●鷽替えのはじまり(豊縁昔語より)


 昔むかし、多くの人々が部落とか里とかそんな単位でまとまっていた頃、言葉を話せる野獣達がまだいた頃、そんな彼らが神様とか土地神とか呼ばれていた頃のお話です。ようやく豊縁にも国といったものが興り始めました。
 その中で特に大きな勢力の一つに赤い衣を纏った一族がありました。彼らは地の獣や火の獣を特に大事にしていました。彼らは周辺の里を飲み込んで、自らの支配圏を広げていきました。
 支配された人々は今までの信仰を棄てなければなりませんでした。けれど、悪いことばかりではなかったようです。赤の一族は優れた技術を持っていました。彼らは人々に効率のいい農具を与え、獣達をいかに操るかを教えました。そうしてより豊かな実りをもたらしたのです。
 人口は徐々に増えていきました。彼らはより多くの畑を、水田をと考えるようになりました。そうして、豊縁のある場所に大きな沼地が広がっている事に目をつけたのです。
 しかし、水田の開発は一向に進みませんでした。豊かな土地には先住の者がいるものです。

 その沼地の主は泳ぎ回る蓮の一族を束ねる長で、つばの広い帽子を被った、太い木の幹のような姿をしていました。彼は赤の一族にとって、それは厄介な相手でした。
 第一に彼は雨を降らす術を心得ていました。一族と共に彼が祈り舞い踊ると、どこからか黒雲が現れ、雨を降らすのです。雨が降っている、それだけで多くの使役される獣達は戦う気を無くしましたし、動きが鈍りました。主戦力である火の獣達を使えない事は痛手でした。
 さらに地の利が彼らにはありました。地を駆ける獣達が走ろうにも、ぬかるんだその土地は彼らの行く手を阻むのです。
 そして何より赤の陣営を苦しめたのは、彼らの持つ妙な術でした。
 水の力を司る彼らは当然に水の術を使います。けれどそれはただの水の塊ではなく、炎のように熱い、熱量を持った水だったのです。雨の中、やっとの思いで敵の懐に入った黒い犬達もこの術にやられてしまいました。熱い熱い水で火傷をした犬達は普段の力を出す事ができずに倒されていったのです。
 軍を指揮していた赤の男は困りました。これでは農地を手に入れる事ができません。彼は強力な獣達を何匹も従えていましたが、火の獣や地の獣ばかりで、蓮の長の相手には向きませんでした。
 彼は周辺の土地を歩き回り、思案しました。彼は探していました。なんとかあの牙城を切り崩す方法は無いものか、力になってくれる者はいないものか、と。
 そんな風に歩き回っていたある時、どこからか男に声を掛ける者がありました。
 大きな樹の下で休んでいた時の事でした。
「もし、もし……」
 男はきょろきょろとあたりを見回しました。けれど声の主がどこにいるのか分かりません。すると上のほうからまた声がしました。
 見上げると樹の枝に二又の尾の鳥がとまっておりました。切れ長の目をした品のある鳥でした。二又の尾の先を彩る赤が美しいと男は思いました。するとその鳥が口を開いて言ったのでした。
「もし。あなた様はもしや、唖鶏(おしどり)の主ではありませぬか」
「いかにも」
 男は答えました。唖鶏とは男の持つ軍鶏(しゃも)の二つ名でした。男が手塩にかけて育てた強く逞しい軍鶏は土地神達の間でも名が通り、神殺しと恐れられていたのです。
 しかし、さすがの軍鶏も雨降る沼地では思うように力を振るえません。だからこそ男は方策を考えていたのでした。
「あなた様は蓮の長を討ち取りたい。そうですわね?」
 二又の尾の鳥は問いました。すると男の眼光が鋭くひらめきました。
「お前、名は」
「二ツ尾の局(つぼね)……とでもお呼び下さい」
 男が問うと二又尾の鳥はそう答えました。
「策があるのか」
 男は続けて問いました。
「わたくし達には翼があります。土地がぬかるんでいるかどうかは関係がありません」
「雨は」
「慣れていますとも。日の照る昼も雨の夜も長い長い旅をしてきたのです」
「奴らは妙な術を使うぞ」
「ご心配には及びませんわ。わたくし達、こういうのは得意ですのよ」
 言いたい事はすべて分かっている。そういう風に二ツ尾の局は答えます。男が苦戦している事も、その理由も局には分かっているようでした。こっそりと様子を見ていたのかもしれません。
「何が望みだ」
 男は局に問いました。
「せっかちな方」と、局が言います。「でもわたくし、せっかちな方は嫌いじゃなくてよ」
 そうして二ツ尾の局は、赤の男に望みを語りました。
 蓮の長を討ち取ったら、自分達をかの土地に住まわせて欲しい事。米が実ったら分けて欲しい事。もちろん虫達からは作物を守ると約束する事を。
「……お前さん達、土地を追われたのか」
 男は尋ねました。
「ええ、あなたと同じ色では無いですけれど。夫は戦って死にました」
「憎くは無いのか。人が」
「憎しみを育てても取って食べられませんわ」
 局は言いました。そんな事よりわたくしの子供達がお腹をすかせていますの、と。
 すると男はしばし黙っていましたが、
「お前さんは母なのだな。かつての土地神である前に母なのだ」
 と、言ったのでした。
「俺はそうやって割り切れる奴は嫌いじゃない」
「わたくしの末の子は言葉を話せませんの。あなた様の軍鶏と同じ」
 局は続けました。
「それにわたくし知っていましてよ。あなたは恐ろしいけれど優しい方だわ。わたくしが蓮の長を打ち倒したら、必ずや約束を守ってくれるでしょう」
 そう言って二ツ尾の局は飛び立ちました。

 そうしてある時、二又の尾の鳥の群れが空からやってきて、蓮の一族に戦を仕掛けました。蓮の長は雨を降らせましたが、鳥達は構わず突っ込んでいきます。
「わざわざ懐に飛び込んでこようとは愚かな燕どもよ。返り討ちにしてくれる」
 そうして彼らはいつものように熱い熱い水を浴びせたのです。
 ところが。
 二又尾の鳥達の動きは止まるどころか、勢いを増しました。むしろ熱い水を浴びた事で彼女達の眠れる何かが目覚めてしまったようにすら思えました。
 彼女達は翼を振るい、身体を翻し、次々と蓮の一族をなぎ倒していきます。水の力を司ると同時に草木の力を司っていた蓮達は翼の力に抗えず、次々に沈められていきました。
 そうしてついに彼らは蓮の長を追い詰めたのでした。
「貴殿に恨みは無いけれど、背に腹は代えられないの」
 局はそう言って、ひゅっと翼を翻すと蓮の長にとどめを刺したのでした。戦は二ツ尾側の勝利に終わったのです。
 ですが蓮の長は力尽きる間際、呪いの言葉を吐きました。
「お前の一番かわいい末の子は巣立ちの前に死ぬだろう。お前達の血筋を呪ってやる。私の身体が朽ち果てても、この呪いは根付いて離れぬ。近々、印が現れよう。恨みは地に残り続けるのだ」
 そう言って蓮の長は息絶えました。

 赤の男は局との約束を守りました。この地の住人として二ツ尾の局の一族を受け入れて、彼女らを土地神として祀るべく神社の建造まで始めました。けれど、局の心は長の最後の言葉に捕らわれたままでした。
 ああ、あの子が死んでしまう。あの子が死んでしまっては、何のために人に手を貸したのか分からない……。
 局は日に日に憔悴していく様子でした。
 そうして、不気味な事が起こりました。
 蓮の長の亡骸を埋めた場所に見た事も無い草が生えて、みるみるうちに育ちました。おかしな草でした。奇妙な赤と黒の色の花をつけますが、すぐに落ちてしまいます。それは見るからに不気味な光景でした。
 落ちたその花の形は翼を広げた鳥の形に似、その様子がまるで鳥が地に落ちたかのようだったのです。
 ――近々、印が現れよう。
 その言葉が思い出され、局は恐怖しました。
 そんな局の様子を見ていた男の軍鶏は花を焼き払いました。
 そして二度と生えないようにと考えたのか、草の生えた場所にどこからか持ってきた大きな岩を突き刺しました。まるで金輪際出てくるなと言うように突き刺しました。するとその不気味な花は無駄だと言うように土地の様々な場所で芽吹いて花をつけましたが、彼はその度に焼き払っては岩の封をしたのでした。そうして、水田のあちこちに軍鶏の突き刺した岩が増えていき、この土地に独特の風景を生み出したのです。
 かつて言葉を語れなかったが為に一族から見捨てられた唖鶏は、局の末の子を他人とは思えなかったのかもしれません。
 そんなある時、見かねた唖鶏の主は言いました。
「お前の子供達を預けてくれないか」
 男はぼんぐりという木の実を差し出して言いました。
「いいか。お前の子供達をこの木の実の中に入れ、巣立ちの前に里の童達に託すのだ。誰の手に渡るかは童達の手で何度も何度も入れ替えて決めよう。取り替えて取り替えて区別をなくしてしまったなら、奴にもどれが末の子か判るまい」
 局は頷きました。
「心配するな。皆、俺が見込んだ才能のある奴ばかりだ。お前の子供達も立派に育とう」
 そう男は続けました。
 局の子供達が入ったぼんぐりが童達の手に渡り、次々と彼らの手の間で回されていきます。
「ある里ではお前達の種族を鷽(うそ)と呼ぶのだそうだ」
 男は語りました。
「何でも山道にいる鬼を倒したが、誰も信じなくて鷽という名になったのだそうだ。もちろん俺は本当だと思うがね」
 戦場での目覚ましい活躍ぶりを思い返し、男は語りました。
 かつて男と相まみえた局は語りました。わたくしの子供達がお腹をすかせていますの、と。
「お前さんはどんな事をしても生きると決めた。生かすと決めた。だから、まだまだ生きて働いて貰わなくてはならん。その為ならば鷽にあやかるのもいいだろうさ」
 田植えの終わった水田を仰ぎ、男は言いました。
 手から手へ、また手から手へ、彼らの目の前で鷽の入ったぼんぐりが替えられていきます。
 替えましょ。替えましょ。と、声が響きます。
 童達の間で鷽が替えられていきます。

 鷽替え。
 呪いを嘘に変え、災厄をも嘘に変え、優しい嘘なら真(ほんとう)に替えて。
 鷽が替えられていきます。手から手へと移っていきます。季節が変わり、歳月が過ぎていきます。
 神話の時代から人の時代へ、時が移り変わっていきます。

 その後、局の末の子がどうなったのか、蓮の長の呪いは嘘に変わったのか、それは定かではありません。けれど、この時に始まった鷽替えという行事は、形と意味を変えながら今でも続いているのです。