12.

 終わりに近づいた夏の夜の下、チリチリと虫が鳴き始めていた。
 街灯の灯らない暗い道をトシハルが歩いていき、ピジョットがとことことついて行く。夜空を見上げると、島の突端で灯台の光が回転しているのが見えた。
 何を目指して歩いているかもよくわからなかった。ただあの場で封を切ることが躊躇(ためら)われ、人気の無いところに行きたいと彼は思った。道行く間、トシハルは手に握る封筒の所在を何度も何度も確認した。
 石垣の並んだ道を通り過ぎ、海を横目に見ながら緩やかな坂道を上った。何十メートルか後ろからアカリがついてゆく。見失いそうになりながら一人と一羽を追いかける。
 バサバサッと何かが横を通り過ぎた。
「なんだ。ズバットか」
 彼女は少し驚いたが、すぐにその正体を知ってほっとした。ポケモン達を集会場に置いてきてしまっていた。尤もこういった離島に強力なポケモンがいるとも思えなかったのだが。
 翼の音が通り過ぎて、再び虫の音だけになる。アカリは再びトシハルの姿を追った。
 結局、三十分あまり歩いただろうか。一人と一羽、そしてそれを追う一人が辿り着いたのは島の小高い丘の上にある神社だった。浮鯨(ふげい)神社。この島の産砂神(うぶすながみ)、島鯨命(しまくじらのみこと)を祀る社だ。あたりはすっかり暗かったが、神社の拝殿に続く石の階段を一対の灯篭が照らしていた。
 丘の緩やかな石段をトシハルが上がってくる。ダイズがぴょんぴょんと後に続いた。トシハルは右脇にある手水舎(ちようずや)に立ち寄ると、封筒をダイズに預け、柄杓(ひしやく)を持ち、左手からかけはじめた。普段は神社に行っても手水などしもしなかったが、さすがに葬儀の後だからという気持ちが働いたようだった。
「あ、アカリちゃん」
 そこまできてやっと後ろをつけてきた存在に彼は気が付いた。アカリが緩やかな石段を上り、神域の入り口である神明鳥居をくぐって姿を現したからだった。
「ごめんなさい……何か気になっちゃって。その」
 神社までは一本道だ。なんとなく内緒でつけてきてしまったもののここまでだろうと、さすがにアカリも観念した様子だった。
「邪魔だったら戻るけど」
「いや、いいよ」
 アカリが来た方向をちらりと見つつ伺いを立てると、トシハルはそう答えた。あの場で開きたくなかっただけなのだ、と。
 手水を終えると、拝殿に登る。からんからんと鈴を鳴らして、トシハルは手を合わせた。
「願い事?」
 アカリが尋ねる。
「特に無い。ただなんとなくだよ。……でもそうだな、導いて欲しいのかもしれない」
 と、トシハルは答えた。
 電気式の灯篭がブブブ、と点滅しながら淡い光を放っている。トシハルの影が大きく、点滅しながら拝殿の平入りに映し出された。
 この社で祭祀されている産砂神、島鯨命は遠い昔、うきくじら、たまくじら達を引き連れ、この地に降り立ったのだと伝えられている。うきくじら達はその昔、もっと内地に近い海に暮らしていた。けれど人間達が本来約束された数以上にくじら達を獲るようになった。見かねた島鯨命はくじら達を引き連れて、新天地を探す旅に出た。旅路の果てにたどり着いた場所がここ、フゲイ島の海域であるのだという。
 だからこの社の神様は導きの神様なのだ、と島の神職はよく言っていた。産砂神はその土地の守り神で、島に生まれた人々を誕生の瞬間から見守ってくれている。人生で岐路に立った時はその力を貸してくださる。生を全うした時には祖霊の世界へと導いてくれるのだ、と。
 ふざけた話だと彼は思う。自分は島を出た。神様が選んだこの土地で生きる未来。それに希望を抱くことが出来なくて、逃げ出した。その自分が導きを求めて、神頼みをしているのだ。情けない話ではないか。なんとも愚かで滑稽ではないか。
 それにしてもまた減ったのではないか、とトシハルは思う。思えば昔からその兆候はあった。そして自分が島を出た約十年前も、今も、人の流出は止まっていないようだった。若い者はみんな島の外に飛び出していってしまう。昨日の通夜祭に出席した人々、今日の水葬や直会に参加した人々に手や顔に皺を刻んだ白髪交じりの者のなんと多いことだろうか。
 変わっていく。望む望まざるに関わらず移り変わっていく。ずっと同じでいることは、出来ない。
 トシハルは二礼をするとパンパンと二回手を打った。さらに一礼をする。
「すみません。少しばかりこの場をお借りします」
 ぼそりとそう呟いた。
 そうして彼らは拝殿に続く階段に腰掛けた。灯篭の光を効率よく受け取るにはそこがよい場所だったからだ。
「博士からの手紙なんですって?」
 アカリが確認をする。
「どうやらそうらしい」
 と、トシハルは答えた。
 二人と一羽はトシハルを中心にして座り、封筒に注目した。
 トシハルが慎重に封を切る。丈夫な紙で出来た封筒はきれいに破くのに少々難儀した。結局、上部の封ごと切り離したその切り口はジグザグマがあっちこっち歩いたような形になった。細い封筒のその口に指を突っ込んで中身を引き出す。それはまるで神社でおみくじを引く感覚に似ていた。
 取り出したのは一枚の紙だった。端と端を合わせて折りたたまれたそれをトシハルは開く。紙の面積の割りに中の文は簡素だった。

 継海俊晴へ
 封筒に入ってるキーをお前にやる。
 そいつで開いたところに入ってるものもお前にやる。
 お前の好きなようにするがいい。
                           □□□□年○月×日 糟峪忠俊

「…………?」
 おみくじの結果より少ない文章量、はっきりとしない文面。名前に少し被さるようにして小さな判が押されていた。二人と一羽が顔を見合わせる。
「キー?」
 トシハルは封筒を逆さにして、口を地の方向に向ける。ポトリと何かが落ちた。
 そうして彼は自らの右手の平でそれを受けとめた。小さな鍵だった。
「何の鍵?」
「わからない」
 アカリが尋ねると、トシハルはそう答えた。
 馴染みのある鍵というのはいくつか思い当たる。たとえば実家の鍵、博士の研究所の鍵、それに博士所有の小型船の鍵――しかし封筒から転がり落ちてきたこれはそれのどれにも当たらないように思われた。
「本当に心当たりはないの?」
「ないな。見たことも無い鍵だよ。ダイズ、お前知ってるか?」
 トシハルは念のため聞いてみたが、ピジョットはクルルゥ、と鳴いて首を傾げるだけだった。
 親指と人差し指でつまみあげたそれを、灯篭の逆光に晒す。えらく不可解な遺言(メッセージ)だと思った。
「知りたければ、探すしかない……か」
 トシハルは呟く。そうしておそらく何かがあるとすれば差し当たり研究所だろうとも考えた。
 博士の意図がよく分からなかった。だが、入っていたものが研究所の鍵でないとすればそういうことなのだろう、とも彼は思った。期待などしていなかった。していなかったはずだ。逃げ出した自分、裏切った自分に資格などないのだから。
 けれど知りたいとも思った。鍵で開いたその先にあるもの。それが自分に何をもたらすのかを。
 博士はもういない。旅立ってしまった。行き先は海の底か、はたまた鏡写しの天界か。
 情けない話だ。それでもまだ、博士に与えられることを望んでいる。博士が道筋を示してくれると期待している。
 もと来た方角を見ると、行きも見えた灯台が回転しながら光っていた。自分の居場所はここだと告げる灯台。行くべき方向を告げる灯台――。
 導きが必要なのだと彼は思う。船に灯台の灯りが必要なように、導きが要るのだと。





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