4.

「あ、あのさ……」
 海風が吹く灯台の下、自分の前で仁王立ちしている女の子にトシハルは尋ねる。
「何?」
 女の子はぶっきらぼうに聞き返す。
「そ、その、仮にも僕たちはその……」
 正直なところ、彼は動揺していた。
 無理もない。海を渡るトレーナーっていったらこうもっとごっつくてゴーリキーみたいに筋肉隆々の船乗りみたいな男性トレーナーを想像していたからだ。
 まさか、こんな華奢な十代の女の子が来るなんて予想していなかったのだ。
 正直これはまずいことになった。
「き、君さぁ、もっと自分のことを大事にしなくちゃだめだよ?」
「……ハァ?」
「だ、だって」
 あまり年齢のことは考えたくなかった。けれども――
「い、いや、もちろん僕はそんな趣味ないし、そんなことしないけど……」
 トシハルの考えはこうだった。三十代に突入しちゃった「おじさん」の自分と十代の女の子が二人っきりで海を渡るっていうのは、まずいのではなかろうか。こう、その、常識的に考えて、だ。
「あのね、世の中にはやましいことを考えているグラエナがわんさかいるんだよ?」
 一生懸命生きているグラエナに失礼だよなぁと思いながらも、そんな例えを用いる。
 もちろんすぐに後悔が襲ってきた。
 ああ……何言ってんのかな僕は……。
 トシハルは頭を抱えて顔をゆがませた。
「あああ、あのう……?」
 すると今度は女の子のほうが動揺しはじめた。
 いかんいかん……。トシハルは呼吸を整えて、少し落ち着くと改めて言い直した。
「あの、君……アカリちゃんって言ったっけ。今いくつなの?」
「え? 十五、だけど……」
 アカリと呼ばれた女の子は不機嫌そうに答える。
「ねぇ、ちょっと考え直したほうがよくない? この仕事」
 と、トシハルは言った。
「はぁ!? なにそれ!?」
 今度はアカリが眉を吊り上げてあからさまに声を荒げた。聞き捨てならないという風だった。
「何? 若造でしかも女の子の航海技術に不安があるってわけ? 私もなめられたモンね」
 う、うん、正直それもあるんだけど……とトシハルは思ったが、彼女の剣幕に少々びびっていたのもあって、大人の対応をしようと一生懸命努める。
「そ、そうじゃなくて」
 いや、そうなんだけど! と、思いつつ大人の対応を考える。
「だったら何よ!?」
 アカリはますますヒートアップする。
 どうやら余計に怒らせてしまったようだった。
「だってまずいだろ!?」
 と、トシハルは叫んだ。
 さっき決めた大人な対応とやらはどっかにすっ飛んでいってしまった。
「だってまずいだろ! 仮にも見知らぬ男女、しかも三十過ぎたオッサンと十代の女の子が海上に二人っきりっていうシチュエーションは!!」
 顔を真っ赤にしてなかばヤケになって叫んだ。
 勢いも手伝って自分をオッサンよばわりしたついでに、なんだかとってもはずかしいことを口走ってしまった気がした。
 はー、はー、はー、ぜー。
 そこまで言うとトシハルは両膝に手を当てて肩で呼吸した。
 暮れかけた夏の海で何を叫んでいるんだろう、と思った。
 もういいや開き直っちまえ。そう思ってとどめの一言をお見舞いせんとした。
「第一そんなことがバレたら君のお父さんに殴られ」
「パパは関係ないでしょ!!」
 殴られちゃうよ、とトシハルが言う前に今度はアカリが顔を真っ赤にして叫んだ。
「いや、そういう訳にも……」
 いかないだろう、と言いかけると、
「あーあーあー! もう、わかったわよ! とりあえずあなたの言いたいことはわかった!」
 アカリは納得したのかしていないのか、会話を終わらせるように言った。
「わかってくれてうれしいよ……」
 とりあえず好意的に解釈する。が、
「わかったけど、その心配には及ばないわ」
 とアカリは言った。
「へ?」
 マヌケな顔をしてまじまじと少女の顔を見るトシハルに、アカリはほれ私の後ろを見ろというジェスチャーを取ってみせる。彼は言われるがままに少女の後ろを見た。
 アカリの後ろで、腕組みをした鶏頭の赤鬼のようなポケモンがトシハルを睨み付けていた。
 ポケモンホウエンリーグが推奨する初心者用ポケモン、アチャモ。立派に育て上げたあかつきにはこのように人型の屈強な用心棒になるのだ。なるほどこれは心強い。同時に、怖い。
 ツグミトシハル、三十ウン歳。男のプライドに誓ってもちろん「そんなこと」はしない。してはならない。だが、もしも気が狂って海上でおかしな行動をとったとしてもこれなら心配はあるまいと彼は納得した。道を誤ったその先は想像に難くなかった。
 鶏頭が尚も睨み付けてくる。彼は急ぎ目を逸らす。敵意は無い。おかしなことだって考えていない。そういう無言のアピールをトシハルは送った。
 それを見て取ったのかアカリは、
「じゃあ、わかっていただけたところで具体的な話に入りましょうか」
 と、話を強引に進めてきた。
 やっぱり仕事の話に入るんだ……と、トシハルは不安そうな顔を露わにした。
「何? まだ何かあるの?」
 すぐさま表情を読んだのか、すかさずアカリは突っ込んだ。
「いえ、その、ないです……」
 いや、あるけど。
 と、思いつつそういうことを言える空気ではなかった。
 アカリがおっかない。何より彼女の後ろで腕組みしてるポケモンがもっとおっかなかった。
「ねぇ、おじさんってテレビとかあんまり見ないでしょ」
 アカリが聞いてくる。
「う、うん、そうだね」
 なんでそんなこと聞くんだろうと思いつつトシハルはそのように答えた。
 そんなことよりおじさん呼ばわりしないで欲しかった。
「ああ、やっぱりね」
 彼女は何か納得したように言った。
「心配しなくても乗り心地は保障するわよ。私のポケモン大きいし。それより、荷物の中身見せて」
 アカリはそう続けると、いいけど、とトシハルが言う前につかつかと彼の前に進んでくる。
 ばっと彼の手からキャリーバッグを奪って引き寄せ、中を開き物色し始めた。
 「おじさん」に四の五の言わせるつもりはまったくもってないらしかった。
 そうして、防寒着に栄養ドリンク、先ほどショッピングモールでトシハルが買い物したものを次々と引っ張り出しチェックをはじめた。彼女の行動からは遠慮というものが微塵も感じられなかった。トシハルは人生の先輩としてアカリにいろいろ物申したかったのだが、彼女に何を言っても無理な気がした。なんとなくだがそれを察した。
 そのような感じで彼が微妙な表情を浮かべているのをよそにバッグの中身を引っ張り出しながら、アカリは、
「ねぇ、フゲイ島って聞いたことないけど、おじさんのなんなの」
 などと、尋ねてきた。
「実家があるんだ。だけど次の船が十二日後でね」
 と、キャリーバッグの惨状を横目に見ながらトシハルは答える。
「どんなところ?」
 彼女はさらに尋ねてくる。
「何もないところだよ。ここの街はたいていのものがあるけれど、本当にあそこは何もない」
 記憶をたぐりよせるようにしてトシハルは言った。
 海の向こうを見る。当たり前だが故郷の島は見えなかった。遠すぎた。
「そう」
 と、アカリは素っ気無い返事をした。
「そうだな。あえて言うなら、時間の流れがここよりゆっくりしているかな」
 反応の読めない相手に戸惑いながらもトシハルは話を続けようと努力する。
「……掲示板に珍しい石があるって書いてたけど」
「島に洞窟があってね、水の石とかがゴロゴロ出る」
「ゴロゴロ!?」
 アカリの眼光が鋭く光った。どうやら彼女にとってそれは魅力的なアイテムだったようだ。
 ああ、なるほど。それに釣られたのか。港の男のアドバイスにトシハルは感謝した。
「ちょっとした採掘の名人がいるんだ」
「じゃあ、紹介して」
「あ、ああ。うん」
 現金な子だなぁ、と思いつつトシハルは了解する。
「石が手に入るなら渡航の報酬は実費だけでいいわ」
「そうかい、そりゃあ助かるよ」
 会話を進めながらアカリは尚も荷物をひっくり返す。
 一方、トシハルの中ではだんだんと島の記憶が蘇ってきていた。
「それと、そうだな。あの島にはね――」
 碧い海、波の音、白い砂浜。島を囲う砂浜とその波打ち際の風景は他のホウエンのどのそれよりも美しいとトシハルは思っている。空にはもくもくと成長した入道雲。青と白の滑空するキャモメたち。そして……――
「よし、荷物はこれでいいわね」
 さらに語ろうと思ったのに、それ以上はアカリに遮ぎられてしまった。
 本当に四の五の言わせない子だなぁ、とトシハルは思う。
「足りないものがあったら買いに行こうと思ってたんだけど……どうやらその必要もなさそうね」
「……そうかい。そりゃあよかった」
 人の話は最後まで聞くものだよ。
 少し不機嫌になって彼は答えた。
「それにしても、」
 アカリが上目使いにトシハルを観察するようにじっと見る。
「トレーナーに頼んで海を渡りたいなんていう人、珍しいのよね。だからどんな素人かと思ったら、結構詳しいじゃない。防寒着もあるし、ご丁寧にカイロまで。よく見つけたわね」
「そりゃどうも。洋上は寒いからね」
 と、トシハルは返答した。
 先ほど買い込んだもの。コートにカイロ。傘にレインコート。それは主に自らの身を寒さから守るのが目的だった。ポケモンの背の上、そこには冷たい風から身を守ってくれる壁も、降るかもしれない雨をはじいてくれる天井も存在しないのだから。
「そうそう、船の中ならいざ知らず、壁のないポケモンの上だとどうしてもね。……おじさん、前にも乗ったことがあるの?」
「いや」
 トシハルは否定した。
「乗せてもらうのは初めてだよ。でも、船には数え切れないほど乗ってたから。寒いのはよく知ってる」
 そう、海風の寒さをトシハルはよく知っていた。かつてはいつも甲板から海を見ていたのだから。
「そう」
 と、アカリは答えた。
 それはそっけない返事だったが、先ほど会ったときよりはトシハルに興味を示しているようにも見えた。
「そうだ。それより」
 彼女ともどうにか会話が成立するようになったと見てトシハルは切り出した。
「何?」
「その……おじさんって言うの……やめてくれないかな」
 トシハルは視線を逸らしながら言った。
「どうして?」
 真顔で聞き返すアカリに、はぁ、とため息をついた。
「……だって………………なんか傷つくじゃないか」
 わかっている。十五歳の少女からすれば三十の半ばに差し掛かった自分は「おじさん」なのだ。しかし、と思う。せめてもう五歳ほど歳を食ってから言ってもらいたい。それくらいは許されてもいいはずだとも彼は思う。
「……わかった。じゃあ何て呼べばいいの?」
「ツグミでも、トシハルでも、その、おじさんじゃなきゃなんでもいい」
 ああ、またおじさんと言ってしまった……自己嫌悪に陥る自分自身を懸命に励す。
「じゃあ、トシハルさんで」
「うん、それで頼むよ」
 彼はほっと一息ついた。最初っからそう呼んでくれればいいのになどと思いながら。
「で、トシハルさん、」
 今度はなんだ。トシハルが顔をしかめる。
「とりあえず、これはもういいわ。内容はわかったから。合格だから。もうしまっていいよ」
 アカリはしゃがんだまま、広げるだけ広げて中身を出したキャリーバッグを指差し、そう言った。
「…………え」
 僕が片付けるのかよ! 自分で勝手に散らかしておいて! あきらかな不満を表情に出してトシハルはアカリを見下ろし硬直する。が、彼女は何食わぬ顔をしていた。
 これはひどい、と彼は思った。目の前にいるこのポケモントレーナーはこっちの立場をまったく気にかけていない。否、かけようという気が無い。
「き、君さぁ」
 そう言い掛けて、少女の後ろに立つバシャーモ――鶏頭と目があった。
 鶏頭は「なんか文句あるのか」とでも言いたげに黄色と青の瞳でぎろりとトシハルを睨みつけた。
「………………」
 ずるい。これは卑怯だ。畜生、誰だ! この女の子にアチャモを与えた輩は! 責任者出て来い!! 心の中心でトシハルは叫んだ。
 いいのか。いいのか? 僕の帰郷の旅は本当にこんなんでいいのか?
 自問せずにはいられなかった。
「ちょっといいかい」
「何?」
「なんかさっきから君と契約する前提で話が進んでいるみたいなんだけど」
「そうよ」
「いやちょっと待てよ! まだ会っただけだろ!? 決めたって言ってないだろ!?」
 彼は盛大にツッコミを入れた。荷物を放置されたって選ぶ権利はあると主張したかった。
「でもおじさん、他にアテないでしょ」
「おじさんって言うな!」
 ああ、まったくもって疲れる子だと彼は思った。しかしアカリの指摘するように他にアテなど無いことも事実だった。
「じゃあ、せめてポケモン見せてくれないか」
「ポケモン?」
「波乗り用のポケモン。見て納得したら君にお願いするから」
 腹を括った。人選に不満を残しながらトシハルは自分を納得させるようにそう言った。この場合大事なのはトレーナーよりポケモンだ。なんと言ってもそのポケモンには二人分を乗せられるそれなりの大きさが必要なのだ。
「わかった。いいよ」
 アカリはあっさり承諾した。そしてポーチからごそごそとモンスターボールを取り出す。
「ちょっと離れて出すね」
 そう言って、鶏頭とすたすた埠頭の先まで歩いていってしまった。
 やれやれ。何を出してくるのやら。トシハルはほとんど期待せずにその様子を見守った。

 だが、結果として彼は、アカリとの渡航を決定することになった。

 トシハルは目を見開いた。
 アカリが向かった方角からは一斉に海鳥が飛び立った。





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