10.

 その昔、もう何十年も前のある暑い夏の日だった。
 水平線の向こうから、自前の小型船に乗って、見知らぬ男がこの島へとやってきた。
 海の向こうからやってきたその男は島の一員となることを希望した。
 昔から漁業とサトウキビ栽培だけで暮らしを立ててきた島民たちにとって、浜辺に降り立ったその男が口にした職業は聞いたこともない風変わりなものだった。
 そんな男を多くの島民達は冷ややかな目で、遠巻きに観察していた。どうせ内地の者の気まぐれだろう。一ヶ月も持たずに島からいなくなるに違いない。そう彼らは噂した。
 だが男は島に居座り続けた。
 月はやがて年に変わり、一年が過ぎ、二年が過ぎ……そして三年が経った。
 やがて島には男がいる事が、その風景が当たり前になった。
 そうして男は島の一員となった。
 男は輝く碧い海を指差し、言った。私は彼らに魅せられてこの島に来たのだと。
 ここは奇跡のような場所だ。このあたりの海域には通常考えられないほどの密度で私の求める者達が存在しているのだ、と。
 男が指差すエメラルド色の海には、ゆらゆらと揺らめく水面の網に彩られた、それはそれは大きな生き物が悠々と泳いでいた。

 少女はポケモン達を機械球に収めにかかった。足の下のホエルオーと、バシャーモとオオスバメだけを残した。次にピジョットとオオスバメが、それぞれの主を島へと上陸させる。ピジョットのほうが先に、少し遅れる形でオオスバメが続いた。遅れる形で鶏頭が、くじらの上で助走をつけ、大きく跳ねて着地する。少女はそれを確認すると、オオスバメをねぎらってから機械球に収納した。
「こちら、ポケモントレーナーのアカリさん。さっきまで乗っていたのは彼女のポケモンで……彼女のホエルオーに乗せて貰ってここまで連れてきてもらったんです」
 ピジョットのほうの主が、島の人間といくらか言葉を交わすと、そうホエルオーの主を紹介した。そうしてトシハルはアカリがどこかに泊まれるように手配すること、もてなすようにと依頼する。島民達はその依頼を快く承諾した。
 アカリはずっと黙っていた。彼女のことを横目に確かめながら無理もない、とトシハルは思う。
「そうだ。ミズナギさんは」
 と、トシハルが島民に尋ねると
「集会場にいる。博士もそこだ」
 という答えが返ってきた。
「そう、博士はそこにいるんですね」
 トシハルはそれを確認すると、歩き始めた。浜に集まった島民達が同時にぞろぞろと集団で移動しはじめた。黒い服ばかりの集団の中にあって、アカリとバシャーモの赤が一層際立っていた。
 ふと、トシハルが海のほうを振り返るとさっきまで彼らが乗っていたうきくじらが海へと戻っていくのが見えた。
 ボールに戻さなくてよかったのかとトシハルは尋ねたが、ここには仲間もたくさんいることだし、島を出るまでは好きにさせておくつもりだ、と降り立ってはじめて口を開いた。
 彼女のうきくじらは、二、三度潮を吹くと、やがて海へと消えていった。
「トシ、よう間に合った。昨日は準備やらでばたばたしとったからの。今日ちゃんと通夜祭ばして、お別れは明日の昼さやる予定だったんだ」
 集会場に向かう道がてら島民の一人が言う。
「そうでしたか……」
 トシハルは力なく、けど少しほっとしたように答えた。
 集会場はすぐに見えてきた。よくある町内会の会場程度には広い建物だった。縦に長い集会場は突端が海に向かって伸びている。一番奥の窓からは青い水平線が見えた。
 その窓のちょうど下に簡素な、けれど大人一人が足を伸ばしても入る大きな木の箱が、二つの小さな台に支えられる形で置かれていた。
 集会場の入り口に立ったトシハルの視線がそこに釘付けになった。
 傍から見ていたアカリにもそれがはっきりわかった。
 それは待ち人の寝床だった。木の壁に阻まれてその姿は見えない。
 けれどそこに納められ横になっているのはうきくじらの上でトシハルが語ったその人に違いなかった。
「お帰りなさい、トシハルさん」
 と、声がした。
 二人が振り返ってすぐ後ろを見るとその人は立っていた。
 着古された白いワイシャツの痩せた男だった。
「……ミズナギさん」
「よくぞ戻っていらっしゃいました」
 ミズナギと呼ばれた男は微笑む。木の箱のほうをちらりと見て言った。
「さ、顔を見せてあげてください。博士はずっとお待ちでしたよ」
「……ミズナギさん、僕は」
 トシハルはそう言い掛けて言葉を詰まらせる。
「さ、俺達は時間まで暇しよう」
 そう言って島民達は集会場をぞろぞろと出て行った。
 一人去りまた一人去り集会場にはトシハルとダイズ、アカリと鶏頭、ミズナギ、そして棺だけが残される。
「あ、あのミズナギさん、彼女はポケモントレーナーのアカリさんと言って……今回海を渡ってこれたのは彼女のお陰なんです」
 トシハルはたどたどしく言った。
「そうでしたか」ミズナギが答える。
「アカリさん、それは大変お世話になりました。おかげでトシハルさんは間に合いました。貴女にはお礼を言わねばなりませんね」
「いえ、その、報酬をいただいているお仕事ですから……」
 アカリは顔の両サイドに伸ばした髪を指で巻き取ると、少しばかり視線をそらした。
「ミズナギさん、彼女は水の石が欲しいんだそうです。お手空きのときにでも洞窟に案内してあげてくれませんか」
 トシハルが依頼する。「もちろんお安い御用ですよ」と、ミズナギは答えた。
「えっ、じゃあこの人が採掘の名人?」
 と、アカリが尋ねると、
「まぁ、昔いろいろやってたものですから」
 と、ミズナギは言った。
「どうですかアカリさん、なんなら今からでも洞窟に案内しますよ」
「いえ、そんなに急いでるわけでは……」
 気まずい。アカリは奥にある棺をちらりと見た。
「外からのお客様はめったにいらっしゃらないのです。だから歓迎しますよ。島もご案内したいですし」
「……」
「さ、そっちの鶏のお兄さんも一緒に」
 そう言ってミズナギはアカリとバシャーモの背中を押した。
 そういうことか、とアカリは理解する。すぐさま鶏頭に、行こうと目配せした。集会場を出る直前にトシハルのほうを少しだけ見る。黒ネクタイをつけたトシハルは押し黙って棺のほうを向いていた。
「ダイズさん、貴方もです」
 心配そうにトシハルの様子を見守っていたピジョットは、不服だとばかりに冠羽を立てたが、すぐに諦めて羽を下ろし、観念した。そうしてとことこと彼らの後ろについていった。
 途中何度か後ろを振り返ったダイズが最後に見たのはトシハルが棺に一歩二歩と近づいていき、その小さな窓に手をかけるところだった。
 ざざん、ざざん、と窓の向こうで海が鳴っている。
 天気はよく、窓から差し込む光は暖かかった。
 人が去った集会場。トシハルはその光の下で小さな窓をそっと開く。
 開いた窓のその中で痩せた男が眠っていた。痩せている。それが第一の印象だった。
 とにかくなんだか思っていたよりも痩せている。そのようにトシハルは思った。
 それは身体から熱が失われて血の気が引いてそうなったのか、それとも痩せたままにその時を迎えたのか。もはやそれを確認する術はなかった。いや、記憶は鮮やかなようで、あやふやになっているものだ。もともとこんなものだったかもしれないとも思った。けれどもやっぱりもう少しふっくらしていたよなぁ、とも思う。結局のところ結論は出ることがなく、痩せているという印象だけが彼のリアルだった。
 そのままだったのは愛用の眼鏡だった。生前と同じ状態のままかけられた眼鏡。無機物だけはたしかな客観としてそこに存在していた。けれど、違うと思い直した。だって眼鏡は外して眠るものだから、生前通りというのは違うと思った。
 よく人の死に顔は穏やかなものだと言われる。穏やかといえば、穏やかかもしれない。だがもう少し適切な言葉があるように彼は思った。あえて言うならば普通の寝顔、であろうか。行儀の良い普通の寝顔だ。ただし、その眠りは永遠で、決していびきをかくことも、寝返りを打つことも無い。それどころか寝息すら立てない眠りだった。
 指先で撫でるように顔に触れてみる。ああ、本当に冷たいものなんだ、と彼は思った。
 ――ねぇ博士、僕が島を去ってから、貴方は何を想って、何を考えて生きてきたんですか?
 二人だけの集会場。トシハルは声にならぬ問いを投げかけた。無論、返答は無い。キャモメの鳴き声と波の音だけが耳に響いている。
 どれほどの時間その寝顔を見つめていただろうか。やがてトシハルは横になって行儀良く眠る博士の隣に体育座りした。
「……博士、僕の愚かな告白を聞いてくれないでしょうか」
 天井を見上げる。彼はそこで初めて口を開いた。それは十年といくつかの時を隔てた久々の会話だった。返しの無い一方的な会話だった。
「僕はね、博士は死なないって思っていたんです。僕は島を出て、ミナモシティでポケモンとはまったく関係の無い仕事をしていて、その間も貴方は海でホエルオーを追いかけている。そういう時間がずっとずっと続くと思っていた。変わることなく続くと思っていたんです」
 彼はそのように告白した。
「だから信じることが出来なかった。母から貴方が船の上で倒れてそのまま起き上がって来なかったなんて聞いても、まったく信じられなかった。だから僕は確かめに来ました。自分の目で確かめに来ました」
 熱中症だろうと、母は言っていた。ホウエンという地方が今年のポケモンリーグを終えて、その熱は冷めかけて、時期的に夏は終わりに差し掛かっていた。けれど、ずっと暑い日が続いていた。
 空から戻ってきたダイズがけたたましく鳴いた。船を操縦していたミズナギがそれに気が付いて駆けつけた時は既に手遅れだった。だが、それは研究者としては理想的な死に方だったかもしれないとトシハルは思う。最後の最後まで博士は現役だった。現役を貫き通して、博士は死んだ。
「もちろん、知ってはいたんですよ。人はいつか死ぬ。今は永遠に続かない。でも知っていることと理解していることは違う。分かっていることと身に染みていることは違うんです。僕は知っていても理解はしていなかった。分かっていても、身に染みてはいなかった」
 ああ、何を言っているのか! トシハルは心中で叫んだ。
 こんなものは言い訳だ。全部言い訳だ。間に合わなかったことへの言い訳だ。
「僕はいつだってそうだった。子どものころは子ども時代が永遠に続くと思っていたし、貴方を手伝うようになってからは、こういう日々がずっと続くと思っていた。その時ごとにそう信じていたんです。僕は与えられるがままだった。そのままでいればいいと思っていた。いつまで経っても少年のままだった」
 だが世界は変わっていくように出来ていた。島の人々が年々少なくなっていくように。遠くの地方からカフェチェーンが進出するように。新しいショッピングセンターが立つように。古くなった戦隊モノが今にあわせてリメイクされるように。
 変化。それは世界の法則だ。抗いようの無い法則。けれどそれはトシハルの観念と相容れないものだった。ある方向に向かい、伸びる二つの線。理想と現実。はじめは小さな距離だったそれは平行線をたどり、時が経つうちに開いていった。欲するモノがあるならば年相応に変わっていかねばならなかったのに。皺寄せは大学に入った頃にやってきた。
 それで少年は壊れてしまった。耐え切れなくなってしまった。
 だから少年は逃げ出した。いつのまにか開いてしまったその差を直視することが出来なくて。
「博士……貴方はきっと僕を許してはくれないのでしょうね」
 身を丸めて座り込む。その横にある木の箱に彼は言った。
 これは罰だ。変わっていく世界から目を逸らし続けた罰。
 ああ、馬鹿だ。本当に馬鹿で愚かで救いようが無い。そもそも自分なぞお呼びではないのだと彼は思った。死んで口無しになった相手に言い訳だけ撒き散らす自分はどこまでも臆病者で、卑怯者だ。

「ええっ、じゃあトシハルさん、アカリさんに何の説明もしていなかったんですか?」
「ええ、まあ……島に行きたいってことだけでしたね」
 まだ慣れない。鶏頭やダイズと共に舗装されない島の道を進みながらアカリは緊張気味に答えた。
 海沿いの細い道。アカリの歩くすぐ右で海が輝いている。まぶしい日差しに目を細めながら海を見ると遠くに鯨影が小さく見えた。ホエルオーの一大生息地だとトシハルが説明した通りだ。
「それは本当に申し訳ありませんでしたね。島に着いた途端、みんな黒装束だったんじゃあ、さぞ驚かれたでしょう」
「ええ……まあ」
 アカリは歯切れの悪い返事をした。
 博士がいるということは聞いていた。まさかああいう状態だとは思っていなかった。
「本当に、悪いことをしましたね……」
 ミズナギは頭を下げる。
 そんな、いいですから。そういう感じのジェスチャーをとってアカリは首を振った。
「どうか許してあげてください。トシハルさんはきっと混乱されていたんだと思います。なにせいきなりでしたから」
「……はい」
 アカリは静かに返事をした。
 確かにロクな説明もせずこういうことに付き合わせたトシハルに対し不満を感じなかったではなかった。だがそれは何か怒りとは違う感情だったと思う。尤も本来あったはずの不満のようなものもトシハルのあの様子を見ていたら、すぐに失せてしまったというのが本音だった。
 正直、見ていられなかった。
「すでにご存知かと思いますが、ここは定期便の本数が少なくてね。だから、もうお別れには間に合わないだろうってみんな諦めていたところなんです。本当は待っていてあげたいですけれど、いつまでもそのままにしておくことも出来ないし……」
「……はい」
「結構多いんです。本土に渡った親類が死に目に会えなかったり、顔も見れないってことがね。貴女という方の助力を得られたトシハルさんは本当に運がよかった」
「…………」
「昨日は仮通夜……といってもみんな準備でバタバタしていてね。今日ちゃんとした通夜祭を開く予定です」
 ミズナギは行程を説明し、再び歩き始めた。
「お別れは明日の昼からです。この島には火葬場なんてないからみんな水葬になるんですよ。みんなで船で沖へ出て、棺を沈めるのです。この島の人たちは昔からみんなそうしてきた」
 そうして細い道は下りに入ってさらに細い道になった。アカリは木の根っこの階段を踏みしめながら下っていく。ダイズがばさっと飛び立った。行く場所がわかっているのだろう。
 五分ほど行くと、少し開けた小さな砂浜に出た。彼ら以外に人はいなかった。
 わあ、とアカリは小さく声を上げた。岩壁に囲まれたこの小さな砂浜は言うなれば秘密のプライベートビーチといったところだった。先ほど飛び立ったピジョットが一足先に待っていた。白い砂浜に小さな波が打ち寄せては引いていく。こういう島であの人、トシハルは育ったのだな、とアカリは思った。
「アカリさん、こちらです」
 ミズナギが言って、岩壁に口をあけた洞窟を指差した。
 入り口は畳二枚分ほどの大きさだろうか。アカリ達が入っていくと、カサカサと音を立てながら一匹のヘイガニが奥へ退却していった。
「大潮の時になるとここまで海水が入ってくるのですよ」
 ミズナギが言った。
 彼は懐中電灯を取り出す。ゴツゴツとした凹凸のある足元に注意しながら、進んでいくと、カチリとスイッチを入れた。洞窟の壁を照らす。時折、碧いものがキラリと光った。
 ミズナギがピッケルとハンマーを取り出す。
「さあ、アカリさんどれにしましょうか。それともやってみます?」
 アカリが頷いたので、彼女にも同じものを渡すと岩壁を崩しはじめた。カツン、カツンという音が洞窟に響いた。
「前に一度化石が出たことがあってね。壊さないように周りを崩すのには結構気を遣いました」
 ミズナギは壁を崩す。口を動かしても手を動かすことを忘れなかった。
 トシハルが採掘の名人と言っただけあってその手際のよさは格別だった。みるみるうちに周りの不要な岩が削られていき、碧く輝く石が露わになっていった。
 ガキンと最後の一撃を食らわせる。ポロリと彼の手中に石が落ちた。
「一個目です」
 ミズナギが石を掴み得意げに言う。アカリも負けじと岩壁を叩いた。なかなかミズナギのようにはいかない。コツをつかめばなんてことはありませんよ、とミズナギが笑う。
「そうそう化石って言えば、シンオウって地方に行くとこういう場所がたくさんあってね。化石もたくさん出るんですって」
「シンオウ……」
「ホウエン地方がこの国の南端なら、あっちは北端ですね。生息するポケモンもずいぶん違うそうです。アカリさんはトレーナーだから一度行って見るのもおもしろいかもしれませんね」
 そう言って彼は二個目の採掘にかかった。ピッケルを壁に突き立てる。再び洞窟に音が響いた。何が面白いんだという感じで鶏頭は退屈そうに見ていたが、二人はしばしそれに熱中した。
 急いでいないなどと言ってしまったが、来て正解だったかもしれないとアカリは思う。あのまま葬式気分でも気が滅入るばかりだったろうから。ミズナギの心遣いに彼女は感謝していた。
「私にとっても博士は恩人なのです」
 と、ミズナギは言った。
「昔ちょっといろいろありましてね、行く当てもなくて島に流れたついた私の面倒を見てくれたのが博士だった。思えばあの頃からもうトシハルさんは博士にくっついて回っていたな」
 ミズナギは懐かしむように昔を語った。
「だからね、私は嬉しいんです。貴女がトシハルさんを連れてきてくれて」
 ミズナギがアカリを見た。今度は手を動かさず、そう語った。
 アカリが石を二、三採掘したところで、彼らは洞窟から切り上げた。その間にミズナギは十個くらいを余裕で掘り出しており、麻の袋に入れると、アカリに渡してくれた。こんなにいいのだろうかとアカリは思ったのだが、トレーナーさんじゃないと使わないからとミズナギは言った。
 洞窟を出る。鶏頭があまりに暇そうだったので、遊んで来いと言って他のポケモン達と一緒に洞窟の外に出しておいたら、砂浜がバトル場と化していた。ダイズに擦り寄るレイランを尻目に、二対二に分かれた獣組と人型組が互いに技を繰り出していた。目の前で上空から振り下ろしたブレイズキックが炸裂し、砂浜の砂が舞い上がる。見れば砂浜のあちこちが穴だらけになっており、アカリは急いでそれを埋めさせた。
「本土のトレーナーさんはワイルドですねぇ」
 そう言ってミズナギは笑い、アカリは苦笑いした。もう、油断も隙もないんだから、と砂浜を埋め終わると急いでポケモン達をボールに戻す。ダイズがやれやれと言った風に足でばりばりと冠羽の付け根を掻いた。
「……あの……お別れは明日のお昼でしたっけ」
 静けさの戻った砂浜でお茶を飲んでいると、不意にアカリが尋ねた。
「ええ、そうですが」
 ミズナギが答える。
「でもアカリさんはいいんですよ。どこかでゆっくりしていらっしゃったら」
「でももう目的のものは手に入れてしまったんです」
 麻袋に入った水の石をゴロゴロさせてアカリは言った。
「いえ、お邪魔ならいいです。私は部外者だし。……でも、なんか気になってしまって」
「トシハルさんが?」
「……まあ……、そんなところです」
 アカリは麻袋から碧い石を一個取り出す。光の下で透かして見てみた。取り出したのは自身が採掘したものだった。掘り出すのがへたくそだから傷だらけだった。
「お優しいんですね?」
 とミズナギが問いかけるように言った。
「暇なだけです」
 と、アカリは答えた。
「部外者だなんて思ってませんよ。貴女はここまでトシハルさんを連れてきてくれた。だから部外者なんかじゃありません」
 日差しが強い。水筒から冷たい茶をもう一杯注いでミズナギは言った。
 ピジョットがばさりと飛び立った。水平線の方向を見る。小さく、小さくだが二匹のホエルオーが横切っていくのが見えた。

 落ちる日が島から見える水平線を赤く染める頃、集会場に人が再び集まりだした。
 黒い服を着て訪れたその多くは大人、それも四十や五十、それ以上の者達だった。子連れや若者は少なかった。
 この島に寺は無く、代わりに島の神社の神職がやってきて、神道式の通夜祭を執り行った。参列者は神職から島に自生する木の枝の玉串を受け取ると作法に従いそれを回し、玉串(たまぐし)案(のあん)に置いていった。二回礼をし、しのび手で二回、かしわ手を打つ。そうしてさらに一礼。参列者が入れ替わるたびに同じ動きを繰り返した。血縁者のいない博士の遺族席、神職の意向でそこに座ったのはトシハルとピジョットのダイズだった。
 玉串が積み重なってゆく。トシハルは参列者に何度も何度も頭を下げた。
 そうして通夜祭はしめやかに執り行われていった。





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