15.

 沖ノ島。
 フゲイタウンのあるフゲイ島よりさらに南下した場所にある孤島。
 トシハルの生まれるもっと昔にはサトウキビや木の実を栽培していたこともあるらしい。が、島の畑の後継者がいなくなってからは住む者がいなくなってしまったのだと聞いていた。
 沖ノ島が見えてきたのは、水平線から日の赤が消えかけて、夜になろうという頃だった。
 フゲイ島に比べても簡素な船着場だ。数えるほどの船しか泊まれそうに無い。
 トシハルはエンジンレバーを後ろに引き、減速を始める。きれいに着岸するとロープを巻いた。真っ先に鶏頭とアカリが降り、ついでサーナイトが降りた。最後にトシハルとダイズが続く。
「バク、あなた顔色悪いわよ」
 アカリが言った。顔が赤いのと暗かったせいで顔色といわれてもトシハルにはさっぱりわからなかったが、まぁトレーナーの彼女が言うからそうなのだろうと彼は思った。
「船酔いかしらね。ずいぶん揺れたもの」
 彼女は続ける。酒に弱い。船にも弱い。この子、本当にパーティの要なのかしら、とアカリは勘ぐりだす。酒の席と同様にケロリとしているサーナイトとは対照的だった。
「モンスターボール、入る?」
 ボールをちらつかせると鶏頭はぶんぶんと首を振った。
「そういうところがかわいいのよね」
 少女は満足そうにニヤニヤすると、ボールをしまった。そうして新たに二個のボールを取り出すとグラエナとライボルトを繰り出した。
「いいこと。宝探しよ」
 アカリはふんふんと鼻を鳴らす黒と青の獣コンビにそう言った。

 島鯨。一番大きなホエルオー。
 沖ノ島までの航路を走る間、トシハルはアカリに語った。
 十数年前、島の漁師が巨大なホエルオーを発見したのだ、と。
 全長約30メートル。記録された中では最大の個体だった。
「けど、一つだけ残念な点があった」
「残念?」
「そいつはすでに仏様だったのさ」
 島の漁師が発見した巨大ホエルオー。
 それはすでに息絶えた後だった。
「まぁそれでも運がいいよ。ホエルオーは死んで間もなく沈んでいってしまうんだ」
 もちろんカスタニ博士は大いに興奮していた。
 言うまでも無く博士は陸に上げてそれを調べようとしたのだが、何せ大きい。解体して調べようにも時間がかかるし、腐臭がしてはまずいというので、フゲイ島ではなく沖ノ島でそれは行われることになった。この場所ならば誰にも迷惑をかけることはなかったから。
 沖ノ島の一番広い海岸。島民の協力も得て、巨大ホエルオーの亡骸をそこに引っ張り上げた。全長を測り、分厚い皮膚を苦労して裂いた。中のものもいろいろ調べて、満足いくまで記録をとった。
 そうして記録をとった後にその巨体は砂浜に埋められた。
「埋葬したってこと?」
「いや。骨格標本にするためさ」
 生物の骨格標本を作るにはいくつかの方法がある。薬品で煮る方法、虫に食わせる方法……だがホエルオーは大きすぎてそれらの方法は使えない。だから埋めて、自然分解を待つ。肉を腐らせ、微生物による分解を待つのだ。
 そうして骨だけになった時を見計らい、堀り出す。たしかそういう手はずになっていた。
「あの時は賑やかだったな。カイナの海の博物館もそうだけれど、カントーやジョウトの博物館からも研究員が何人も来た。カイナの館長なんか標本が出来たらぜひ譲って欲しいって直々に交渉しに来たくらいだった」
「結局、どうなったの?」
「わからない。確認していないんだ。あれだけの大きいホエルオーを埋めて、完全に骨にするには何年もかかるから。僕は掘り出したところまで確認していない」
 トシハルは知らない。掘ったのか、それとも未だ砂の中なのか。
「どこかの博物館に巨大な骨が寄贈されたという話も聞かない。僕が知らないだけかもしれないけれど」
「ということはつまり」
「ヤツはまだ島にいる。その可能性が高い」
 トシハルの舵を握る手に力が入った。
 正直なところ鍵との関連はよくわからなかったが、そんなことはこの際どうでもよくなっていた。
 自身の目で見届けていないそれをこの目で確かめてみたい。そう彼は思ったのだ。

「こっちの大きい道はサトウキビ道。道なりに歩いていくと昔のサトウキビ畑に出る。今は草が生えてるだけで何も無いけどね」
 陸側に続く道を指差してトシハルは説明した。
「砂浜はこっちの細い道」
 人気の無い島を彼らは海沿いに歩く。元来たほうには海があり、陸側には林が鬱蒼と茂っている。そうしている間に日は落ちる。虫や小さな蛙の合唱で島は騒がしいけれど、すっかりあたりは暗くなってしまった。
「エリーゼ、ラーイ。フラッシュ」
 と、アカリが指示を出した。一瞬何かの呪文かとトシハルは勘違いしたが、ポケモンのニックネームと技名だったらしい。サーナイト、それにライボルトがまばゆく光るエネルギー体を作り出した。
 便利なものだとトシハルは感心した。こちらの位置を知らせることによって下手に危険な野生ポケモンとも遭遇しまい。
 光球を連れた二匹を前と後ろに配置して、彼らは隊列を組み、歩いてゆく。後ろのサーナイトが光球を手の上で浮かせるようにし、先頭のライボルトはそれを口でくわえた。それに質量があるのかは定かでない。不思議な技だとトシハルは思う。ライボルトが空気中を嗅ぐようにしきりにふんふんと鼻を鳴らしている。落ち着きの無い様子だった。
「ここだ。この砂浜だよ」
 しばらくの行進の後にトシハルは言った。
 ゴツゴツとした岩の転がる緩やかな坂を慎重に下りる。砂浜に足を下ろすと、彼は駆けた。急きすぎて途中で一度転んだが気にする様子は無い。砂浜のその中心に向かい、走っていく。
 半月の形をした砂浜の真ん中。それが巨大ホエルオー、島鯨の身体を埋ずめた場所だった。
 砂を一掴み手に握った。指と指の間から砂がこぼれてゆく。
 あたりを見回す。比較的大きな流木を見つけ、それを浜に突き刺した。
「掘るの?」
 と、後から追いついてきたアカリが尋ねる。
「道具が要るな」
 と、トシハルは答えた。記憶を手繰り寄せる。陸側にしばし歩いた先に調査時に建てたプレハブがあるはずだった。そこに行けばスコップなどの道具が残っているかもしれない。
「一応、ロボが覚えているけれど。穴を掘る」
 隣で尻尾を振る黒と灰のポケモンを見て、彼女は言った。
 ハッハッと息を吐きながら、ロボと呼ばれたグラエナはアカリを見上げる。目は爛々と輝き、尻尾を千切れるほどに振り続けている。
「そうかい。それなら……」
 お願いするよと、トシハルは言いかけた。
 が、彼がそう言葉を発する前にポツリと冷たい何かが頬を打った。
「雨?」
 彼がそう問いかけると同時に一気に雨粒が降り出した。
 頬に、腕に粒が当たる。時を待たずして周囲がザアザアという音に包まれる。小雨などという曖昧な状態を経ずに、天気は一挙に大雨に転じた。
「うわッ……ラーイが落ち着かないと思ったら!」
 手の平で雨から顔を守るようにし、アカリは空を見た。そうなのだ。さっきからやけに暗いと思っていた。空には星も無いし、月もない。
「向こうにプレハブがあるはずだ」
 と、トシハルが言った。一行は慌ててトシハルを先頭に走っていく。雨水を吸い込んだ砂浜がざくざくと音を立てた。
 雨の勢いがますます加速する。暗い空からもたらされる雨はたちまちに彼らの衣服を濡らし、陣地をとるように侵攻した。ほどなくして、衣服に乾いた部分はなくなって、濡れた生地がしわを作りながらぴったりと体に密着した。靴の中もぐしょぐしょになり、一歩を踏み出すごとにぐちゅぐちゅと嫌な音を立てる。
 雨粒はトシハルのかける眼鏡も水滴だらけにする。やがてそれは雨の日の窓のように流れ出す。眼鏡だけではない。やがてぐっしょり濡れた髪からも水滴が流れるようになり、トシハルの顔に、目にとめどなく流れた。こうなると視界が悪い。
 海岸をぬけて、林の中の荒れた道をゆく。まるでシャワーを浴びているかのように木々の肌からも水滴が流れ続けている。
 流れ込む雨粒と戦いながらトシハルは少女と共に建物を探す。
 最初に声を上げたのは、アカリのライボルトだった。光球を口にくわえたまま、低い唸り声を上げた。
「あった。プレハブだ」
 とトシハルが視界の悪いその先を見て言った。
 一同は走る。鍵はついていない。初めにその扉を開いたのはアカリだった。だが、中に入ってすぐに彼女は言った。
「トシハルさん、これはダメだわ」
「どういうこと?」
 そう尋ねてトシハルも中を見る。そうしてすぐに理解した。
 サーナイトの光球が照らした部屋の中に大量の雨粒が降り注いでいた。あちこち雨漏りをしている程度ならまだよかった。が、その惨状はそんな生易しいものではなく、風雨がそのまま上から吹き込んでいると言ったほうが適切だった。
 放っておかれた十数年の間、南国につきものの台風にくれてやってしまったのだろうか。屋根には大きな穴が空いていて、原生林と暗い空がその上にあった。かろうじてくっつき残っている屋根も地面に向かってお辞儀をし、今や床に水を運ぶだけの雨どいとなってしまっている。
「船に戻る?」
「いや、それは危険だと思う。かといって他に雨宿りできるとこなんて……参ったな」
 ダバダバと雨に晒されるだけの朽ちた床を見てトシハルは言った。下手に踏み込めばめりめりと音を立てて底が抜けるかもしれなかった。
 雨が降り続いている。穴が開いたぽっかりと空いたプレハブの屋根を呆然と二人は見つめた。
 彼らの意識が他へ向いたのは、グラエナとライボルトの二匹が少し離れた所からけたたましく吼えたのを聞いてからだった。
「ワンワン、ワン!」
「バウ、バウゥッ!」
 声に気が付いてトシハルとアカリはプレハブの外へ飛び出した。
 林の荒れた道の、さらにその先。灯りが一つ揺れている。ライボルトのフラッシュだった。
 灯りに誘われるように走っていく。細い道を抜けると林が開けた。
 舗装されぬ荒れた道ではあったが、ずいぶん広い。かつての島の住人が開いたサトウキビを運ぶ道路だった。船着場で別れた二つの道。ここがその合流地点だった。
「あれ?」
 開けた視界の先を見て、トシハルは声を上げる。
 道の先に広がるかつてのトウキビ畑。今は草が生え放題のその草原。そこにミナモの港にいくつも並んでいそうな大きな倉庫のような建物がひとつだけ、ポツリと雨の風景の中に溶け込んで、建っていた。グラエナ、ライボルトが交互に吼え続けている。トシハル達が走り寄り、二人とポケモン達は合流する。
「なんだこれ……昔はこんなものなかったはずだけど」
 トシハルは呟いた。だが、一方で安堵した。これほどに堅牢な建物ならば雨宿りくらいわけはないはずだ。
「入り口は……」
 道の前にあるシャッターは硬く閉ざされていて、開きそうに無い。彼らは倉庫をぐるりと回って入れる場所を探した。建物をぐるりと一周するように歩くと裏に小さな通用口を見つけた。
「鍵、閉まってる……」
 ドアノブをガチャガチャと回してアカリは言った。
「……壊そうか」
「いやそれはちょっと」
「ブレイズキックなら一発よ」
 びしょびしょになった頼りなさそうな鶏頭を指してアカリは物騒なことを言い始める。鶏頭がぶるぶると全身を震わせて、水を払うと手首から炎を出して構える。雨の中にも関わらず、炎がほとばしるのはさすがチャンピオンのポケモンか、などとトシハルは思ったが、
「いやちょっと、待てよ!」
 と、考え直し彼らを制止する。
「雨宿りにはかえられないわ」と、即座にアカリは言った。
「一晩もこんな状態なんて私いやよ。トシハルさんが開けられるなら別だけど」
「いや、それは……鍵なんて持ってないし」
 トシハルは言葉に詰まった。建物の存在も知らなかった自分が通用口の鍵なんて持っているわけも無いと思った。だが、
「……鍵?」
 トシハルとアカリは顔を見合わせた。
「まさか」
「それで開かなきゃ、破るだけだわ」
「……わかった」
 トシハルは濡れたポケットの底にある封筒を取り出した。丈夫な紙で作られたその封筒は水をたっぷりと吸っていたが破けてはいない。折りたたんだ封筒を開き、中から鍵を取り出す。ドアノブにそれを差し込み、回した。
「……回った」
 キイ、と内側にドアは開き、彼らを中に招き入れた。水滴を床に垂らしながら彼らはなだれ込んでいく。
 が、倉庫に入った次の瞬間に、二、三歩を踏み出してトシハルは立ち止まった。
 続くようにして入ったライボルトのフラッシュが倉庫の中を照らした時に。
「どうしたの?」
 と、アカリが尋ねる。が、すぐに理解した。
 中には既に先客がいることに気が付いたからだった。
 それはあまりにも大きすぎて、何であるか理解するのに数秒をアカリは要した。そうして理解した。見えていたのは先客の一部。尻尾だった。
「…………島鯨だ。間違いない」
 トシハルが言った。
 あまりに巨大なので、頭のほうまでその光は届かなかった。
 フラッシュが闇を照らす。それが闇の中に横たわる巨大な骨を照らしていた。





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