3.

 ポケモンセンターの自動扉が再び開く。依頼を終えたトシハルは足早にそこを立ち去った。
 やれることはやった。あとはトレーナーからの連絡待ちだった。
 もっとも、あんな辺鄙な島に連れて行ってくれるトレーナーがいればの話だが……。
 移動ばかりですっかりお腹が空いてしまったトシハルは、噴水の周りを囲う露店でたこやきと焼きそばを買い求めると、ベンチに腰かけかきこみはじめた。
 一心不乱に、焼きそばをかきこむトシハルの目の前で、だばだばと音を立てながら噴水が水を落としていた。一定時間が経つたびに噴水は水を高く吹き上げる。吹き上げられた水は僅かな時間空中でキラキラと輝くと池の中へと還っていった。
 焼きそばを全て胃袋に収め、次にたこやきを手にとったトシハルだったが、気が付くと、それを持ったまま、その様子をぼうっと見つめていた。
 その様子は彼の中でとあるポケモンに重なり、郷愁の念を呼び起こさせた。
 波の音が聞こえた。
 星砂で覆われた白い砂浜に寄せては返す波の音が。
 周りを囲むのは晴れ渡る青い空と揺らめく碧い海ばかり。
 空は何者にも占領されておらず、どこまでも広かった。
 海からの水蒸気を吸い上げてもくもくと成長した雲を背にキャモメたちがミャアミャアと鳴き交わしながら宙を滑っていく。
 ふと、海から海水が吹き上げられる。
 吹き上げられた海水は空中でキラキラと輝いて、そうして海へと還ってゆく。
 その海水を吹き上げたもの、そいつは巨大な、とても巨大な――
「すみませ〜ん、誰か、誰かぁ〜〜っ!」
 誰かの叫ぶ声で彼の回想はストップした。
 声のする方向を見ると先ほど彼の歩いてきた通りが見えた。
 すると、そこから何やら丸っこい白い色の鳥ポケモンが飛び出してきたのが見えた。
「誰か! そいつを捕まえてください!」
 ペリッパーだった。
 小さなポケモンを運ぶことも出来る黄色い大きなくちばしと身体の大きさがアンバランスなポケモンだ。そいつは小さな翼を羽ばたかせ巧みな低空飛行で人と人の間を通り抜けてくる。進行方向はまさにこっち側だった。
 仕方ないな、と彼は呟いた。
 トシハルは食べかけのたこやきをベンチに置き、重い腰を上げると、飛んでくるペリッパーの前に立ち塞がった。それに気が付いたぺリッパーは巧みに方向転換して彼の脇をすりぬけようとした。だが、その動きをまるで想定していたかのようにトシハルはすばやく方向転換し、腕を伸ばす。首根っこをつかんだかと思うと、翼の動きを両腕で封じこめた。
「グアッ!? グアア!!」
 ペリッパーはトシハルの腕から逃れようと短い足をバタつかせ抵抗したが、もちろんトシハルは離してなんかやらない。バタ足運動は無駄な抵抗に終わった。自分の無力を悟ったのか意外とすぐにペリッパーは大人しくなった。
「すみませ〜ん、ありがとうございます!」
 ペリッパーのトレーナーらしき短パンの少年がぜえぜえと息を切らしながら、駆け込んできた。
「もどれ、ペイクロウ」
 男の子は腰につけていたモンスターボールを取り、コツンとペリッパーの嘴の先に軽く当てた。ペイクロウと呼ばれたペリッパーは赤い光になって、瞬く間にモンスターボールに吸い込まれていった。
「どうもすみません、ペイクロウがご迷惑おかけして……」
 短パンの少年は本当に申し訳なさそうに言った。
「ううん、いいよ」
 と、トシハルは返事をするとベンチに座って、再びたこやきを手にとった。
「それにしてもおにーさんすごいね! 僕のペイクロウをあんなにあっさり捕まえちゃうなんて!」
 少年は本当に感動したとでもいいたげに目を輝かせて言った。
「いや、それほどでも……」
「おにいさんもポケモントレーナー?」
 と、少年は尋ねてくる。
「いや、違うよ」
「本当に? さっきの動きはそういう風には見えなかったけどなぁ」
「本当だって。僕はただのビジネスマン。ポケモンだって持ってない」
「えーそれ本当? まぁいいけど」
 男の子は顔をしかめた。信じられないよ、と言いたげであった。
 また時間になったらしく、噴水の水が高く噴き上げられる。だばだばと一層大きな音で水が池に落ち始める。
「でも、昔――」
 ダバダバ、ザバァ。音を立てて水が落ちる。その音にトシハルの声は掻き消された。
「ん? おにいさん何か言った?」
「ううん、なんでもないよ」
 トシハルは少し寂しそうに笑って少年を見つめた。少年は不思議そうな顔をしていた。

「じゃあね、おにいさん!」
 少年が手を振る。これから行われるコンテストにペイクロウと出るのだと言って去っていった。あんな調子で大丈夫なのかなぁと思いながら、トシハルは手を振り返し、にこやかに彼の背中を見送った。
 子どもっていうのはどこまでも無邪気だ。自分には何でもできる。どんな夢だってきっと叶えられる。そういう風に無条件に信じていて、疑いを持っていない。
 彼は少年の背中にかつてそうだった頃の自分を見た気がした。
 そうだ、僕も昔はそうであった、と。
 いつからだろう、と思う。いつのまにかそういうものを失って、日々を生きるようになっていた。きっと自分だけではないのだろうと思う。このミナモシティで働いているかつての少年達。彼らは皆そうなのではないか――ふと、そんな風に思った。
 そのときだった。不意にブゥウウン、ブゥウウウン、と携帯電話がスーツの中で振動した。
 まさか。
 トシハルはスーツのポケットに手を突っ込んだ。パチリと携帯を開き、振動の正体を確かめた。メールを受信していた。差出人はポケモントレーナーサポートシステムだった。
『ツグミトシハル様の書き込みに一件の返信があります。』
 下段にウェブページのアドレスが沿えてあった。
 淡い期待を込めつつ、トシハルはそれをクリックする。アクセスしたウェブページには短い文が添えられていた。
『書き込みを見ました。今日十七時にミナモ灯台前に来てください。』
 来た! しかもこんなに早く!
 トシハルは親指で素早く返信を打った。
『ご連絡ありがとうございます。では十七時に灯台前で。』

 待ち合わせまでに時間がある。
 携帯で時間を確認すると、彼はショッピングへと繰り出した。
 彼が足を運んだのは海を臨む巨大な施設。老舗であるミナモデパートに対抗して開発された大手資本ショッピングモールだった。一年ほど前に開業したばかりのその巨大な箱にはいくつもの専門テナントが入り、何階層ものショッピングストリートを形成していた。
 まず、大きなキャリーバッグを購入した。車輪がついていて引いて歩けるタイプのものだった。これならなんだって入る。
「すいません、カイロは置いていませんか」
 トシハルの質問にドラッグストアの若い店員は怪訝な顔をした。
 無理もなかった。今の季節は去り行く時期とはいえ夏だ。それがキャリーバッグを持ったスーツの男がいきなりやってきてカイロ出せと言ったのでは、そんな顔にもなるだろう。
 変な人だなぁと思いながら、店員は店長を呼んできた。店長は夏場だから置いてないですよ、と言えと指示した。が、パートの年配女性が倉庫の奥の売れ残りを思い出すに至った。トシハルは中身を数えずにそのまま清算を済ますと、ダンボールは返却して、中身をキャリーバッグに放り込んだ。
 次にセレクトショップで丈夫そうな傘を二、三選びぶち込んだ。黄色いレインコートもぶち込んだ。若者達でごったがえすアウトレットの洋服店で、フードまわりにモココの毛を縫いつけた季節はずれのコートを一着、手に入れる。暖かそうな手袋に帽子も購入した。
 隣にあったネクタイの専門店にも足を運ぶ。店員に自身の望む柄のネクタイは無いかと彼は尋ねた。イメージ通りのものを手に入れると彼は丁寧にそれをしまった。
 アウトドア用の店で電池式ランタンを詰め込み、さらに寝袋を突っ込んで、重くなった頃にキャリーが方向転換した。思い出したようにドラッグストアに戻ると小瓶の栄養ドリンクを一ケース、それとすぐに食べられる固形の栄養食などをかごに詰め込んでレジに持ち込んだ。ピピッとレジのディスプレイが再び値段をはじき出した。
「ありがとうございました!」
 再び現れた晩夏のカイロ男を前にして、パートの女性はあくまでスマイルを絶やさなかった。きっと仕事のアフターで話題になってしまうんだろうなー、などとトシハルは想像し、苦笑いを浮かべた。
 ……とりあえず、こんなもんでいいだろう。
 トシハルは再び携帯電話で時間の確認をする。少し時間がありそうなのでカフェに入って一息ついた。
 ホロホロコーヒー。丸いロゴマークの中心で赤いトサカの鳥ポケモンが微笑んでいる。ポケモンセンターに入っていたのと同じチェーンだ。イッシュ地方から進出したというこのコーヒーチェーンは、二、三年前まではまったく見かけなかったのに、今ではここホウエンでもすっかりお馴染みの存在だ。Mサイズのアイスココアを注文する。中ジョッキ並みのグラスになみなみと注がれたココアにたっぷりのクリームが乗っかって出てきた。トシハルは窓際の席に腰掛けてストローで均等にクリームとココアをすする。ガラス越しに見える通りの向かいはホビーショップだった。天井では飛行機がくるくると輪を描き、人通りに向かってテレビがこうこうと光っていた。
 進化戦隊ブイレンジャー。通りに向けられたテレビに懐かしい題字が踊ってトシハルは少し驚いた。小さい頃、島の画質の悪いテレビで数週間遅れの放送を齧りつくように見ていたから。ああ、きっとリメイクだ、と彼は思った。リメイクされてたなんて知らなかった。ブラッキーの戦士、ブイブラックはやはり今作も秘密を抱えているのだろうか。甘苦いココアを吸い上げながら、彼はしばし思いを巡らせた。
 氷がごろりと転がったグラスをカウンターに返す。携帯画面を操作し、再びメールの画面を見る。今から行けば約束の時間に少し早く到着するだろうと思った。
 残りはこの返信主との交渉だけだった。
 彼はミナモ港の灯台のある埠頭に向かって、パンパンになったキャリーケースをガラガラと引きながら歩き出した。
 ……それにしても、と今更ながらにトシハルは思う。
『書き込みを見ました。今日十七時にミナモ灯台前に来てください。』
 自分の正体は一切語らないで呼び出すだけとは、この返信の主、いい度胸しているというか、なんというか。
 ポケモントレーナーってみんなこんな感じなのだろうかと、トシハルは考える。
 交渉するのならポケモンセンターにでも呼び出せばいいものを、なんでわざわざ人気の少ない埠頭なんかに。あの男の人がトレーナーは変な奴が多いって言っていたけど、きっとこの人も相当変人に違いない。
 そんなことを考えながら歩いているうちにトシハルは再び港に到着した。季節柄、まだ外は明るくてあまり夕方近くには見えなかった。海が波打ちながらキラキラと輝いている。大きな船舶を繋いだ鉄の鎖に何十羽ものキャモメが並んで、羽を休めていた。何羽かがミャアミャアと騒ぎながら彼の視界を横切っていく。
 彼らの行く方向に灯台が見えた。返信の主との待ち合わせ場所だった。
 波が埋め立てのコンクリートに当たって、ぱちゃぱちゃと音を立てている。トシハルはそのコンクリートの上をガラガラと荷物を引きながら、進んで行った。コンクリートの道の先に、灯台がにょっきりと立っている。
 海の方角から風が吹いた。灯台の下で何かが揺れて、トシハルは目を凝らす。
 あそこにいるのがそうなのか……?
 灯台の下に二つの人影が立っていた。二人とも髪の毛がたなびいている。
 一人はとても長身でがっちりとした体格、もう一人はそれにくらべるとだいぶ小柄だった。
 しかし、彼はその二人に近づくにつれてだんだん自分の考えがおかしいことに気が付いた。どうも長身のほうが変なのである。やけに全体的に赤っぽいし、頭の先からツノのようなものが生えている……。
 さらに近づいてトシハルは確信した。あれは人ではない、人型のポケモンなのだと。
 じゃあ、あの小さいほうが。
 ついにトシハルは灯台の影の下にまで入った。そうして一人と一匹に対峙した。
 ……女の子?

 彼が見た二人組は猛火ポケモンバシャーモ。そして赤いバンダナの女の子だった。
 十代半ばくらいだろうか。バンダナの両側から伸びた栗色の髪が風になびいていた。
「あ、あの……」
「おじさんが掲示板の人?」
「………………」
 トシハルは顔を歪ませた。
 競り負けた。女の子がトシハルを押し切った上で早くしゃべった。
 というか、今の言葉はショックだった。確かにそろそろそういう歳ではある。それは紛れも無い事実だったが。
「私はアカリ。ミシロタウンのアカリよ。こっちはバク。バシャーモのバク」
 トシハルが微妙に傷ついているのをわかっているのか、わかっていないのか、アカリと名乗った女の子は一方的に話を続ける。
「まァよろしくね。ツグミトシハルさん?」
 海風がびゅうっと一層強く吹いた。
 前途多難な旅となりそうだった。





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