位から割り振られているようだった。雨降の部から村人や従者、九十九の部から九十九の一族といった具合に配役されている。決勝で対戦したあのトレーナーも掲示板を覗き込んでいた。配置からして、彼の名はヒスイと言うらしかった。もっと外国人チックな名前を期待していたのだが、意外とこの国風でつまらないとツキミヤは思った。
 出演が決まったトレーナー達は舞台中央に集められると、脚本を手渡される。
 ツキミヤの手には村長自らが手渡した。

「おめでとう。今年の九十九は君だよ、ツキミヤ君」

 そう村長は祝辞の言葉を述べた。

「ありがとうございます」
「悪役とはいえ、雨降様に次ぐ重要な役ですよ。舞も台詞も多いからしっかりおやりなさい」
「心しておきます」

 台本が行き渡ると、彼らは今後のスケジュールについて説明を受ける。
 そして、手渡された資料を見てツキミヤとその他トレーナー達は多少の差はあれ後悔した。昼休みを挟んで朝から晩まで練習漬けだったからだ。

「がんばろうね、コウスケ」

 スケジュール表をげんなりした表情で眺めるツキミヤとは対照的に、ナナクサは満面の笑みを浮かべて言った。


 収穫祭を見下ろす村の夜空。太鼓の鼓動も笛の音もまだまだ眠らないが、一日中バトルづくしだったツキミヤ達は帰って休もうとと帰路に着いた。
 タマエ婆に知らせてくると言ってタイキは先に帰ってしまい、ツキミヤとナナクサの二人で田んぼのあぜ道を歩いてゆく。ナナクサが淡い光の提灯を持って先を歩いた。そういえば、ナナクサに初めて会った日もこのような夜だった。
 だんだんと祭の喧騒が遠くなり、入れ替わるように虫の音が大きくなる。
 タマエの家まであと三分の一といったところだろうか、突然ツキミヤが脚を止めた。

「どうしたの? コウスケ」

 ナナクサがそう尋ねると

「悪い、ちょっと寄る所があるんだ。ナナクサ君は先に帰っていいから」

 と、ツキミヤが答えた。
 彼の視線は少し離れた先にある棚田のほうを向いている。

「君を残して帰るわけにはいかないよ。タマエさんの言いつけだもの」
「じゃ、ついてくるかい? たぶん君はがっかりすると思うけど」

 意地悪そうな笑みを浮かべて、ツキミヤが答えた。
 二人で上る棚田の曲がりくねった道は青年が村に入った日にナナクサが教えてくれた場所の一つだった。
 上りきれば村の風景を一望できる場所だ。遠くに祭の灯かり、そしてそのすぐ近くには雨降大社の灯かりが見えた。

「こんなところでいいだろう」

 ツキミヤはそう言うと、傍らに浮かんでいたカゲボウズに鬼火を命じた。
 鬼火は高く高く上ると上空で花火のように弾け飛散した。
 二発、三発、同じように繰り返す。

「何してるのさ」

 ナナクサが尋ねると「信号だよ」と青年は答えた。
 意図が理解できていなさそうな素振りのナナクサを見てすぐにわかると付け加える。
 それから数分ほど経過しただろうか、ツキミヤが指差した先を見てナナクサは驚いた。農村の夜空に謎の飛行物体が現れてこちらに近づいてきたからだ。ゆらゆらと左右に旋回しながら近づいてくるそれは未確認飛行物体――UFOのそれに見えなくも無かった。

「なんてこった。コウスケは違う星の人間だったのか」
「んなわけないだろ。よく見ろ」

 ナナクサのボケか本気かわからない台詞にツキミヤが冷静にツッコミを入れている間に、UFO――未確認飛行物体がツキミヤの目の前に来て、そして静かに着地した。
 ナナクサが提灯の光を当てる。それは鐘のような形をしたポケモンだった。頭にはツキミヤのネイティが乗っかっていて、俺の顔になにかついているのかとでも言うようにナナクサを見た。

「おかえり。お疲れ様」

 と、ツキミヤが彼らを労う。

「そういえば君にはまだ見せていなかったね。この地方じゃあんまり知られてないけどこれはドータクンというポケモンだ。ホウエンで言うネンドールに近いポケモンって言えばわかりやすいかい? 一説にはシンオウの先住民が造った人造ポケモンじゃないかと言われている」

 そんな解説を交えながら、ツキミヤは最後にこう付け加えた。

「ちなみに得意な技は雨乞なんだ」
「雨乞? まさかコウスケ……」

 ナナクサはここでやっと青年の仕掛けた"仕掛け"を理解した。

「準決勝で降った雨はこいつの仕業かよ!」
「そうだよ」
「そうだよ、って! 思いっきり反則じゃないか」
「まさかナナクサ君、僕がカゲボウズ一匹で勝てると思ったのかい? いいんだよ。公式大会じゃあるまいし堅いこと言うなって。それに僕に役を取って欲しかったんだろう?」
「そ、そりゃそうだけどさー」

 頭をかかえてしゃがみ込むナナクサを見下ろしてニヤニヤしながら見下ろした。

「ちなみに決勝戦では、鬼火にこいつの神通力を合わせてた。縛りあげたりできたのはその所為だよ。タイミングを合わせるのが大変でさ。それにあんまり近くにいるとバレるだろ? 遠くからでも見えるようにネイティにはドータクンの目の代わりになってもらったんだ。鳥ポケモンは目がいいから助かった」
「なんていうか君って、怖いもの知らずだよ……」

 でも、選考会でそれだけのことやらかす度胸は舞台向きかもしれない。
 ナナクサはなんとかプラス思考に解釈する。

「ああ、あとね、最後にオーバーヒート喰らってもカゲボウズが倒されずにいたのは、ドータクンの特性をスキルスワップしておいたからなんだ」

 スキルスワップ。ポケモン同士の特性を入れ替えるトリッキーな技。
 いつのまにかツキミヤはナナクサとは反対方向を向いて、そう解説していた。

「"耐熱"って言って、炎に強い特性なんだ」
「どっち向いて言ってるのさ」

 くすりと笑みを浮かべるとツキミヤが言った。

「これでだいたい納得できたかい? ヒスイさん?」
「…………えっ?」

 ナナクサはツキミヤの見つめる方向に提灯の灯かりをやった。
 彼らが立っている棚だの何段か上のほうに人影が見える。
 なんだバレていたのかと言わんばかりに一人のトレーナーが二人のほうへ降りてきた。褐色の肌に映える銀髪のトレーナーにナナクサは見覚えがありすぎた。

「あーっ、お前は決勝のジャポニカ種!」

 と叫ぶ。
 トレーナーは怪訝な顔をした。

「君がすごく疑り深い顔してたからさ。この際、タネ明かしておこうと思って」

 さらりとツキミヤは言った。

「でも覚えておくといい。僕が尻尾を出すまで監視するなんてムダだ。背中に目があるんだよ。それに、誰かの秘密を知りたいと思ったら堂々と正面から行ったほうがいいこともある」

 無言の圧力。
 トレーナーはただ立ち尽くし、二人を睨みつけている。
 ナナクサはすっかり縮み上がってしまい、ツキミヤの影に隠れる始末だ。

「……でも正直なところ、あのオーバーヒートは危なかったな」

 ツキミヤはそのような感想を述べる。
 虚構だらけの選考会の中で、少なくともこれだけは本当だった。
 そう、虚構だらけだ。出る人間も。出させる人間も。仕切る人間も。
 道理を曲げ勝利して、筋書きを変えてしまおうと画策する。思ってもいないくせに祝辞を述べる。
 人は誰でも仮面を被り演じる役者なのだ。舞台から降りてもきっとそれは変わらない。